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フルプ選手の巨人での活躍に願いを込めて(2)

かつてチェコの野球界で「フルプ」というと、ウラジミール・フルプを指していた。

巨人に入団したマレク・フルプ選手の父である。

そのため息子フルプはフルプ・ジュニアと言われていた。ユニフォームの背中にもChlup.Jr、背番号は37、今のジャイアンツの背番号037はその頃の番号から来ている。


フルプ選手の父は子供の頃、映画『ナチュラル』を観て野球に恋をした。当時のチェコは東西冷戦が終わりを迎えて民主化を手にした頃、両手を広げて野球ができるようになったのもこの頃であった。


フルプ選手のお父さんは、「野球」というスポーツに恋をした。そこから実際に道具を手に入れるまでに何か月もかかったという。プラハで野球関連の本を扱っている店で人と出会い、そこでようやく道具を手に入れることができた。それまでは家具を削り出してバットを作り、しかし長さが分からなかったため45インチのバットを作ったという。


フルプ選手の父は今ではエクストラリーガ(チェコで最高峰のリーグ)で指導し、かつてはU-23代表監督も務めていた。そして息子マレクはチームの主力メンバーでもあった。


チェコのコーチたちは冗談混じりにフルプのお父さんに言っていた。


「マレク(息子)を研究室で作ったんじゃないか」


それくらい息子マレクは抜群の身体能力を誇っていた。WBCでもその能力をいかんなく発揮した。そして今日、巨人の一軍で堂々初ヒットを記録した。


2年前、マレクはノースグリーンビル大学でスター選手として活躍し、絶対的な存在であった。


しかし、MLBのスカウトからはこう言われ続けた。


「24歳はもう年齢的に厳しい」と。


それでも自分の力を証明しようと必死に挑んできた。


かつてはNCAA Division1 (1部)の強豪ノースカロライナ州立大学に所属していたが、プレーの機会を求めてDivisin2(2部)ノースグリーンビル大学に転校した。当時はトランスファーポータル制度がなく、Division1の大学間での転校は1年間の出場停止期間が設けられていた。


「Divisin2からMLBにいけるのか?」

「速球に対応できるのか?」


マレクはスカウトからこのような疑問を持たれていた。


しかし2023年、WBCで世界最高レベルの投手、佐々木朗希を相手に二塁打を放った。佐々木朗希の101.9マイル(約164キロ)をフルプは109マイル(約175キロ)の打球速度で二塁打を放った。




チェコの野球選手は普段それぞれ本業を持っていて、空いた時間や休暇を使ってエクストラリーガ(国内リーグ)でプレーをしている。


しかも、無報酬である。お金は一切もらっていない。ゼロである。フルプ自身もアメリカでのシーズを終えるとプラハに戻り、父のチームでプレーを続けてきた。もちろんアマチュアとして、である。


だからこそ、「野球愛」という言葉を口にするとき、まさにフルプのようなチェコ代表のことを指していると言っても過言ではない。


その情熱と覚悟で、フルプはただ自分の力を証明するためにグラウンドに立っている。


その姿を見て、かつての「フルプ」もきっと喜んでいるに違いない。




Czech Baseball Association External Deputy 斉藤佳輔

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