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精神薬を飲んだらなんかつまらん人間になった気がする


 飲む前は面白い人間だったとかそういうわけではないです。
 これだけはお断りさせてください。わたしの人生で面白かったシーンは、女児時代に頭を大怪我してクソデカホチキスでバチバチにされたところだと思います(未だにそこだけ髪の毛が生えてきません)。

 

精神障害チューチュートレイン


 思春期女によくあるロイヤルストレートフラッシュ障害ですね。
 ルッキズム蔓延、努力家のインターネット美女ばかりの世の中ですから当然だと思います。思春期女だった私も、もちろん患っていました。例に漏れず。

 起床時はこれから一日が始まるという事実に絶望。自分の不細工さに絶望。ふくよかなクセに飯を食らう自分に絶望。怠惰な自分に、なんの取り柄もないというのに外出している能天気な自分に殺意。

 道行く人々に後ろ指を指されている、死ねと言われていると思いこみ、突然涙が溢れてくる。動悸が止まらなくなる。面倒な構ってちゃんだとは思われたくないクセに、元気だとも思われたくないから虚勢も張りきれない。と、毎日こんな感じでした。

 それでも不登校にならなかったのは「普通」の道から外れたくなかったからだったのですが、中学三年間を必死に頑張りすぎた反動で頭がおかしくなり、結局高校は定時制に行きました。
 (高校の同級生は不思議で面白い人たちばかりだったので、今度そのことも書きたいと思います)


 死にたいと思っていました。けれども私の場合は「消えてしまいたい」とか「私なんて生きてる価値ない」とか、そういう湿った感情ではありません。
 「おっ、今日も死にたくなってきたぞ^^」というサッパリめの感情でした。

 死ななかったのは、こんなクソくだらんことで死んでたまるかという気持ちが強く存在していたからです(あと普通にめっちゃ怖かった)。
 今となっては、あのとき死んでなくてよかったと心の底から思います。やはり死は怖いですからね。

おくすり


 そんな中で、流石にこのままではヤバい! という考えに至りました。ここに来るまで結構長かったです。

 長年お世話になっている親切で完璧で素敵なカウンセラーさんと話し合い、とある薬の服用を始めました。新薬らしいのですが、信頼できるとのことで。

して、その効果は……

HAPPY


 マジでものすごかった。

 基本的に精神薬の効果を信じていなかった私は、世のお医者さまたちの圧倒的頭脳に秒で平伏しました。やはりお医者さまは偉大です。

 鏡を見てあまり号泣しなくなりました。過呼吸になる頻度が格段に減りました。美人さんを見て胸が苦しくなることはあれど、希死念慮に駆られることはほぼなくなりました。
 今や、起床時は朝ごはんのことしか考えていません。朝ごはんのアンパンマンさつまいもスナックのことしか考えていません。

 めちゃくちゃ生きやすくなったな、というのが率直な気持ちです。死にたいという気持ちがないだけで、人はだいぶ自由になれる。



 
 さて。
 嬉しいことずくめとはいえ、私は私のことを助けてくれた薬のことを今もよく知りません。よく知らないから、現在の自分の体と以前までの自分の体と、どこが変化したのか理解できていません。 
 暗い感情 ・ 明るい感情の性質の違いもわかっていないから、なぜ暗い感情がこうも激減したのかわからない。とにかくあまりにも無知なのです。 

 そんな中で思うのは、以前まで自分の中にあったあの暗い感情が、自分にとって想像以上に大きなものだったのだなということでした。 多分アイデンティティになっていたんです。
 自分が自分であるための必要な要素というか、アレがあったから自分の心の形がきちんと分かっていたのだなと。

 アレは私の、なけなしの特徴でした。 

 うんち、ちんちんといったレベルの易しい下ネタで鼻水が出るほど笑えるのは、思春期だったあの頃も成人した今も大して変わっていません。ツイッターで話題だった例のピグレットで、私は今も腹がよじれるほど笑えます。 

 けれども、何げない日常の中に存在する様々なこと――たとえば傾きかけた夕日とか、人の家のフチの欠けた茶碗とか――に対する感動の色は変わりました。 泣いたあとの、ほんの少しだけ心地よい寂しさも感じなくなりました。 
 あぁもうすぐ一日が終わるな、とか。得体が知れないと思っていた他の人の家もウチと同じで、茶碗のフチは欠けたままにするんだな、とか。そんなことしか思えなくなってしまって。あと、あまり素直に泣けなくなりました。これは薬とか関係ないかもしれませんが……。

最後に


 モノは高いし、赤ん坊は生まれないし、若者はバカスカ死んでいく。今はそういう時代です。
 そういう時代に生きていて、これからも生きていく。多分ろくでもないことばかりが起こるだろうから、自分の感受性くらいは豊かなままがよかったなあと、なんとなく思います。

 あの不安定な精神状態で感じるアレコレを、「感受性が豊かだった」と形容するのは、きっと正しくないことなのでしょうけれど。自分のひとつの特徴として残しておく価値はあったのではないかと、今更ながら感じてしまいます。

 すべて結果論に過ぎませんが、今の自分は空っぽというか、ひどくつまらない人間に思えてなりません。
 行きつくところまで行ってしまった方が、今よりも面白いことになったのではないかと思う瞬間が、時々あります。

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