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東を「あづま」または「あがつま」と言う理由に気がついてしまった!?
「東」という字は訓読みで「ひがし」と読みますが、古い時代には「あづま」「あがつま」という言い方がありました。
「あがつま」と言うときは「吾妻」と漢字で表記できます。
なお、「あづま」の語源についてネットで調べてみると以下のとおりです。
「東(あづま)」は、都(奈良盆地)から見た東方の諸国を指す言葉で、その原義は不明です。
「あづま」という語の由来については、次のような説があります。
日本武尊が東征の帰途に、妃の弟橘媛を偲び「あづまはや(吾が妻よ)」と呼びかけたことが由来である。
「アヅマ」のアは接頭語、「ツマ」は辺境の地を意味し、それはサツマと対になる概念であったとする説。
「あづま」という語は、上代文献の「万葉集」の東歌などにも見られます。
「あづま」という語の使われ方については、次のようなものがあります。
都より東方の諸国を指す用例が多い。
平安京への遷都によって範囲が変動し、現在の三重県をも含めて、都から東方への道筋、東海道・東山道の諸国を指した。
鎌倉時代以降は、京・上方に対峙する地域として、鎌倉や江戸を指していうようになった。
以上
「その原義は不明です。」
とありますが、私はこれについて思いついたことがあるので記事にしておきます。
まず、上記のネット解説において
「「アヅマ」のアは接頭語、「ツマ」は辺境の地を意味し、それはサツマと対になる概念であったとする説。」
とありますが、「あづま」は東、「さつま」は西を意味しているということです。
「さつま」は「薩摩」。つまり、日本の西の果てにある国名を意味しているので、薩摩は「西の辺境の国」という意味で解釈すると筋がとおります。
よって、「あづま」も東の辺境の国を意味しますが、その「あづま」は特定国を意味せず、東方の複数の国を含めた地方を示す言葉として残ったと思われます。つまり、「あづま」は「東方」ではなく、「東の方にある辺境の国」なので、その時代における特定の地域を意味したと思われます。
では、なぜ「あづま」と呼んだかですが、それはなぜ「さつま」と呼んだか、とセットになるでしょう。
結論はこういうことです。
「あづま」は「あがる」+「つま」
「さつま」は「さがる」+「つま」
あがる、さがる。これは何のことかと言えば、太陽のことです。
太陽が上がる方向にある辺境の国
= あがるつま = あがつま = あづま
太陽が下がる方向にある辺境の国
= さがるつま = さがつま = さつま
ということです。
「つま」は「はしっこ」という意味で今でも使われていますし、女性配偶者を意味する言葉としても、何かしら関係があるようです。
魏志倭人伝における邪馬台国記事において「投馬国」が登場しますが、「つま国」と呼んでいたのなら「辺境の国」という意味だったかもしれません。
なお、「あがつま」はその後も残りましたが、「さがつま」は残っていないようです
古代人は太陽を喩えとして使うことが多かったと思われます。
ほかにも、「呉」を「くれ」と呼ぶのは、中国における「呉」の地域が日本から見てはるか西方の海の向こうにあると認識されたいて、「日が暮れる方にある国」という意味で「くれのくに」と呼ばれていたと想像します。
もしそうであれば、倭人は呉が九州の西方の海の向こうにあると認識していたということであり、朝鮮半島経由や琉球諸島経由ではなく、上海あたりから九州へ直行する航海ルートが存在したことが想像されます。
以上は、私としてはかなり自信を持てる説です。
ならば、「にし」と「ひがし」も語尾の「し」が共通しているので、似たような用法が語源かもしれませんが、「に」と「ひが」の組み合わせが何を意味しているかは私にはわかりません。
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