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苦しい受験勉強で得た「専門書の読みかた」という財産

のんびりした日曜の午前、仲間の開催する「絵本の泉」にオンライン参加。
絵本に触れてリラックスしていると突然、絵本とは真逆の「難しい本=専門書の読みかた」が話題になりました。

思い起こせば大学生の頃、私が公認会計士試験で得たもっとも大きな”財産”が、この「専門書の読みかた」だったように思います。これを学んだこと、その楽しさを知ったことで人生が変わりました。

「専門書の読みかた」を知らなければ「会計の世界史」はじめ多くの著作を書けなかった。その意味で、私にとって受験勉強で得たものは、合格の事実や会計知識にもまして「専門書の読みかた」だったように思います。

「専門書の読みかた」は才能でなく技術である

いま、新プロジェクトのなかで弟子の一人に「専門書の読みかた」を教えています。これがまた、ビックリするくらい読めない。「読むとすぐ眠くなります」って、お前はネコか!(笑)。

そのネコ娘を観察して気付いたのですが、彼女はおそらく人生でただの1度も専門書を読んだことがない。小説と同じように1行1行読もうとするから、すぐ挫折して眠くなってしまう。無理して読んでも何も頭に残らない。

やがてこれは彼女だけの問題ではないとわかりました。おそらくはほとんどの人が同じ。能力が劣っているのではなく、「経験がない」だけ。

これはきっと「経験すればできる」ことであろうと、現在私はネコに教えるつもりで辛抱強く付き合っています。すると、本人は苦しそうではありますが、少しずつ出来るようになってきました。やっぱりこれは才能ではなく、「技術」のようです。

日本は海外諸国の専門書がしっかり翻訳されているありがたい国なのだから、日本語の専門書を読むことで海外の知見も手に入る。なんとしても専門書を読む技術を身につけたほうがいいです。

こんな時代だからこそ「難しさに挑む」価値がある

世の中には「速読セミナー」というものがあります。私も昔、物珍しさもあって30万円払って行ってみました。
結果は、




あれなら競馬に突っ込んだほうがよかった。

たしかに本を「速く」読めればそれに越したことはありません。でも、中身の薄っぺらな本をどれだけ速く読んでもしょうがない。それより読む価値のある「難しい専門書」を読む技術を身につけた方がいい。でも、学者を目指す方の大学以外でそれを教えてくれることはほとんど見当たりません。私にとって会計士受験勉強はその貴重な機会でした。

絵本と専門書。
この2つは本のなかでも対極といえる存在です。かたや心で感じるもの、かたや頭で読むもの。
感性と知性--この両方を兼ね備えた人間になることは万人の理想です。少なくとも、それを目指して努力はしていきたいもの。だから絵本と専門書の両方を読んだ方がいい。いまやインターネット、動画、ビジネス書によって、専門知識や芸術が「わかりやすく安易な情報」となって簡単に手に入るようになりました。これはかなり危ないことだと思います。社会にとっても個人にとっても。

ただそんな、わかりやすく安直な情報がもてはやされる時代だからこそ、専門書と格闘することに大きな意味が出てきたのもまた事実。
私が受験した30年以上前にも増して、「専門書が読める」価値は高まっているのは間違いないところ。だからこそ今、受験勉強している若人たちには声を大にして言いたい。
「その努力はいつか、思わぬかたちで報われるぞ」と。

暗いトンネルだからこそ、その先に光がある

「直ぐに役立つ」「誰でもわかる」・・・本当にそんな学びがあるとすれば、自分以外の人間にとってもそうなのだから、結局、ライバル関係から抜けられません。

苦しくあり、孤独であり、不安のなかでの格闘。
真っ暗なトンネルが長いからこそ、それを抜けた先に明るい光が差すのだ。
・・・・これは受験生にではなく、今の自分に言い聞かせています。

なんだか、若い時期を思い出して感傷的になってしまった。まあいいや。
受験生諸君、どれだけ辛くても耐えろ。難しさから逃げずに格闘せよ。
実はオレもいま再びトンネルの中にいる。次の「革新的な本」をどう書けばいいのか分からなくて、もがき苦しんでいる。

苦しむことなく「大きなこと」をやり遂げられるわけがないじゃないか。
ともにがんばろう。



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