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お祖父さんの戦場(2)第一次上海事変

お祖父さんが参加した第一次上海事変とは、何だったのか。
上海は列強各国の商人らが居住している「租界」が発展してできた巨大商業都市です。

アヘン戦争、義和団事変、その後も中国を植民地化しようとする日本や外国に対する中国人の強い不満が鬱積していました。

昭和6年、日本軍(関東軍)が満州全土の占領を開始して国際社会の反発を買っていた頃、関東軍参謀らの一部が国際社会の目をそらすための謀略を画策しました。

国際都市上海で大事件が起きれば、満州問題への国際社会の関心が薄れるだろう。
こうして紆余曲折の末、昭和7年1月28日、上海租界を守備する陸戦隊(日本海軍)を中華民国第19軍が攻撃する形成となりました。

このとき救援として本土から派遣された部隊に、お祖父さんが所属する陸軍第9師団がありました。

第九師団は 1937年 (昭和12年〕 9月27日に上海派遣軍の 増援部隊として
上海北方の揚子江河口に上陸。

蒋介石直系の中国軍が堅固な陣地を構築して待ち構えており、第九師団は中国軍の十字砲火と連日の雨に苦しみ、中国軍の包囲網を突破しようとして第9師団ではたくさんの戦死者がでました。

現地民間人と敵兵との区別のつかない激しい混乱と死闘を経て一か月後、上海近郊の蘇州河に到達したときには、最前線の歩兵部隊の死傷率は6割に達していたそうです。

お祖父さんは歩兵第七連隊の第一大隊に所属していました。
同じ連隊の第二大隊が壊滅して大隊長(空閑昇少佐)が捕虜(後日拳銃で自決し映画化された)になるほどの激戦でした。

敵陣の鉄条網を破壊するために自爆した3人の工兵「肉弾三勇士」の実話もこの戦場で生まれました。

空中では米軍義勇兵ロバート・ショートの操縦する中国軍機が空母加賀の艦載機と格闘しました。
これを撃墜(日本史上初の)したパイロットは当時、子役だった森光子さんからファンレターをもらっています。

民間人に紛れて攻撃してくる中国人ゲリラ(便衣隊など)への対応にあたって民間人が巻き添えとなって処刑される問題もでました。

5月5日に停戦となりましたが、この事変では、中国と本格的な戦争になれば何が起こるかを予想させる様々な出来事がありました。

お祖父さんは無事に帰れました。
昭和7年6月14日、衆議院本会議において満洲国承認決議案が全会一致で可決されました。

満州国誕生。そして、5年後には第二次上海事変が起きます。


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心理法務カウンセラー 風営法-ハラスメント問題アドバイザー
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