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チェコ代表 マレク・フルプ選手の活躍に願いを込めて

2024年9月25日、読売ジャイアンツがチェコ代表のマレク•フルプ選手と育成契約を交わしたというニュースに多くの野球ファンが心を躍らせた。我々野球ファンにとってはまさに晴天の霹靂であった。しかしこのニュースは大谷翔平選手の活躍をも上回るような夢をチェコ野球ファンに与えたことは間違いない。

2023年3月11日、フルプ選手はWBC日本戦で佐々木投手のストレートをレフト戦に弾き返し、4万人の大観衆の東京ドームが静寂に包まれた。佐々木投手はフルプ選手の打球に目を向けて、そしてオーロラビジョンの電光掲示板に目を走らせたようにも見えた。『今のストレートは走ってなかったのか』、佐々木投手の頭に一瞬そうよぎったのか。しかし電光掲示板には163km/hと表示されていた。フルプ選手は佐々木投手のベストボールを撃ち返していた。

マレク•フルプ選手とはどういう選手なのか、チェコ野球ファンにあらためて説明する必要はないかもしれない。193cm、95kgの立派な体躯にジャイアンツファンの夢が膨らみ、そしてチェコ野球の夢を乗せたフルプ選手の今後の活躍に目が離せない。しかし、今回は我々日本の野球ファンがあまり目にすることのないチェコの野球選手の球歴についても触れながらフルプ選手を紹介したい。

マレク•フルプ、1999年生まれの26歳、日本のプロ野球選手に例えると糸井選手や柳田選手のような強肩強打のスラッガーだ。糸井選手や柳田選手がプロ選手としてピークを迎えたのが30歳付近だとすると現在26歳のフルプ選手にはまだまだ成長の余地があり、大きな期待を寄せたくなる。若い時から世代を代表し、18歳で既に前チェコ代表のマイク•グリフィン監督のもとでチェコ代表のシニアチームにも招集され、選手としての経験値も申し分ない。

読売ジャイアンツの公式ホームページにおいてフルプ選手の経歴は『ノースグリーンビル大学』以降の経歴しか表記されていない。しかし野球ファンにとって、フルプ選手がどのような球歴を歩んできたか興味があるはずだ。以下にてフルプ選手の経歴を以下にて紹介する。

チェコの野球人口はチェコ全土で約1万人、多くの野球少年は父親の影響を受けて野球を始めており、フルプ選手も父親の影響で6歳から野球を始めた。かつてはチェコで人気スポーツではなかった野球が、なぜ今の選手の父親世代が野球というスポーツに興味を持ったのか、チェコ野球の一つの疑問である。

東西冷戦が終結した1990年、資本主義の象徴的なスポーツである野球の文化がチェコスロバキアに入ってきた。そしてフルプ選手の父親は「ナチュラル」という映画を見て野球というスポーツに恋をしたという。フルプ選手の父親、ウラジミール•フルプさんはこの映画を観て、その後、7日間連続でこの映画を観に行ったという。それくらい野球に恋をした。

そしてフルプ選手の父は自分でバットを作り、しかしバットの長さがわからなかったため45インチで手作りしたという。当時のチェコにおいてはそれが唯一の野球道具を手に入れる方法であった。とはいえ、フルプ選手のお父さんの野球への愛情が感じられるエピソードである。

フルプ選手のお父さんは選手として欧州の大会にも出場していた。そして、息子マレクもその遠征に帯同し、野球というスポーツにのめり込んでいった。フルプ選手は少年時代の記憶をこう振り返る。

「当時、球場でプレーしている選手達や、ファンがたくさんいる様子を見て、すごく感動しました。『いつかこういうところでプレーしたい』と思っていたので、今の若い選手たちがどんな気持ちで自分達のプレーを見ているのか想像することができます。」フルプ選手は今、自分が夢を与える立場であるということを自覚してプレーをしている。

実際にフルプ選手が少年時代に足を運んだ大会としては、2012年ドイツのレーゲンスブルクで行われた第3回WBC予選、フルプ選手13歳の時である。この年、チェコ代表は初めてWBCの予選に出場した。しかし結果はドイツ代表に1-16、そしてイギリス代表に5-12の惨敗であった。チェコ代表にとって世界の壁はまだまだ厚かった。

それでもフルプ選手は「この舞台に立ちたい」と思ったという。その後キャリアを積み重ね、10年後の2022年、奇しくも同じ場所のドイツ、レーゲンスブルクで行われた第5回WBCの予選にチェコ代表の主力として出場をする。3番バッターとして、予選4試合で打率.353、2HRを放ち、チェコ代表の初めてのWBC出場権の獲得に大きく貢献した。そしてWBC本戦でも東京ドームで躍動し、そして読売ジャイアンツへの入団、まさに順風満帆の野球人生のように思える。

チェコ代表の選手でいうとマルティン•チェルベンカ選手、マレク•ミナジーク選手、ダニエル•バブルシャ選手など、現在は30歳を超えた選手達は今もチェコ代表を牽引している。彼らは皆、10代の時にMLB傘下の球団と契約を交わし、海を渡っている。特にマルティン•チェルベンカ選手がクリーブランド•インディアンスと契約を締結したのはなんとチェルベンカ選手がまだ16歳の時である。チェルベンカ選手は高校卒業後に海を渡り、アメリカで10年間、MiLBのプロ野球選手として活動した。ミナジーク選手はフィリーズと、そしてバブルシャ選手はヤンキースと契約を結び、当時はMLB傘下の球団とヨーロッパの若手有望株の選手で契約がなされるケースが幾つか存在していた。

そのような先輩達の姿を見てきたフルプ選手もアメリカの球団と契約を結び、メジャーリーガーを目指してプレーすることを夢見てきただろう。しかし実際のところ、ここ数年、MLBの球団がヨーロッパの選手と契約を締結するケースは減少傾向にあるという。16歳頃から自身のプロ野球選手として将来像を描いてきたフルプ選手も、MLB球団との直接の契約ではなく、アメリカの大学を通じてのキャリアを考えることになる。実際には、チェコ代表のフィリップ•スモラ選手やダン•パディシャーク選手などもアメリカの大学で揉まれて大きく成長している。

2017年10月、マイク•グリフィン監督率いるチェコ代表はアメリカに遠征を行い、アメリカの大学と対戦をしている。対戦した大学はNCAAのDivision1(アメリカの大学の最高峰のリーグ。花巻東高校卒の佐々木麟太郎選手のDivision1で活動予定。日本でいう一部リーグの大学。)であり、過去にもチェコ代表はアメリカの大学と試合を行っているがそこには後のメジャーリーガー達が多数いた。

この2017年の遠征には最年少選手としてマレク•フルプ選手とボイチェフ•メンシーク選手(メンシーク兄弟の弟)が選出されていた。この遠征の最後はNCAA Division 1の強豪、ノースカロライナ州立大学との対戦であり、チェコ代表は敗れはしたものの3-4と善戦した。対戦相手の選手が190cm,100kgを超えるような名門大学のチームにもチェコ代表は臆することなく対等に戦った。そしてこの名門のノースカロライナ州立大学からフルプ選手とメンシーク選手は入学のオファーを受けることになる。マイク•グリフィン監督は実際にノースカロライナに住み、そのエリアの学校や指導者とコネクションを持っていたという。

ちなみに2023年WBCのチェコ代表の記念すべき最初の打点がフルプ選手であり、最初にホームベースを踏んだのがメンシーク選手である。この2人はノースカロライナ州立大でルームメイトでもあった。実は当初、フルプ選手はノースカロライナ州立大のオファーに迷ったというが、3000人が収容される大学のスタジアムや施設などは素晴らしく、野球をやる環境としては申し分がなかったという。

しかし入学当初、フルプ選手は怪我に悩まされ、また2020年はコロナで試合の機会が激減し、帰国を余儀なくされた。ここでフルプ選手は確実に試合への出場の機会を得るためにノースグリーンビル大学に転校することを選択する。これも不思議な縁であるが、チェコ代表の投手コーチのかつてのチームメイトがノースグリーンビル大学のヘッドコーチをしており、その繋がりでフルプ選手はノースグリーンビル大学で野球をやるチャンスを得た。

ノースグリーンビル大学はNCAAのDivision2に所属するチームであるが、Division1の大学にも引けを取らない強豪大学である。そこでアピールに成功して出場機会を得たフルプ選手は、目覚ましい活躍を見せ、3年連続OPS1超、二桁本塁打と二桁盗塁の記録をする活躍を見せ、2022年にはNCAA Division2で全米チャンピオンにも輝き、フルプ選手自身もオールアメリカンに選出されている。まさに飛ぶ鳥をおとす勢いの活躍であった。しかしノースグリーンビル大学がDivision2であったことからMLBの球団から見られる機会はそう多くなく、また、フルプ選手は当時24歳で、『ちょっと年上の大学生』という見られ方をしてしまった。しかしメジャーリーグで活躍できる可能性が少しでもあるならば諦めたくない、という気持ちがフルプ選手を奮い立たせていた。この時、一緒にノースカロライナ州立大に進んだメンシーク選手はNCAA Division1で華々しく活躍して、チェコ人で初めてカレッジワールドシリーズに出場した。そしてエンゼルス傘下との契約を勝ち取った。元チームメイトの活躍にフルプ選手は悔しさを感じていたに違いない。

アメリカの大学生活は上記の通りであるが、チェコ代表での活躍にも触れておきたい。
2015年、清宮幸太郎選手が早稲田実業の1年生で甲子園を席巻した夏、U-18ワールドカップが大阪で開催されたがフルプ選手は若干16歳で既にチェコ代表の主軸を担っていた。そして、2019年にはU-23欧州選手権では父親のウラジミール•フルプが監督としてチームを率い、フルプ選手は3番としてチームを牽引し、チームは欧州チャンピオンに輝いた。そして、2021年のメキシコで開催されたU23ワールドカップでは開幕戦で前回チャンピオンのメキシコと対戦し、WBC日本戦で先発したサトリア投手が好投、そしてフルプ選手の走者一掃のタイムリーでメキシコを5-1と退けた。同年に開催されたU23の欧州選手権では、フランス戦の最終回2点ビハインドから自身のキャリアで初めてとなる逆転サヨナラ本塁打を放っている。なお、この年は既にシニアチームの主力としても活躍して、マイク•グリフィン監督のもとチェコ代表として最強の戦力を揃えた中のラインナップにフルプ選手の名前もあった。イタリアで開催されたシニアチームの欧州選手権の大事な試合であった準々決勝のイスラエル戦でもフルプ選手は本塁打を放っている。

そしてフルプ選手の活躍といえば、なんと言ってもチェコ代表に初めてのWBC出場権の獲得をもたらした2022年のWBC予選だ。フルプ選手は強豪スペインから2本の本塁打を放ち、特に代表決定戦のスペイン戦の終盤、3-1でチェコをリードしている展開、ツーアウトランナー1塁2塁からのライト前ヒットで二塁ランナーをホームでアウトにしたフルプ選手の強肩はまさにチェコ代表を救ったプレーであった。捕手のチェルベンカ選手がフルプ選手の送球を上手くすくいあげランナーにタッチし、スペインの反撃の芽を潰している。いつもは冷静なチェルベンカ選手が感情を露わに表現したこのプレーはもしかしたらチェコ代表の歴史的な分岐点となっていたかも知れない。

その代表決定戦スペイン戦の9回ツーアウトになった段階で実況がこう語った。

「Pavel Chadim told us on the day-1  of this tournament that his team was from a small country with big dreams」

スペイン代表の最後のバッターをファーストゴロに打ち取った瞬間がチェコ代表の夢が叶った瞬間であり、そしてまたチェコ代表の次の夢が走り出した瞬間でもあった。この瞬間を境にフルプ選手の活躍の舞台も飛躍していことになる。

WBCの初出場時、フルプ選手はこう語っている。それはチェコ代表の明確な成長の証でもある。

「WBCに予選を通過したことは、チェコ野球にとっては素晴らしい成果でした。チェコのテレビで野球が放送される初めての機会だったかもしれません。私たちが予選を通過した後に大きなニュースとして取り上げられました。これは本当に素晴らしいことです。人々が野球について話し始めたり、ルールや私たちのチームに興味を持ち反響がありました。これは非常に大きなことだと思います。もっと多くの選手がチェコで台頭すれば、野球をしたいと思う子供は増えるでしょう。それはチェコにとって本当に素晴らしいことです。
過去10年間、チェコ野球は飛躍的に向上しました。以前は、世界選手権や欧州選手権などの大きなイベントがあると、参加してバカンスに行くような感覚もあったかも知れません。
でも、もうそんなことはありません。どこに行っても、私たちは勝つために、競うために行くのです。戦う集団として絶対に勝つという強い気持ちを持って臨んでいます。これは、私たちの前の代表チームの監督、マイク・グリフィンが作り上げた文化です。マイクは選手たちに対して、野球に多くの時間を投資する必要があると伝え、私たちが大舞台でプレーし、最高の選手たちと競うために必要なことを示してくれました。
そして、現監督のパベル・ハジム監督も、どの試合でも勝つために準備し、競うというマイクの哲学を引き継いでいます。10年前と今を振り返って比較すると、どこでどんな相手と対戦する時も勝つために挑戦するという強い気持ちを持って我々は臨んでいます。」

2023年3月、フルプ選手は東京ドームでのWBC一次ラウンドで躍動した。フルプ選手は世界にその存在感を示した。当時、仕事をしながら野球をするチェコ代表の二刀流の活躍に世界中が注目した。そのチェコ代表の中心選手がマレク•フルプ選手であった。そして野球の本場アメリカでもチェコ代表の活躍は大きな話題を呼んだ。

そして、WBCが終わってアメリカの独立リーグ(アメリカン•アソシエーション)、レイクカウンティでもOPS1超の好成績を残した。当時、フルプ選手の活躍にMLBの30球団中、14球団がフルプ選手の獲得に名乗りをあげたという。しかし最終的には実現には至らなかった。年齢的には20代中盤に差し掛かり、この時フルプ選手には葛藤があったかも知れない。確かに米独立リーグからアメリカのマイナーリーグに活躍の場を広げる選手も多数いる。しかし、10代の選手に注目が集まりがちなアメリカでは、10代の中南米の選手の伸び代に焦点が当てられがちでもある。当時フルプ選手は24歳、例えば17歳の中南米の選手は24歳まで7年間の伸び代がある。メジャーリーグは後者の伸び代に投資をする時代にある。そしてメジャーリーグの球団からすると、高い契約金を払っている中南米の選手に活躍の場を用意するのはビジネスの観点で自然なことでもある。野球が活発とは言えないヨーロッパで生まれ育った選手にとってこの点はどう作用しているのであろうか、MLBの各球団のフロントや他の選手の動向など複数の要素が関係しているため、自分ではコントロールできないことが多く、プロの世界では予測が不可能なことがあまりにも多い。

「6歳から毎日野球をやってきて、いつも最終的な目標はメジャーリーグであった。キャリアの中で、人生の中で、メジャーリーグでプレーする小さなチャンスがある限り、私に出来ることは何でもするつもりです。」当時フルプ選手はこう語っていた。

「もしかしたら、そのチャンスがないと認めざるを得ない日が来るかもしれません。それはすぐに来るかもしれないし、少し先になるかも知れませんが、そうなった場合は、別の道を探し始めるかもしれません。」

しかし、チェコという「小さな国」からやってきた青年の夢はまたまだ終わらない。読売ジャイアンツの一員として「大きな夢」を掴んでくれるはずだ。マレク•フルプ選手にとって、NPBはMLBと並ぶ最高の舞台に違いない。2023年WBCでチェコ代表が一次ラウンドで東京プールに組み込まれることが決定した時、東京ドームという舞台で世界を相手に戦えるという瞬間を想像して、フルプ選手は胸が躍ったという。

アメリカでの生活は決して順風満帆だったわけではない。苦労に苦労を積み重ね、茨の道を歩み、歯を食いしばりその時を待っていた。そんな中で勝ち得た読売ジャイアンツとの育成契約、遂にチャンスを掴んだ。フルプ選手は今野球に飢えている。ここまで野球に貪欲な外国人選手はいないのではないだろうか。2025年、フルプ選手の活躍の舞台は東京ドームになることを期待している。NPBの戦士として、読売ジャイアンツの選手として、東京ドームを舞台に躍動するフルプ選手には、チェコの野球ファンだけでなく日本の野球ファンの心にも届くだろう。フルプ選手の活躍から目が離せない。

Czech baseball association, External Deputy 斉藤佳輔

Information Source: BaseballCzech

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