チェコ代表のWBC予選(4) 代表決定戦 スペイン戦
負ければ終わりの敗者復活戦で連勝。遂に代表決定戦まで勝ち上がった。
相手は再びスペイン。初戦に21失点した相手。
スペインとはWBC予選前に練習試合をしている。しかし本番では別の陣容となっていた。南米との二重国籍の選手を多く有するスペインは強力な布陣を敷いていた。
スペインの先発はメドラノ、ニカラグアとの二重国籍を持つ選手だ。メキシカンリーグで活躍するプロ野球選手。メドラノはこの試合に敗れてWBC本戦ではニカラグア代表として出場している。
チェコの先発はマルティン・シュナイダー。
普段は消防士であり、仕事の関係で週末に行われる国内リーグの参加は難しい。長きに渡りチェコ代表のエースとして活躍したシュナイダーも36歳を迎えていた。
そのシュナイダーの2022年の国内リーグでの登板イニングは僅か19イニング、しかも二部リーグである。シュナイダーの先発起用にテレビの実況も驚いていた。
『彼は今年のシーズンでは19イニングしか投げてないんだ。そんな投手がこの大舞台で先発に抜擢されました。』
誰よりも本人が驚いた。シュナイダーは中継ぎでの登板を予想していた。フランス戦でも中継ぎでマウンドに上がっている。
ハジム監督は自信を持ってシュナイダーを送り出した。ハジム監督は投手コーチのジョン・ハッセーに聞いた。
『もしこの試合に100万ドルがかかっているなら誰を選ぶ?』
意見は一致していた。彼らにとって100万ドルのピッチャーはマルティン・シュナイダーだった。気持ちの強さがその理由であった。
試合がスタートした。1回表、スペインのメドラノは三者連続三振で完璧な立ち上がり、そして1回裏、スペインは幸先よく先制した。
初戦に21点を取った強力打線。
初戦と同様にここから勢いを増していくと思われた。チェコの選手でさえもそう思った。それくらい迫力があった。
しかし2回表、ムジークの一振りがスペインの出鼻を挫いた。
逆転ツーラン。初戦に続いて今大会2本目。確信歩きで打球に目をやりながらムジークはゆっくりとダイヤモンドを一周した。
4回にはフルプのソロホームランが飛び出した。相手投手の決め球、チェンジアップをレフトスタンドに運んだ。完璧なホームランであった。
その後、スペインは塁上を賑わすも点が奪えない。シュナイダーの技巧的なピッチングに惑わされた。チェコ代表の堅守もまた見事だった。
僅差のリードで塁上にランナーを抱えるチェコ守備陣、極限の緊張感の中で選手達はフィールドに立っていた。
夜になり気温は真冬並みに下がった。球場のライトの数は少なく、野手陣の白い息と夜空の光景が緊張感を増幅させた。
チェコ代表の内野にシュナイダーの姿がないのは10-12年振りである。
シュナイダーは代表のエースとしてチームを支える一方、登板のない日は1番ショートが定位置であった。
22歳の時、ミネソタ・ツインズと契約寸前まで行った。球団側は投手としての可能性を見ていた。しかし、シュナイダーは野手との二刀流にこだわった。
ピッチャーとショートとリードオフマン、3つの役割を果たしてきた。消防士として働きながら、である。
オリンピック予選では勝ち越しタイムリーを放ち、そのまま抑えのマウンドに上がった。勝利打点とセーブを同時に記録した。
オリンピック予選を兼ねた欧州選手権のドイツ戦ではショートとして起死回生のファインプレーがあった。3-2とチェコがリードして迎えた9回裏、ノーアウト満塁のピンチを迎えた。地元ドイツの声援を受けながら、流れは完全にドイツにあった。
痛烈な打球はピッチャーの横を抜けた。センターに抜けたと思った。守っていたチェコの選手も皆そう思った。
突然シュナイダーが視界に現れた。横っ飛びでライナーの打球をショートバウンドでキャッチした。そして一回転してホームに投げた。
6-2-5のゲッツーが成立した。ドイツの選手が呆然としていた。球場全体がどよめいていた。それくらいシュナイダーのプレーが異次元であった。
シュナイダーがいなければ今のチェコ代表は存在しない。
そしてシュナイダーを上回る内野手はいない。そんな時代が長く続いた。
そんな中、チェコに若い世代が台頭した。
ボイチェフ・メンシンークとフィリップ・スモラ。
彼らが遊撃手であるシュナイダーを脅かす存在になった。いや、彼らのおかげでシュナイダーは投手に専念することができた。
ボイチェフ・メンシークはこのWBC予選で2試合連続でバックスクリーンに先頭打者本塁打を放った。
チームに勢いを与える一打はいつもメンシークからである。
彼はマレク・フルプとともに強豪ノースカロライナ州立大に進学して試合に出るチャンスを得た。そしてチェコ人で初めてカレッジ・ワールド・シリーズに出場した。全米でベスト4に輝いた。メジャーリーガーでも有し得ない実績を彼は持っている。
小柄な体から信じられないくらいのパンチ力がある。何よりハートの強さが武器だ。どんな大舞台でも物怖じしない強さがある。勝負強さも兼ね備えている。
『メンシークならやってくれる』
そんな期待をベンチに持たせてくれる選手であった。今では兄とともに兄弟でチェコ代表を支えている。
WBC予選でサードを守るフィリップ・スモラはアンダーカテゴリーから代表を牽引してきた。U23のカテゴリーでは17歳から7年間代表を率いた。
彼は導かれるように野球を始めた。そして野球の虜になった。
彼の実家には古いグローブが飾ってある。
彼の祖父はチェコのロキツァネ出身だ。
第二次世界大戦時、チェコスロバキアはナチスドイツによって解体され、ドイツ軍に支配された。1945年、スターリングラードの戦いでソ連軍に敗れたドイツは後退を余儀なくされた。ドイツ軍が占領していた中東欧諸国はソ連軍によって解放された。チェコスロバキアも同様だった。
しかし一部の地域ではアメリカ軍によって解放がなされた。その一つがロキツァネという町だという。
この時、アメリカ軍がレクリエーション用に戦場に持ち込んだグローブが地元の住人に手渡された。それがフィリップ・スモラの祖父であった。そのグローブが今も大事に飾られている。
スモラの祖父と父は野球の虜になった。そして息子フィリップが生まれた。
『お前は野球をやるんだ』
スモラは導かれるように野球を始めていた。プラハの片隅にある野球場で祖父と父親と、そして友人達と汗を流した。
17歳で単身アメリカに渡りIMGアカデミーを卒業、その後はチャールストン大学で野球の腕を磨いた。学業でも優秀な成績を残した。
今では国を代表する選手となった。この大会からレギュラーに定着した。
このWBC予選でスモラはサードに、メンシークはショートに起用された。シュナイダーは投手一本に絞った。
シュナイダーの好投が光った。塁上にランナーを抱えるもチェコの守備陣は必死に守った。全員でシュナイダーを盛り立てた。シュナイダーはスペイン打線を最小失点に抑えた。
これまでシュナイダーは、何度も『小さな成功』を積み重ねてきている。しかし彼のキャリアを象徴するような、誰もが記憶に残るような”ビッグモーメント”はなかった。
それでも彼は言った。
『今夜こそ、その瞬間が訪れると思う』と。
7回、ピンチを迎えたところでシュナイダーがマウンドを降りた。
ハジム監督の起用に応える見事なピッチングであった。彼のキャリアでハイライトとなるピッチングとなった。彼の思いは後続のピッチャーに託された。
代わりにマウンドに上がったのがミナジーク。
仲間の想いを背中で感じならミナジークはマウンドに上がった。
念願のWBCまであと3イニングに迫っていた。
(つづく)