帝王学の書「貞観政要」から学ぶ組織運営のヒント ~ ④疑惑を招かないように?
現代の組織運営でも役に立つ貞観政要の話です。
貞観政要は7世紀の唐王朝で名君とされる太宗の問答の記録。
現代人にもわかりやすいよう原文にこだわらず、私の勝手な判断で表現を作り替えておりますことご容赦ください。
ある日、太宗の元に通報がありました。
側近の魏徴が親族のために職権を濫用していると。
早速、調査が行われ、事実無根であったことがわかりましたが、ある者が
「人に疑われること自体に責任があります」
と太宗に進言しました。
そこで太宗は部下を通じて、
「これからは人から疑われないように言動に注意してほしい。」
と魏徴に伝えたところ、数日して魏徴が宮中に参内して太宗にこう言いました。
「君臣は一心同体である」
という話は聞いたことがありますが、
「うわべを取りつくろって疑惑をまねかないようにせよ。」
という話は聞いたことがありません。
私を忠臣ではなく良臣として全うさせてください。
ここから魏徴の真意を想像してみます。
忠臣とは滅びゆく国家のために命をかけた臣であり、
良臣とは国家の繁栄のために役に立った臣
だそうです。
周囲から疑惑を受けないことに気遣いをしてしまうと、国家のために最善を尽くすことがおろそかになってしまいます。
正しいと思ったことを表明すれば、それにケチをつけたり、揚げ足を取ったりする人間は組織に必ずいます。
誰もが納得するような無難な意見を言えば、その人の保身にはなりますが、組織のためになるかどうかは別のこと。
つまり、こういうことです。
官僚が国家よりも保身に気を遣うようになったら国家は滅びますよ。
私は国家を何より大切に思っていますが、国家が滅んでしまったら、私は「忠臣」になってしまいます。
私は「忠臣」ではなく「良臣」になりたいなあ。
だから、部下に周囲への気遣いをさせるような君主にはならないでください。
と魏徴は言いたかったのです。
さて。
皆さんの会社では、疑惑を招く行動についてどのように評価していますか。
<疑惑を受けないように配慮するのも会社のためだろう>
と思いますか?
疑惑は常に生じるもの。それをいちいち乗り越えてゆくことを面倒くさがる人がいて、その面倒くさいという感情に任せて他者を批難することがあります。
組織の目的よりも周囲への気遣いを優先してしまったら、それは腐敗につながります。
考えや感覚の違いがあるという現実を受け入れたうえで、それをいちいち前向きに乗り越えて組織の目的を達成する。
これを面倒くさいと思い込んでいると、腐敗は時間の経過とともに着実に進んでいきます。
大事なことは相互理解と信頼関係です。
信頼関係を築くための相互理解は無駄だと考える一方で、
他人に気遣って自分をいつわり我慢することには精一杯の努力をする。
これがいま日本社会で蔓延している心理ではないでしょうか。
言い換えれば、この腐敗にきちんと対抗できる知性をもっている人は今後の社会において価値が高いということでもあります。