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転職活動とオンライン大学

アメリカ五年目

アメリカ赴任5年目くらい。会社の行く末を左右するアメリカ向けのシステム製品の現地技術のメイン担当として日々奮闘していました。そのシステム製品は、会社が取り組んだことのない新ジャンルのものでしたが、競合他社も同じような方向性のシステム製品を出してきており、進出するのは必要不可欠な市場で、それまで単品売りが中心だったため、開発やマーケティング側の経験値も蓄積されていない製品でした。

アメリカ赴任までの話はこちら:

製品投入して2-3年経ってしましたが、顧客のネガティブフィードバックの取り込み・反映が十分早くなく、クレーム多発で、私はアメリカ中を飛び回ることとなりました。どれも中型・大型案件以上であり、数億円を超えるビジネスで、いくつかの会社からは訴訟をちらつかされる始末でした。

それまで、私の役職は「品質管理担当」でしたが、出張で飛び回って現地トラブルシューティングを行う仕事が中心になったので「フィールドエンジニア」という役職名になりました。会社でも初めての役職であり、今までと違う仕事の仕方を自分で作っていく立場となりました。

しかし役職が変わっても、やることは同じ、クレームはなかなか止まず、日本の開発や経営陣にまずい状況を伝え続ける毎日となりました。クレームを抑え続けて、一応落ち着いた段階で日本本社への一時帰国が年末年始にありました。

そこでは部下もいない平社員でありながら、役員への一時帰国挨拶およびアメリカの状況報告をすべきという日本の部長の指示があり、あまり芳しくない状況を会長・社長に伝えたところ、ある取締役が私を呼び出し非難し始め、「システム製品が上手くいかないのはお前のせいだ」と言い始め、日本の部長と相談した結果として、クビ覚悟で最低限取るべきアクションをA4 1枚にまとめて、一部上場企業会長の年始の賀詞交換会の席に乗り込みました。A4 1枚は受け取ってもらえ、その後はクビにもならずトップダウンで最低限必要な改善策を講じてもらうことができましたが、アメリカの同僚からは、「どうやってあの機能改善通したんだ?」と聞かれ「二度とやりたくない方法で(笑)」と答えておきました。

決意

そんなことがあり、「この会社あかんわ」と思い始め、転職を決意しましたが、同じ会社内で日本とアメリカの二か所を経験しただけであり、技術もニッチな技術、英語もクレーム対応できる程度話せるというレベルでした。手探りで英語の職務経歴書Resumeを作り、ある大きな米系会社一社に応募してみました。知り合いを通じての応募だったので、オンライン面接までは進めましたが、一次面接で落ち、「まだ自分はこんなもんか」と思い、あきらめて自分の仕事に集中することにしましたが、自分のとしてもキャリア不足を少し感じ始めていました。

無線技術が専門であったので、昔から夢だった宇宙系の仕事も色々探してみましたが、最低条件に大卒と書いてあり、ちょっと大卒資格取った方が良いかなーと思い始めました。今更キャピキャピの大学生に混じって通学制の大学には通いたくないなーと思い、仕事を長期間休む金銭的余裕もなかったのでアメリカ現地のオンライン大学等も検討しましたが、現地校で高専の学歴だと2年次編入になりそうという状況でした。また、今まで現場たたき上げて基礎を知らずに仕事をしてきたという状況で、かつ当時は英語も高等教育を受けられるレベルではなかったので、ソフトバンクが設立した日本のオンライン大学であるサイバー大学を3年次編入で始めてみることにしました。

サイバー大学

技術的には基礎レベルの授業は私にとっては難易度が低いものが多くありましたが、応用レベルになると内容的にはとても新しい内容が多く、それなりに楽しんで受講することができました。大学開始と同時にアメリカ東海岸への半年間の単身赴任が始まったので、時間の自由もそれなりにあり、6時間の飛行機の出張では、乗る前に三つくらいの授業をダウンロードしておいて、ほとんど終わらせる、ような受講スタイルでした。

受講当時もほとんど海外に住んでいたのですが、幸運にも年末年始や一時帰国時に学生の有志のイベント開催が重なり、少しは学生間の交流が持てていたと思います。学内公式SNSのgoogle+(現Currents)にもそれなりの頻度で書き込んでいましたし。

開学10周年イベント

サイバー大学の開学10周年記念式典が2017年に行われ、私は当時もアメリカに住んでいましたが、ちょうど2週間しかない一時帰国と重なり、しかも在校生代表としてスピーチさせていただくオファーをサイバー大学広報の方からいただきました。しかし、当時は転職したくてたまらなかったので、ソフトバンクの偉いさんも来るということで「ソフトバンク入れてくれねーかなー」という想いで、自己アピール主体のスピーチにしてしまいました(笑)、同じスピーチをされた卒業生代表の方はしっかり笑いを取るスピーチにしていましたので、すこし反省です(笑) 一応サイバー大学広報の方に原稿を先に送って、OKをいただいたものなので大丈夫だったとは思いますが(笑) 偶然にもそのスピーチをする日の朝に今働いているA社への転職オファーが来たこともあり、色々な偶然が重なった運命的な日であったと思います。そのまま、アメリカに戻った後は、ずっとアメリカからオンラインの入社面接を5回程度こなし、最終的にA社に内定を得る事ができました。

転職⇒帰国⇒卒業

そもそも海外に行きたい技術者が少なすぎる、さらに私が仕事のハードルを上げ過ぎて誰も交代したがらったなかった、ということで、10年近く居たアメリカには、転職しなかった場合、15年も20年も居る事になったことでしょう。ビザは五年間有効だったのですが、10年目の二回目の更新の話が出始めていましたが、結果的にキリの良いタイミングで転職することができました。転職先の会社の役職も奇しくも「フィールドエンジニア」。「この仕事は色々なところで役立つはず!」という確信を持って進めていたのが好転しました。

転職と同時に帰国で色々バタバタしましたが、帰国ルートの一つにペルー・ボリビアを加え、マチュピチュやウユニ塩湖など、南米の最後の観光に弾丸で行き、移動と観光で忙しかったのですが、ボリビアのウユニ塩湖にある塩のホテルでツアー待ちの隙間時間で受講できたのもサイバー大学の強み感じたところですね。

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↑ ボリビア ウユニ塩湖の塩のホテルでツアーまでの待ち時間に受講

転職後もサイバー大学の授業は残っていましたが、最後の半年は応用とゼミを中心に8単位しかなかったので、転職の変化の対応でも影響が少なく、むしろ転職後サイバー大学で受講中だったPythonやデータベースを早速扱うこととなり、「サイバー大学行っててよかった!」という結果になりました(笑) 転職成功した結果、東京のサイバー大学の卒業式にも出席することができ、一石何鳥なのかわかりませんが、とにかく色々なことが上手くいきました。

卒業後の交流

サイバー大学には社会人学生が多く、皆何らかのプロであるので、コラボレーションできると凄いものができる!という確信がありましたが、なかなかコアとなるプロジェクトがなく、つながりが薄めのままでしたが、ここにきて、大学の文化祭プロジェクト「サイバー大学生がオンライン勉強会やるってよ」(通称:オンやる)が有志のサイバー大学起業部を中心に、急速に進んでいき、9/27(日)にフルオンライン文化祭として、開催されることとなりました。

このオンやるチームは、私が今まで所属したチームの中でも特に圧倒的なスピード感で物事が進む組織であり、それは皆黙々と仕事だからこなしているのではなく、楽しむためにやっているということが、他との大きな違いです。「今年は練習でプレ開催」なんて言っていましたが、とんでもない完成度に仕上がってきています。今年は1日だけのオンライン開催のみですが、来年はリアルとオンラインのハイブリッド、2-3日でやりたいですね!ひとまず、今年はサイバー大学初の文化祭を楽しみましょう!

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