センターポールのアスリートとの出会い 会社起ち上げ編 その③
前回からの続き。
大学1年生で大失敗をした私は、生活を0から見直すことに。
変えたことは3つです。
目標を決める
スキーは大学生活までだろうと思っていたので、4年間での最終的な目標を立てる。その目標はインカレ表彰台と全日本選手権入賞と決めました。
勝てそうな種目に絞る
正直、自分よりスキーが強い先輩や後輩に囲まれながら、インカレ表彰台と全日本選手権入賞は不可能と判断しました。
この3年間で自分も成長するけど、周りも成長するはずなので一番ライバルが少ない種目に力を入れていこうと計画です。
それが、私の場合は技術系の種目ではなく、スピード系の種目でした。
ちなみにスピード系の種目はこんな種目です。
さすがに国内のレースで、ワールドカップ選手と比較するとスピードも劣りますが時速100キロ近く生身で滑るのでビビります。
元々、この高速系は怖くて凄く嫌いだったのですがチャンスがありそうな種目を考えると選択肢が他には無かったのでこの種目に注力することに。
トレーナーを付ける
ゴール(目標)が決まったところで、手段(トレーニング)の設計。
今まで自分の滑りやウィークポイントを客観的に見ることが出来なかったので同部屋の国体優勝、国内トップクラスの先輩にスポーツトレーナーを紹介してもらいプラン作成。
今までの根性論トレーニングとはまったく違う内容でしたが、変化を恐れず新しいことに切り替えました。
(僕の場合は元々走るのが得意でトレーニングに組み込んでいたのですが、大学2年生から4年生まで一切30分以上のランニングは辞めました。体の左右差が崩れるのと優先順位は持久力ではなかったので。)
スキーの結果
やり方を変えて大学4年生までで結果はというと
大学1年生 インカレスーパー大回転出場 50位くらい?
大学2年生 インカレ出場無し
大学3年生 インカレスーパー大回転11位
大学4年生 インカレスーパー大回転 途中棄権 大回転13位
全日本選手権大回転11位 全日本選手権5位(スーパー大回転)
こんな感じでした。
他にも良かったレースや思い出のレースはありましたが、タイトルレースは上記のとおりです。
スキー選手として決して優秀だったわけでも無いですが、一応最後のシーズンの最後のレースで自分が立てた目標は達成できた事は、ひたすら嬉しかったです。
他にも、もっと強くなる方法や、考え方、チャンスもあったのだろうと思いますが、”自分で決断して、工夫する”
時間もお金もかかりましたがスポーツを通じて重要性だったり成功体験を学生の時にできたのは貴重な経験だったと思います。
そして、入学当初は巨大な墓標にしか見えなかった寮では、他の部会の仲間も沢山出来きました。
お互いの試合に応援に行ったり、遊びに行ったり、自分たちが履修していない教室に乗り込んで可愛い子ナンパしたり(基本惨敗)と、飲みすぎて倒れているところを知らない人の軽バンに拉致されそうになったのを先輩が助けれくれたり、いろいろありましたが、大学の寮は居心地の良い場所になっていました。
仲間が出来るのもスポーツの素晴らしい価値の一つです。
一番仲の良い準硬式野球部の山根君は、現在茨城で県民球団アストロプラネッツを立ち上げてオーナーとして大活躍。
車いすソフトボールのチームを作っています。
コロナが空けたら、BCリーグも応援に行きたいと思います。
次から就職編に続きます。