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11年後の『ドーナツホール』 が新たに示したもの│なぜ米津玄師とハチの故郷はガラクタ山なのか 【新MV考察】 #GODIVA

先日11年振りに『ドーナツホール』にアニメーションMVが発表された。GODIVAとHACHIのコラボレーションを記念して新しく制作されたものだ。

新MVについて触れる前にまず『ドーナツホール』という曲そのものについて話さなければいけないと思う。

ドーナツホールが投稿された2013年はハチが既に米津玄師としてメジャーに活躍の場を移しており、いわばボカロシーンにカムバックを果たした形だ。

この曲を振り替えって聞くたびに「もう会うことは出来ない誰か」に歌っているような歌詞も相まって私には何処かハチのボカロPとしての決別のように思えてならなかった。そしてハチが当時目指した「少年漫画っぽい感じ」が何なのかピンと来ないまま時間が過ぎていった。

現在ではボーカロイドの衰退が囁かれたことも最早過去のことだが当時のブームの失速感は具体的な数字としてハッキリ現れていた。2013年に11曲もあった100万再生越えのボカロ曲は翌年には1曲にまで激減しその後も全体の再生数が下降傾向を辿っていた。
(『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』/柴那典 著 参照

そして一層「ボカロ衰退」を強く印象づけたのがマジカルミライ2017の表題曲として制作されたのが『砂の惑星』の存在。

『砂の惑星』はその実、ボカロシーンの終焉を描いた作品でありボカロファンの間で様々な議論を呼び起こした問題作でもある。

マジカルミライはライブと企画展を併設した国内最大級のボカロオンリーイベントであり砂の惑星は初音ミクの生誕10周年企画した楽曲であるにも関わらず、肝心のMVは砂漠に鎮座した蝋燭を立てたケーキ型の遺構カラカラに乾いた林檎の木を映して終わるという今見ても滅茶苦茶な構成である。


『砂の惑星』の「砂漠に林檎の木を植えよう」というフレーズはドイツの神学者マルティン・ルターの言葉“ 例え明日世界が滅びようとも私は林檎の木を植える ” の引用だ。

アプリゲームプロジェクトセカイにて実装されたキャラカードの一つに砂の惑星の「世界の終末」に対するアンサーが込められており、そこから顛末を知ったボカロファンの方が今は多いかもしれない。

プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク

名誉の為に付け加えるとブームの失速が顕著に表れたというだけで、新しい才能や素晴らしい楽曲が発見されなかったというような完全な停滞とするのは間違いだ。

むしろこの時期に『ODDS&ENDS』 (2013)や『アンノウンマザーグース』(2017)のようにシーンやボーカロイド自身、初音ミクという存在に対して投げかけるような語り草的な楽曲が多く生み出された。

ともあれ『砂の惑星』のような終焉の未来は訪れず後に続いた才能がその遥か先を進み続けているのが現在のボカロシーンだ。

“壊れていてもかまいません” 
なぜ守り通したい拠り所がゴミ山なのか


新MVのスタッフロール後に、赤い服を着た少年がゴミ山に空いた穴を再び覗き込むシーンが差し込まれている。

MVラストで焼き払われドーナツの穴のように街から消え去ったあの場所にまたガラクタが積み重なって「復活」しているのだが、最初のシーンとは違い少年の傍らにはミクを始めとしたあの4人の姿はない。

ハチ - ドーナツホール 2024 , GODIVA × HACHI DONUT HOLE Collection MV

加えて新MVドーナツホールの「ぽっかりと街の空洞となってしまったかつてのゴミ山」を俯瞰で見下ろすシーンが『砂の惑星』の「誕生日ケーキ」の構図と近似しており両MVの世界観がもし繋がっていたのなら?と想起させられもする。過去か未来か、それとも焼け野原になる前に巻き戻ったのか?

単にこのMVで描かれた「少年漫画っぽい物語」のエピローグとして差し込まれただけかもしれないが、ガラクタ山が墓標とならなかった未来に私たちはいる。

「ドーナツホール」と「砂の惑星」のMV

勿論GODIVAとハチのコラボプロモーションは既存の人気作品の影響力を生かしつつオリジナルの在り方そのものには介入してこない、ある意味ファンコミュニティに還元するような格好となっているし、11年後の『ドーナツホール』は当時ハチが思い描いたGUMI・初音ミク・巡音ルカ・鏡音リンの「当時のハチが描ききれなかった」物語がメインであろうことはMV公開とコラボレーションの発表に際してXに投稿された本人のポストからも伺える。

が、それでもドーナツホールも砂の惑星もボカロを取り巻く環境やハチを離れて活動する米津玄師の心境やスタンスの変化が反映されてきた楽曲であることは確信を持って言える。

『ドーナツホール』はハチと米津玄師を結びつける座標


しばしば誤解されていることだが、ハチ(米津玄師)がハチを休止すると口にした事は一度もない。むしろボカロ10周年のテーマでryoとハチが対談した際には、かつてボカロが自分に与えてくれた環境を「故郷みたいなもの」と呼びハチの名前を「またやりたいと思った時に帰って来られるように残してある」と話している。ここで同記事から『ドーナツホール』と新MVを読み解いていくうえで目にとまった部分を抜粋したい。

「何人かで1つのものを作るのがものすごく苦手だったんです。その後もバンドをやっていきたいという夢はあったんですけど、全然ダメで。当時のボカロ界隈って、そういう人がめちゃくちゃ多かったんですよね、バンド崩れと言うか、バンドをやりたかったけどダメだったみたいな奴が、さらにオルタナティブな選択肢としてボカロをやる。クズたちの受け皿みたいな感じで機能していて、俺もその一員だった。」- ハチ

「曲を作る才能は確かにあったのかもしれないけれども、Vocaloidがなかったら埋もれたままで、誰からも発見されることなく死んでいったような人たちがすごくたくさんいる。話してると、みんなそんな人なんですよね。だから、俺らは運がいいというか。」 - ハチ

『ハチ(米津玄師)×ryo(supercell)2人の目に映るボカロシーンの過去と未来』 │ 音楽ナタリー


GUMI達が失われゆくゴミ山を必死に守り通そうとしているのは廃品回収のシノギを奪われそうになって抵抗しているだけにも見えるが、
本当に重要なのは彼らが「どこか不完全で欠けていて、本来は見向きもされずにいるもの」に価値を見出しているという事であろう。

物語としては都市再開発によってゴミ山を取り囲む下町の暮らしが脅かされたので反発している

米津玄師はたびたび幼少期に時折耳にした廃品回収車の“壊れていてもかまいません”というアナウンスの響きが好きだったというエピソードを話している。(『日曜日の初耳学』TBS系/8月25日 9月1日、「米津玄師│四年先の旅の先 辿り着いた失くし物の在処」音楽ナタリー)

新MV『ドーナツホール』の物語に対してタイムリーというべきか、新アルバム「LOST CORNER」のリリースに際して収録曲である『がらくた』について話した時のエピソードと由来を同じくする。

壊れていると断定する身もふたもない冷たさと壊れていても大丈夫という緩やかな肯定が同居しているなんともいえない響きを持った言葉だ。

『ドーナツホール』はハチと米津玄師を結びつける座標だと先んじて述べたが『ドーナツホール』は米津玄師の2ndアルバム『YANKEE』にもカバーバージョンとして収録されている。

これは「ハチとしてのボーカロイド楽曲に自分の歌は使わない」という根源的なボカロPの考え方が次第に変化していった過程そのものである。制作していく途中でハチ自身が「この曲なら自分で歌えるかもしれない、歌ってみたい」と想いを募らせていった楽曲が『ドーナツホール』だからだ。

以前のボーカロイド曲って、絶対に自分で歌って音源化して世に出すことはしたくなかったんです。というのは、あれはボーカロイドありきの環境で作った曲なんですよね。あくまでそういう環境が作った曲。だから自分がそれを歌うつもりはまったくなくて。でも「ドーナツホール」に関しては、作っている最中から「これは自分でも歌える曲だ、自分でも歌いたい」と思った。明確な差別化がなくなってきているような気もします。ハチと米津の境目がどんどん薄くなってきているのかもしれない。

米津玄師「YANKEE」インタビュー

ボカロを取り巻く当時の環境が曲を生み出しそこに「少年漫画っぽいストーリー」を乗せたのがドーナツホールという作品だったのかどうかは分からないが、まだ見つかっていないもの同士が自由に存在できる場所を、
本来であれば何の標識もなく個々が点在しているだけの孤独な楽曲達を、
アイコニックに結び付け1つのムーブメントへ押し上げたのがバーチャルシンガーたるボーカロイド達とするのであれば、ドーナツホール新MVでGUMI達が必死に体を張っている姿も少年漫画のようなドラマチックな反抗に思えてくる。

しかし、もう砂漠にリンゴの木を無理やり植えてみる必要はないし、下町は一度焼き払われたものの今は誰かが帰って来るのをただ眺めて待つばかりではなくなった。

捨てるも捨てないもない創作や表現の根っこにあった名前こそがハチであり、「ゴミ山とその下町」こそがハチの故郷である。

ぽっかり空いてしまった心の穴はいつしか癒えて元の姿を取り戻した下町に、あの4人はまだ居るのだろうか。


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