斉藤知事再選に対するメディアの反応を見てみる~ハラスメント問題には命がかかっていますよ
1.だまされた?という屈辱感
パワハラ疑惑問題で叩かれ、議会から不信任決議を突き付けられて辞任した元兵庫県知事が再選を果たしました。
私も当初はメディアの情報をもとにパワハラが事実だったのだろうと「とりあえず」認識していましたが、一般的にパワハラ政治家のケースでは録音データが流出するところ、そういった証拠が出てこないと言う声を耳にしました。
アンケート結果では県職員の4割以上がパワハラを見聞きしていたと報道されているのに、パワハラの録音データがありません?
「おかしいな」と思い、それからいろいろネットの情報をあさってみると、メディアが斉藤知事をこき下ろすための情報操作をしていた疑惑がでてきたわけです。
斉藤知事は私にとって縁もゆかりもない人ですが、なんとなく「疑ってごめんなさい」という気分になってしまいました。
2.ハラスメントが権力闘争のネタにされている?
最近はハラスメントが権力闘争の具として使われるケースが増えていることを私は懸念しています。
例えば以下のニュース記事を見て思うのですが、セクハラトラブルを頻発させる人が企業の重役である場合、その人がある時期から急にセクハラをしだした可能性はかなり低いと推測します。
昔からセクハラをしていたが長年不問とされていて、「そろそろ退任に追い込もう」という誰かの意図によってセクハラが利用されたのではないか、という穿った見方もできるのです。
だとしたら、これまでにハラスメント被害を受けた方々の心理的ストレスはいかばかりだったかと気になってしまいます。
ある時期まではハラスメントを放任しておき、自分にとって都合の良い時期を選んで問題化させ、これに大手メディアの報道を連動させる。
さて。
私は別の記事でハラスメント関係のネタを書いていますが、私はパワハラトラブルの円満解決を仕事としており、様々なハラスメント的トラブルを見てきました。
3.パワハラ的トラブルの多くがパワハラではない現実
パワハラだと言われるトラブルのほとんどは心理現象の範囲にとどまり、法律的にパワハラであると明確に判別できるケースはとても少ないのですが、社内アンケートを行うと、法律的にはパワハラではない行為を「これもきっとパワハラだろう」といった感覚でパワハラとして回答している意見が大半です。
被害者の立場になってみれば、自分の心理的ストレスの原因をパワハラだと言いたくなる気持ちはわかりますが、被害者が心理的ダメージを受けただけでは、パワハラと断定する根拠としては不充分です。
そうであるのに、会社が確実な証拠なしに、ある人物を加害者だと断定し辞任に追い込むという行為は、それ自体がパワハラ的行為です。
気に入らない人物をパワハラ加害者に仕立て上げることは意外と簡単という一面もあるのです。
しかし、被害者の多くは、問題が大げさにならないことを望みます。
心理的ストレスに苦しんでいるところでメディアや世間の注目にさらされたら、その人はどういう心理状態になってしまうか。
想像するだけで胸が苦しくなります。
加害者とされる側も、当人に加害意識がないのに悪者扱いされれば心理的ストレスははかりしれません。
つまりハラスメントトラブルは法律的には判別しがたいデリケートな問題なのです。
そして、ついにメディアはハラスメント問題をこのような手法で悪用するようになってしまったの?
という目線で私は兵庫県知事選を眺めていました。
4.メディアに対する不信感のタネはどこに?
斉藤氏を支持したくなった県民の多くは、
一部の政治家、一部の役人、一部の企業がメディアと結託して甘い汁を吸う裏の仕組みが存在しているのではないか?
という疑いを抱いた人が少なくなかったと私は勝手に想像しています。
なぜなら、斉藤氏支持に回った方々の多くが、大手メディアが発信していなかった情報をネットで目にしたと思われるからです。
そんな話があったなんてテレビでは聞いたことがないよ
ネットで出てるんだからテレビ局だって知っていたはず
それを取り上げて番組で検証すればいいのにどうして触れなかった?
そうか、何か表に出したくない事情があるのだな
つまり、これはメディア権力による陰謀だ
このように市民が想像するのは自然の流れで、その程度のことは賢いメディアの皆さんなら気がついているはずです。
だとしたらメディア側としては、
いえいえそれは誤解でして、実はこういう実情なのです。
私たちは関係情報を全て公正に報道してきたのです。
という説明をして納得を得ればよいものを、実際のメディアがどのような反応をしているか。
5.ネットユーザーに対する批判
大手系メディアはこの一連の経緯におけるメディア側の問題性をまともに取り上げず、メディア系のネット情報では斉藤知事を支持する人たちをこき下ろすネット記事やコラムを選挙期間中に巧妙に増やしていたと私は見ています。
結果として斉藤知事が当選ということになりましたが、これについて大手メディアがどんな反応をするかに注目していました。
今のところ、メディア系のネット記事では、斉藤知事の再選について「県民がSNSに騙されたから」のような説明をしています。
今回の選挙の争点は、「これまでの報道姿勢への不信」という点であって、「SNSの正しさ」でも「斉藤氏の知事としての能力」でもない、と私は考えています。
賢いメディア業界の皆さんがそのことに気がつかないはずがありません。
なお、以下の記事はとても興味深かったです。
マスコミもネットやSNSを活用しての情報発信をしているのですから、メディアが言うところの「SNS」とは要するに、メディア以外が発する情報という意味になるでしょうが、そのようには表現しないで、あえて「SNS」と言うのです。
では、SNSなどのネット情報を見ている市民は、捏造情報に騙された愚かな市民なのでしょうか。
6.そもそもメディアは危険だったという当たり前
「大手メディアが発する情報は特定の範囲に偏っている?」
なぜこのように思われてしまうかと言うと、メディアが触れていない情報がネットにはあったからです。
一方で、メディア情報はテレビや電車内の中刷り広告などを通じて一方的に市民の脳内に流れ込んできます。
偏った情報が一方的に脳内に流れ込み、それによって感情が揺さぶられる。
それが不健全であることは「当たり前」のことですが、大手メディアは、この宿命的に不健全な仕組みに依存しないと存在できないのです。
かつて新聞社は
「政府の情報は信じられない。国民の自由な言論を発信しよう!」
という立場でした。
ネットが登場するまでは、
「いろいろな新聞やテレビを見て自分で判断しましょう」
と市民に呼び掛けてきました。
そうすれば、新聞はもっと売れるし、テレビももっと見るようになって万々歳でした。
ところが「いろいろ」の中にネットが割り込んできました。
ネットではメディア以外の人も情報を発信することができ、その賛否両論をユーザー側の選択によって眺めることができます。
つまり、テレビや中づり広告よりも、よほど健全です。
そして、
A テレビ又は新聞だけを見ている人
B ネット情報も見ている人
AとB、どちらの人の判断が客観性が高いかを考えると、多くの人が「ネット情報も見ている人」と考えるのではないでしょうか。
しかし、そういった意見が世の中の主流になってしまったらメディアは儲からない仕事になってしまいます。
そこで、大手メディアは次のような戦略を採用したと思われます。
7.ごく自然に形成された脳内支配戦略
「大手メディアの情報はファクトチェックしてるから正しい。それ以外はファクトチェックが怪しいから全部怪しい。」
「ネットを見ている人はテレビや新聞を見ずにネット情報だけを見たから洗脳されている」
要するにメディアだけが正しい + それ以外の情報は危険
この思想の浸透に成功すれば、大手メディア以外からの情報発信を内容の如何によらず全て否定することができる。
よって、甘い汁を吸い続ける仕組みを守ることができる。
つまり、組織を。そして自分たちの生活を守り抜くことができる。
そのためには、ありとあらゆる狡猾な手段を駆使して市民の心理を操作しなければならない。
こうして、これまで私たちが普段見てきたような報道やニュース記事やSNSでのタレント・学者・弁護士などによるコメントが形成され、これに対して私たちは徐々に違和感を高めてきたわけです。
しかしこれでは、言論の自由の趣旨をメディア自身が否定しているのと同じ結果となってしまいます。
一般市民が発信する情報だから信じるなと言うのですから本末転倒です。
8.一般市民の知性をよほど低く見積もっている疑惑
それにしても、一般市民の知的レベルをよほど低く見積もっていないと、このような思考にはならないと思うのです。
今まではこのやり方でうまくいったという成功体験が彼らの思考を方向づけているのかもしれません。
かつては知的エリートとして愚かな民を庇護していたつもりが、いつの間にか市民とメディアが対立する構造になってしまい、いまでは既得権にしがみつくことに汲々としている。
これが今のメディアの現状ではないかと私はつい疑ってしまうのですが、メディア関係の皆さんには、お願いだからこの論を全力で否定していただきたいです。
学者や有名人の言葉を借りずに堂々と訴えてほしい。
その覇気がまだ残っていることに期待しています。
朝のワイドショーは今回の選挙を今後どのように取り扱うのか。
無視するか。
「SNSのせい」という争点にすり替えるか。
パワハラ疑惑を再度検証するのか。
おそらくは「SNS」のせいにして逃げ切るつもりでしょう。
しかし、今回の出来事は旧来の大手メディアへの信頼を大きく損なったという点で重大であり、大手メディアも自民党と似たような腐敗体質及び無責任体質であることがより一層鮮明になってしまいました。
これまでの手法が通用しなくなってきている。
彼らにとって残念なことに、一般市民の認識がネット情報の影響で徐々に客観性を高めているのです。
9.さすがにわかっている
斉藤知事のパワハラ疑惑が真実かどうかが仮に不透明であったとしも、メディアが<この選挙の争点をぼやかして報道している>という現実を見れば、斉藤知事の疑惑報道が偏向報道であったことをメディア自身がある意味で認めてしまっているようなものではないか。
一部の記事では、
「既得権益に歯向かっていった斎藤氏が陥れられた」というような陰謀説までがSNSに広まっていった
と報道していました。
「アンダードッグ効果」と言う言葉まで持ち出し、メディアにいじめられた斉藤知事に県民が同情して、逆にメディアを不当に敵視しだしたという主張もやりだしました。
つまり、彼らはわが身を守ることに必死です。
メディアの報道に反する説は陰謀説やデマということにする。
斉藤知事を選んだ県民はSNSで捏造された陰謀説に踊らされていることにする。
しかしです。この主張には無理があるし、その必死な様子を見れば見るほど、メディアに対する嫌悪感が高まるのです。
必死になるべきポイントを間違えていませんか? 敵は世論ではありませんよね。
10.メディアによる印象操作は常識でしょ
事実情報の一部だけを提示して特定の人物が悪者であるかのように印象付ける手法
いわゆる印象操作という手法がメディアにとって朝飯前であることや、一般市民を装ってネット上で様々に陰険な小細工をしていることは、日ごろネット情報を見ている人にとってはすでに常識です。
ところが、今回のメディア報道があまりに苛烈すぎたので、冷静なつもりのネット民までもが、いつの間にかうっかり騙されていたという屈辱感のようなものを味わってしまい、そのことへの複雑な思いがメディアへの憎しみのようなものを掻き立てた側面に私は注目しています。
メディアは越えてはならない一線を知らぬ間に越えてしまったかなと。
11.メディアの皆さんはいま本気で立て直さないと
メディアはこれまで印象操作をしたことはありません。その証拠はこれこれです。
または、
これまで印象操作をしてきましたが、これからはいたしません。
といった態度で市民に理解を求めない限り、大手メディアは、もはや信頼を取り戻せないでしょう。
実際の様子を見る限りでは、SNSを信じるヤツは愚か者だ、という対決的な姿勢に走っているようですが、長期的に考えるとこれは悪手です。
自分たちの首を自分たちで絞めています。
しかし、衰退する業界、つぶれてゆく組織と言うのはこういうものです。
内心、自分たちの問題点に気がついていても、今はどうすることもできないから、一か八か、失敗覚悟で悪手を繰り返してしまう。
昔、この国はそういう追い込まれ方で戦争したような。。。
確たる証拠なしにパワハラだと決めつけてはいけないように、確たる証拠なしにSNSの説をデマと決めつけてはいけません。
SNSの情報にウソが混じっているからといって、メディアの報道姿勢が正しいと言うことにはなりません。
メディアが報道していない重大情報がネットで理路整然と解説されていて、それに対してメディアがいちいち反論できないのなら、メディアの報道は不適切だと市民は判定するでしょう。
しかも、ハラスメント問題は県職員の職場環境や業務効率に関係する重大な問題なのですから、<再選したから終わり>ということではありません。
知事が辞任し再選するほどの混乱が起きたのですから、そのことへの責任の検証も避けられません。
一部のワイドショーなどで、それなりに深堀りして見せて、著名人にそれなりに反省を示したような発言をさせて、それでお茶を濁して終わり、ってことにするつもりではありませんか?
もはや、その程度では誤魔化せないと思うのです。
12.人前で人格を否定するのはパワハラです
今回も、ジャニーズ事務所問題のときと同様に、<過去の報道には何も問題がなかったことにする>という戦略ではないか。
報道各社は裏で談合していて、今回の報道についても統一戦線を張っているのだと想像してしまいます。
「SNSの陰謀論に踊らされた愚かな兵庫県民」という主張を秘めつつ、斉藤知事を取材はするがメディアの問題点はそろっと回避しよう。
という作戦が透けて見えるのです。
「SNSに盲従したバカな県民がパワハラ知事を選んでしまった。」
という論も出ていますが、これは逆です。
メディアに盲従して知事を辞任させてしまった県民が、ネットの情報を見て冷静になり、情報は全て疑わしいという真実に気がついて、とりあえずパワハラ騒動以前の状態に戻す判断をした。
ということではないでしょうか。
「この人、大丈夫ですか?」
こういった言葉を記事のタイトルに入れて強調する。
大勢の前で人格否定をしてはいけないというパワハラ世界の常識をメディアがこうして堂々と無視するものだから、私は研修でこういう記事を悪い見本として例示しています。
いまだにそういう人格否定の表現をやり続け、そういうネタを選んで記事にしている人たち。
こういった批判を恐れるがゆえでしょうか。
他人の名義で間接的に批判しようとする魂胆が透けて見えてしまうと、人として見苦しいというか、卑怯というか、メディアはもはや品格を捨ててしまったんだなと思わざるをえません。
このまま民意を愚弄し、密かに対立をあおるような態度を取り続ければ、これまでメディアをそれなりに信じていた人々も興ざめする結果になるでしょう。
それでも今を生きるために欺瞞を続ける巨大組織、そしてそれと連動する企業や政治集団。
メディアが適切に報道していたら、今回の一連の騒動のほか、この選挙だってやらなくて済んだかもしれませんが、これに絡む経済的コストは県民が負担しているのです。
13.ハラスメント問題には命がかかわっていることを忘れないで
最後にひとつ、ハラスメント問題にかかわる者として苦言を言わせてください。
ハラスメント問題は、ときに命に関わります。
当事者だけでなく、ご家族も人生が覆るほどのダメージを受けます。
もちろん、子どもたちも犠牲となりえます。
だから、とにかく命と家庭の危険を回避することを最優先にして取り組んでくださるよう、手を合わせるような思いで私は企業にアドバイスをしています。
しかし、会社側の賠償責任だとか、法律的な正しさだとか、関係者の保身だとか、本来は二の次にするべきことにこだわっている人たちを見て、いつも残念に思います。
命より大事なコンプライアンスって何ですか?
命や健康が大事なんですよね。いつもメディアの皆さんはそう言っているじゃないですか。
じゃあ、しっかりそれを守りましょうよ。
視聴率を上げるためなら誰かの人生を台無しにしてもいいのか
これはもっと深刻に考えるべきことだし、しっかり考えていた結果があの報道姿勢だったとは思えないのです。
このハラスメント騒動は本来、円滑に業務が遂行される組織であるためにどうすればいいか、が主題であったはず。
現職知事の言動だけでなく、組織全体の過去のあり方を含めて総合的に検証されるべきだったと思います。
私としては、ハラスメントを権力闘争や利益誘導のために利用するような発想を厳しく批判したいので、その尻馬に乗るような報道をしないでほしいです。
14.これからも期待しています
メディアの皆さんにはまだまだ果たすべき役割がたくさんあります。
テレビや新聞が報道する内容は嘘ではないのだと私は信頼を置いていますし、今後もそうです。
みなさんそれぞれの領域で誠実に仕事をされていると思いますが、いつの間にか全体としておかしな方向へ動いてしまっているときがあります。
そんなときは、この社会でメディアがどうあるべきかを市民目線で考え、それを実行しましょう。
組織ですから、それがやりにくいと思うことは多いでしょう。
こわい人たちへの配慮や忖度で頭の中がいっぱいになっているかもしれません。
皆さんに残された人生の時間を、保身やご機嫌取りのために汚してしまっていいのなら仕方がありません。
でも、本当にそれでよいのかということを、何度でも考え直してよいと思います。
引き続き、今後の動向に心理学的な目線で注目していきます。