ライブ会場も世の中もうまく混ざり合っている
アーティストのライブに行って純粋に心を空にして楽しめたことがない。
音楽が好きだ。色んなジャンルの音楽を聴く。だからライブにもそれなりに行く。でも、毎回色んなことを考えてしまって没入できない。
アーティストがステージに現れる。気持ちが高まってくる。一曲目。あー、来てよかった。でもそこから、気持ちが段々落ち着いてくると、私の手の上げ方変じゃないかなとか、前にいる男女はカップルなのか付き合う前の一番楽しい時期なのかどっちなんだろうとか、リズムの取り方あってるかなとか、挙句の果てには早く終わらないかな、などと考えてしまう。せっかくお金を払って好きな曲を聞きに来ているのに、、、。そこで、チケット代六千五百円、元を取らないと、などと考えてしまうともう終わりで全てが空回りし出す。どうしてなんだ。あんなに楽しみだったのに。悔しい。でもアンコールも終わるころには、まだ帰りたくない、あの曲も、あの曲もやってほしい、あと三時間くらい延長してー。と思うのだ。そうして帰りの電車では余韻ひたひたでセットリストを調べてプレイリスト化し、ひたすら聞いたりするのだ。不思議な生き物なのだ。だから懲りずにライブに行く。
そうして、こないだもライブに行ってふと思った。私はライブ会場で大きな声で歌ったり、手を振り回して盛り上がるタイプではない。そういう人から見たら「地蔵だ」と思われているのかもしれないがちゃんと楽しんでいる。(もちろん手を上げるところは上げるし、歌うところは歌うが、音痴なので大きな声は出せない)だから今日このライブ会場に集まった全員が偶然にも私と同じタイプだったらこのライブはどうなるのだろうと。さぞ落ち着いてしまうんだろうな。バンドのメンバーは戸惑い、MCで「今日の人たち静かだね。盛り上がっていこうよ!!」とかいうだろう。でもそのあとに続く観客の「わあー!!」という声も小さい。ごめんなさい。やりづらいだろうなと思う。だが、そんな心配は全く必要なくて今日もライブ会場は盛り上がり、曲の合間でメンバーの名前を叫んだりする人が絶対にいてくれるのだ。ありがとう。世の中は上手くできている。うまく混ざり合っている。
追記:一番最近行ったライブは12月24日にあったkid fresinoのライブ。このライブの没入感は凄かった。フレシノは私が2024年一番聞いたアーティストで私の2024年を支えてくれた人。ライブが終わった後は感動と喪失感で涙が出た。それくらいその時間を終わらせたくなかった。永遠にしたかった。フレシノからの最高のクリスマスプレゼント。ありがとう。永遠に忘れない。