小説 『ノブくん』
「ねえ、たまには反対にクビを回してくれないかい?」
トイレに入ろうとするとドアノブが僕に言った。
「どうしてさ?」僕は聞く。ドアノブが、一瞬目を開く。
「だって、片方ばかりに回されると、バランスが悪いんだよ。こっち側の首の付け根ばかりがこるんだよなあ」
「そうか、ごめん。気をつけるよ」そう言って僕は、トイレに入る。
「ほら、言った先からいつもと同じ方向に回してるよ」
僕は何気なく出した右手で、ドアノブを回していた。考えることなく自然とそうなっている。毎日のことですっかり無意識だ。
「ああ、ごめん。気をつける前にもう回しちゃってた」
「こまるなあ、そんなことじゃ。先が思いやられるよ」
ドアノブがふうっとため息をついた。
「なんかいい手はないかなあ」
僕は、自分で打つ手を考えることができず、ドアノブに甘えてみる。
「そうだなあ、紙に書いてぶら下げてみたら。なんか、君がいつも首にぶら下げてるやつあるだろ、会社に行くときの。あんな感じでさあ。そこに今日は右とか、左とか書いてさあ」
「ああそうか、毎回裏返せばいいんだね」
わかった、といって僕はすぐ画用紙を小さく切って、一方に「右へ」、その裏に「左へ」と書いて、使っていないカード入れに入れた。
すぐにドアノブにかけてあげる。
次の日から僕は、トイレへ行き、ドアノブにかかっている紙を見て、ノブを回すようになった。
「おいおい、それは昨日と同じ方向だよ」三日目、あきれた声でドアノブが言った。
「あれ、そうか、昨日紙を裏返すの忘れちゃったね」僕は気づく。
「君は本当に忘れっぽいからね」
「そうなんだよね。この紙も最初、誰が作ったの? って思ったくらい」
「重症だね。もう先は見えているなあ。次の手を考えよう」
「ごめんね。そうだ、これからはもう、ドアを開けたままにしよう」
「それじゃ、俺がここにいる意味がなくなるよ。もう君には期待しないよ。うん、毎回俺に聞いてくれ。俺の言うとおりすればいいよ」
「わかった。面倒かけるけど、よろしくね」
次の日僕は、声をかける前にドアノブを回してしまい、また怒られた。
おわり
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