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センターポールアスリートとの出会い⑩ 色々とアグレッシ部 篠田匡世
初めて観戦した車いすバスケットボールに感動し、”オヤジアスリート”・・・間違えました。”アニキ”と慕われる石川丈則選手を新たに迎えさせていただく事になりました。
実は、国体を観戦した時にもう一人目に留まったアスリートがいました。今日はその選手のお話です。
アグレッシ部
私は初めての車いすバスケットボール観戦で、当時は詳しいルールや戦術もわからず、只々、選手のプレーに圧倒されていました。
ボールと車いすの動作の融合は、車いすバスケボールならではの醍醐味です。
そして、プレー中は車いす同士がぶつかる事や、バランスを崩して車いすごと転倒する事もあるのです。
私は、転んだ選手を見て「どうやって立ち上がるんだろ??」と思いましたが、心配など無用で選手は自分で起き上がり、すぐにプレーに戻るのでした。
”障がい者スポーツ”=”障がいを持った人が楽しむレクリエーション”ではなく、目の前で起こっている試合は、”ガチンコの試合”でした。
車いすバスケットボールの迫力に興奮を覚え、観戦をしていたのですが、その中で一際目立つ選手がいました。
彼は両足が無く、体は大柄でオーラがあります。
印象を一言で表現すると”アグレッシブ”
彼はチームの中でも抜群のスピードで、コート中を縦横無尽に車いすで駆け抜けていくのです。
ディフェンスもオフェンスも、何度も凄い勢いで転倒するのですが、すぐに立ち上がって入ります。
ルックスも良く、綺麗に8:2分けされた髪型がより一層際立っていて、私は是非その選手もスカウトしたいと思ったのです。
事故がターニングポイント
実は丈さんとの6時間耐久居酒屋デスマッチのとき、チームメイトの話にもなり、その選手の事も聞いてみたのです。
その選手の名前は”篠田匡世”選手、当時は24歳でした。
普段は埼玉のチームで活動しているとのことです。(国体に関しては都道府県のチームで分けられます。篠田選手は東京都民なのです。)
丈さん「あぁ~篠ね。仲いいよ。あいつモテるんすよ~。」
なるほど、やはり女性人気が高いそうです。
丈さんとの6時間で、今後会社をどう成長させていきたいかや、選手も増やしていきたい旨を伝えていたので、その場で篠田選手に電話をかけて私に繋いでくれたのでした。
会話の中で、丈さんは篠田選手の事を何度も”ウッズ”と呼んでいたのが不思議ではありましたが、とても良い選手の様です。
”ウッズ”、、、もとい篠田選手を紹介をしてもらったあと、フェイスブックメッセンジャーと電話でやり取りをし、後日改めて時間を作ってもらうこととなったのでした。
打ち合わせ当日、私は少し早めに駅に到着しました。
前回の丈さんとの打ち合わせ(飲み会)で若干トラウマになっていた私は、「篠田選手も酒豪だったら怖いなぁ」と少しだけ心配しながら駅で待っていると、篠田選手が颯爽と車いすで現れました。
それは確か冬だったので、
「鍋がいいねぇ」「鍋ですね」
そんなやり取りをした記憶があります。
お店にはいると篠田選手は車いすを降りてから、”すっ”と立ち上がって席まで移動しました。
私は「あれ?試合のときは脚は無かったような。。。」と少し戸惑っていると、
「普段は義足つけてるんですよ。少しくらいなら歩けますよ。竹馬の両手なしで歩く感覚です。結構練習しましたけど。」
篠田選手はオープンな性格で何でも教えてくれました。
彼は高校までは野球をしていたそうで、夏の地方予選が終わってからは高校生活を楽しみながら在学中にバイクの免許を取得したそうですが、卒業式の3日前に交通事故に遭い、足を失ったとのことでした。
事故の話は衝撃的で、事故直後篠田選手は意識があり、自分で救急車に電話をしてから意識を失ったそうです。
私には想像を絶する話でしたが、篠田選手は明るく話してくれることが不思議でたまりませんでした。何故そんなにポジティブになれるのかを聞いてみると、彼は
「普通の高校生だったんですよ。確かに事故当初は悲しかったですけど、あの事故が無ければ車いすバスケットボールとも出会ってないんですよ。今までやっていた野球じゃせいぜい予選負け。でも、車いすバスケットボールと出会って日本代表に呼ばれたり。きっとあの事故で自分と向き合えたことが、僕の人生のターニングポイントだったんですよね。」
更に話を聞いていくと彼は大学で体育の教員免許を取得しているのです。教員免許を取るには、実技試験もあるはずです。
尋ねると篠田選手は
「工夫ですよ。例えば柔道だと、立ち技はできないけど寝技はできます。水泳の人命救助も脚が無いけどやったし。確かに脚を失って出来なくたった事はありますけど、頑張ればできる事も結構あるんですよ。」
堀江さんも、丈さんもそうでしたが篠田選手もまた、ポジティブな男でした。そして、彼はニヤリと笑ってこう付け加えました。
「田中さん、車椅子になってもね。モテる奴はモテるんですよ。」
試合の時の印象やこの2時間程度話しただけでモテる要素を持ち合わせているのは感じ取れました。しかし、それ以上に篠田選手は”イイ奴”でした。
元々この日の食事は篠田選手をスカウトする前提でしたが、篠田選手も事前に丈さんから話を聞いていたようで
「是非、お願いします。頑張ります。」
と言ってくれました。
こうしてナイスガイなイケメンが加わることとなったのです。
選手ひとりひとりから話を聞くことで、今まで自分がいだいていた障がいに対する固定概念が取り払われていくのを実感していきました。それと同時に、パラアスリートだからこそ伝えることができる価値にも気が付いたのでした。
つづく