側溝


小学生の頃のわたしといえばお外に出る度にハマっていた遊びがございました。この遊びにはあるものを必要とします。
道路に沿って走る、雨水管に雨水を集める窪み。
そう、側溝でございます。

これ

他の地域はどうなのか知りませんが、うちの近所の側溝はほとんどが同じ形のコンクリートのブロックを繋いでいったようにできていて、そこにぽつぽつとグレーチング部分(金属で作られた格子状のふた)があるものでした。

小学一年生のわたしはある事に気が付きます

これ、ブロックを1歩飛ばしで歩くと必ずグレーチングを踏めるようになってる……!

自分の家の前の側溝はその法則に基づいていたのです。きっとわたしの知らない施行の基準があって、それに則った結果というだけなのはわかっていたのですが、その法則を見つけたことが面白くて何度も端から端を行ったり来たりしました。
しかし、隣のマンション前の側溝はそうもいきません。グレーチングが2ブロック続けて配置されていたり、ぐちゃぐちゃと並んでいるのです。ここでわたしの中の一歩飛ばし原則は破壊されてしまった訳ですが当時のわたしは相当にバカだったので、絶対に攻略してやる……と全く因縁も何もない側溝に闘志を燃やしました。
そして、1年くらい頑張って2歩飛ばしや連続進歩を無理やり組み合わせてその道も攻略することができました。今思えばおそらくただの偶然だったと思うのですが、その成功経験がまた変な方向に探究心をエスカレートさせて、その後友達の家の前やら始めて来る場所やら色んな場所の側溝のグレーチングを攻略する遊びをわたしに続けさせます。
本当にバカだと思う、でも楽しかった。

しかし、そんな感じでなんだかんだ暇な時や側溝を見かけたときのルーティンと化していたグレーチングハンターもわりとあっけなく終わりを迎えます。中学生のときに、3人グループでは話せるけど1体1になると途端に気まずくなってしまう仲の友達がいまして、その子と流れで2人で帰っていたとき、案の定会話がもたなくなってきたのです。その子から話を振ってくれることがなかったので、ほぼ一方的にわたしが話をふっかけていた訳ですが、普通にコミュ障なので手持ちの話題カードが10分くらいで底を尽きました。内心その場から逃げ出したくて仕方なくもう早く家に着いてくれと切に願っていた訳ですが、無言時間をなんとも思わない程親しい間柄にはなれていなかったので、必死こいて情報量の少ない田舎の通学路から話題を探すのです。そして見つけたもの。

側溝。



苦しいな〜〜〜〜と思いながらもうわたしにはこれしかないんだ。助けてくれ側溝。と藁にもすがる思いで

「小学生の頃ってよくわかんない遊びハマるじゃん、白線踏むとか。わたしは側溝の金属部分踏む遊びしてたんだよね。」(嘘、全然中学生になってからも1人で歩いてる時側溝見つけたら目測でやってた)

みたいなことを目線を合わせられないまま話しました。
そして無事

「へぇ」

の一言で玉砕。
ここでコミュ障あるあるの悪手に出るのですが、これウケてないな〜と思ったら予防線を張ってしまう癖があり、「ごめんね、わたしの話つまんないよね」と謝ったら

「うん」

正直な子だなぁと思いました。それから帰るまでずっと無言だったような気がする。鬼気まずい。まあそんなこんなで、側溝というかわたしがつまんないだけなのですが、側溝ってつまんねぇんだな……という認識に至ったわたしはそれから側溝を封印するのでした。側溝は何も悪くないのに勝手に悪者にしてごめんと思いつつ、まあ思春期の波に揉まれて側溝とは一旦決別したのです。

数年経って、進学と共に自転車通学になりました。雨の日も合羽を羽織って視界の悪い道を進むので、不器用人間のわたしは時々自転車のまますっ転びます。
ある雨の日、もう盛大にすっ転びました。いってぇな〜と思いながら自転車を起こそうとして、前輪が側溝のグレーチング部分で滑って転倒したことに気付くのでした。
これはあれか、わたしが側溝で遊ばなくなったことへの遺憾の意の表明なのだろうか。
学校に遅刻しかけて最悪だなあという気持ちをよそに、今日の帰りは自転車ひいて、久しぶりに側溝遊びしようかな、などと思いました。

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