おせっかいで生きる。
誰かとの会話の中で
「もっとこうしたらステキだろうなぁ」
と前向きなお節介が頭に浮かぶことはありませんか?
私の場合はお節介が浮かびまくる。
友人、上司、娘の保育園の先生などどのコミュニティーで誰と会話をしていても「お節介」が頭に浮かんできてしまい、無意識のうちにその話し手がより良い方向に向かう方法を考えてしまう癖があることに気がつきました。
それと同時に真っ先に思い浮かぶのは、
「お節介だと苦い顔をされるのではないか」「毛嫌いされたらどうしよう」
こんな風に相手にマイナスイメージをもたれてしまうことを想像して
浮かんだお節介はそのまま消えてしまう。
嫌われることを恐れて伝えることができない。
これが一連の流れでした。
一見、大勢の方から嫌われそうなお節介ですが
どうしても浮かんできてしまう。なぜだろう。もしかしたら、このお節介にはなんらかの可能性があるのではないかと思い、分析のために様々な本を読み始めました。
そして、結論↓
【お節介は自分の才能。】
だという答えにたどり着きました。
よくある常識的な視点で考えると非常識なおもしろい視点があったのでシェアします。
【お節介には才能が眠っている】
求められてもいないお節介が頭に浮かんできたり
それを言葉にして相手にスラスラと伝えることができる。
さらに自分自身にとって苦ではなく
善意であり、むしろ自分の心も明るくなりながら伝えられる。
ここで「才能」の定義もおさらいさせて下さい。
才能とは、芸やスキルのことではありません。
(例)
料理が上手→後天的に身に付けられるスキルで才能とは別物✕
気遣いができる→人の気持ちを敏感に察知する才能がある○
こんな風に考えてみると才能とは
生まれつき持ち合わせている性格のことをさします。
つまり誰でも、どんな人でも、どんな些細なものでも
必ずひとつは持っているものがこの才能。
自分の性格ということになります。
これを知らないから小手先テクニックに惑わされ自分の性格を活かした判断ができずにうまくいかない人が多いということがわかりました。
つまり私の才能はお節介。
使い方さえ間違えなければありのままの自分でいながら
困っている誰かを手助けできる才能。
ひとつの手段だということがわかったのです。
「今後どうやって進めばいいだろう」
「こんな時どうすればいいだろう」
そんな風に迷っている方やアドバイスを求めている方にとってのお節介は
心からの「ありがとう」に変換されます。
覚えていたいのは
人は問題を解決したいと強烈に願っていること。
私自身もその一人です。
そんな人の手助けができたら最高じゃないですか?
困っている人を手助けできる。
問題を解決する為の手がかりを自分の手から贈れる。
この特性を輝かせられるかもしれない。しかも誰かに感謝までされながら。
注意点
対人関係では求められていないシーンでお節介を伝えるのはやっぱりNGです。
なぜなら人は共感してほしいきもちが強い生き物から。
だけど求められた時ならその方の助け舟になる可能性だってあります。
前向きなお節介を誰かのために存分に発揮し、その誰かが明るくなれるような場所を作りたい。つまりお節介を仕事に出来たらどれだけ良いだろう?と。
お節介で生きる
誰かのためになるお節介で
誰かの心を楽にする。
めちゃくちゃステキやん。
自分自信を嫌いになってしまったり
なぜ周りと馴染めないのだろうと不安になってしまったり
疑ってしまうことは誰だってあるかもしれません。
ですが自分の性格をしっかりと理解すれば
短所は長所にもなるし
一見人に嫌われそうなことも
好かれることになる可能性が十分にあるということを伝えたいです。
私は今後お節介で生きていきたい。
あなたはなにでワクワクして生きていきたいですか?