アートのお誘い。CHANEL から学ぶ才能のみつけ方だったりお金についてだったり
今月用事があってちょくちょくパリと自宅のある地方都市を行ったり来たりして、忙しい自分に酔いしれた日々を送ってます。
地方都市に引っ越ししたのが2年前。その後、コロナが騒がれ始める前までちょこっと行ったり来たりはしたけど、凄いひさびさ。パリより地方都市の方が住みやすい!とよくフラ夫&フラ夫友人たちは私に言って聞かせるけど、私には全く共感できん。。。やはり刺激が全く違うと思うのです。色々企画展 イベントがある中で、今回はコロナの影響で開催期間が伸びたガブリエル シャネル回顧展に行ってきました。
シャネルといえば、生意気盛り 背伸びしたいお年頃の学生の時。石鹸の香りのジバンシイ プチサンボン から、何を血迷ったか一気に駆け上がってシャネルNo5を入学祝いに買ってもらった。好きな香りかどうか?よりも、大人の女性になったような高揚感のほうが大きかった。。。今は香りさえ思い出せないくらいだけど笑。そんな甘酸っぱい思い出のシャネル。
過去に映画も小説も見ていないので、まず何にびっくりって彼女の年表。
二十歳から6年間婦人服のお店で店員として働き、その後急にパリで帽子のアトリエをオープン。???。全く勉強しないでいっちゃっているのでここは予想。よっぽどお金持ちのお嬢様だったか、良い後援者をみつけたか?。そんな想像も含めて楽しみました。下世話だわー。
どちらも1930年前後、いまでも全然いけます!そして何より、亡くなった祖母が生まれた頃こんな洋服が世に出ていたなんてビックリです。
デザインを学んだことなど記載がなかったので、自己流なんだと思うんだけど。やっぱり、もとから才能があったんでしょうねー。
なんで戦後暫し退いて70歳頃復帰したのだろう?とか、年表からの下世話な勘ぐりとか、諸々含めて興奮しながら回顧展をを後にしました。
その日のシャネル展の話をしていると。フラ夫が「No5で、ドイツのことどうやって書いてあった?」と。全くファッションに興味のないフラ夫が興味深げに聞いてきてびっくりです。そして、あろうことかファッション音痴のフラ夫から、香水No 5の歴史的背景 シャネルの当時の関わり、時代背景。。。を教わることになりました。フラ夫曰く「シャネルってそういう人」なんとも端的な総評でした。(ファッションがもたらした革命、フェミニズム等々、オシャレさん目線の意見は出てこないと思っていましたが。)
後にウィキペディア先生から学んだところ、概ね同じような内容が書かれていました。あの青春の香り(覚えてないけど)に、そんな歴史があったなんて!
そして、ウィキー先生より回答をいただきました。良いパトロンとの達との出会いがあの年表内にあったようです。元々センスがあったのだろうし、運良く?孤児院で裁縫の技術も学べていたのもあるかもしれない。何より、彼女の才能があることを見いだせた(色恋の延長だったかもしれないけど)出資者に巡り会えた彼女が強運の持ち主だったと思うし、バイタリティがあったとおもう。