知る人ぞ知るメロデスの隠れ名曲The Crown「In Bitterness and Sorrow」の歌詞を考察
スウェーデンのデスメタルバンドThe Crown(当時はThe Crown of Thorns)の1997年のアルバム『Eternal Death』に収録された「In Bitterness and Sorrow」は、冷涼感と抒情性に溢れるメロディックデスメタルの佳作である。この楽曲は、アルバムがバンド改名前にリリースされたため、広く脚光を浴びる機会を逸しているが、地元スウェーデンのライブ映像では、観客がこの曲の歌詞を正確に歌い上げる姿が確認できる。この事実が示すように、「In Bitterness and Sorrow」はファンに強い共感を呼び起こす力を秘めている。
この楽曲の歌詞と音楽性を掘り下げるには、スウェーデンのトロルヘッタンという土地、そしてその文化的背景に目を向ける必要がある。以下、その地理的条件、宗教的背景、死生観を中心に「In Bitterness and Sorrow」を分析する。
「In Bitterness and Sorrow」の和訳
俺の光は消え失せた
炎は尽きたが、ここに居座る
時は容赦なく過ぎていくが、癒えるものなど何もない
その息吹が俺の命を引き裂く
愛なき心を貫く果てしない痛み
魂は死の冷たさに凍りつく
それでも俺は息をし、この場に立ち続ける
それでも俺は生きる、虚しい日々をただ繰り返しながら
悲しみが昼夜問わず俺を包む
この命に疲れ果て、だが死ぬことは恐ろしい
頭の中を駆け巡る幻影たち
かつてお前が静けさの中で囁いた言葉
戻れぬ地点を越えてしまった
橋は焼き落ち、道は完全に閉ざされた
それでも俺は息をし、この場所に立ち続ける
それでも俺は生きる、同じ地獄を繰り返しながら
影が息をしているのが聞こえないのか?
闇が、お前の恐怖を喰らい尽くしている
愛のない心を貫く終わりなき痛み
それでも俺は息をする…
影が血を流しているのが見えないのか?
この年月を喰らう俺の闇が
それでも俺は息をし、この闇を耐え続ける
それでも俺は死んでいく、日々をただ繰り返しながら
闇の光が道を照らし
息づく終焉へと俺を導く
すべてを消し去るために、それはいつもそこにある
すべてを奪い去り、俺たちを故郷へと連れ帰るために
俺たちは皆、ただ死ぬために生まれる
だが生きることはなく、ただ生き延びるだけだ
すべてが終焉を迎え、永遠の命など存在しない
それでもお前はなお…
慰めの嘘で真実を隠し続ける
キリスト教の夢が、お前を盲目にしている
俺の目には見えている、信じることなどできない
それでもお前は祈り続ける、何も変わらぬ日々を繰り返しながら
俺の青春は過ぎ去ってしまった
時は過ぎていくが、癒えるものなど何もない
その息吹が俺の命を引き裂いていく
これは終わることがあるのだろうか?
命は過ぎ去り、俺には何も残されていない
ただ永遠の死だけが待っている
なぜ俺はまだ生き続けている?
この偽りの人生を生きながら
俺は死ぬ、ただ死ねないがゆえに!
修復不能に壊れてしまった
孤独に、何年も渡ってさまよい続ける
これは終わることがあるのだろうか?
命は過ぎ去り、俺には何も残されていない
ただ永遠の死だけが待っている!
地理的・自然環境の影響
トロルヘッタンは、長く厳しい冬と短い夏を持つスウェーデン西部の町である。この地域特有の自然環境は、孤独や内面的葛藤といったテーマが深く根付く北欧メタルの土壌を形成してきた。「In Bitterness and Sorrow」の歌詞に繰り返される「影が息をしている」「闇が恐怖を喰らう」といった表現は、この厳しい自然環境が生む人間の孤立感や畏怖を直接的に映し出している。スウェーデン文化において、自然は単なる風景以上の存在であり、神秘的で時に敵対的なものとして描かれる。「闇の中の息吹」というモチーフは、自然の持つ生命感と人間の無力さの対比を暗示しているように見える。
宗教的背景とその影響
スウェーデンはルター派が支配的な歴史を持つが、現代においては世俗主義が進行している。宗教的懐疑主義の広がりは、この楽曲の「キリスト教の夢が、お前を盲目にする」「それでもお前は祈り続ける」という歌詞に強く反映されている。ここで批判されているのは、伝統的な宗教が提供する救済の虚構性である。宗教批判や反権威主義はデスメタルの伝統的テーマであるが、「In Bitterness and Sorrow」では、これが北欧的な冷徹さを伴って描かれており、宗教的救いの概念を哲学的に問い直す姿勢が現れている。
死生観と存在論的問いかけ
「俺たちは皆、ただ死ぬために生まれる」という歌詞は、北欧文化に根付く死と無常への哲学的態度を如実に表している。北欧の長い冬の中での内省の時間が、生命の有限性や存在の無意味さを強く意識させる環境を生んでいるのだ。「永遠の死」という表現は、物理的な終焉ではなく、人間存在そのものが繰り返される無益な苦しみであることを暗示している。このような視点は、The Crownのメンバーが当時20歳そこそこの若者だったことを考えれば、モラトリアム的要素も含んでいる可能性が高い。若者特有の自己探求と、北欧メタル特有の存在論的深みが交錯することで、この楽曲は独特の魅力を放っている。
「永遠の死」というフレーズの象徴性
この楽曲の核心にある「永遠の死」というフレーズは、過ぎ去る無益な日常へのやるせなさや焦燥を象徴している。これは生きることそのものの無意味さを描く一方で、「死ねないがゆえに生きる」という矛盾を通して、人間の本質的な苦悩を浮き彫りにしている。このフレーズはまた、キリスト教的な「永遠の命」との対比を強調し、救済や希望の不在を哲学的に探求するものとも捉えられる。
結論:未完の叫びとしての「In Bitterness and Sorrow」
「In Bitterness and Sorrow」は、トロルヘッタンの厳しい自然環境、宗教的伝統への懐疑、そして人間存在の根本的な問いかけを反映した楽曲である。The Crownが後に進むことになるデスロール路線の荒々しい自由さとは異なり、この楽曲には内省的で哲学的な深みが刻まれている。地元スウェーデンでファンが歌詞を口ずさむ姿が示すように、「In Bitterness and Sorrow」は、北欧特有の感性を体現しながらも、普遍的な人間の苦悩に触れる作品だ。The Crownの初期衝動がそのまま音楽となったこの楽曲は、名義変更や時代の流れに埋もれさせてはならない価値を持っている。『Eternal Death』というアルバムタイトルの通り、「In Bitterness and Sorrow」は、その名にふさわしい冷涼感と叙情性で、聴く者の心に深い爪痕を残すだろう。