自己紹介
初めまして。
簡単に私の自己紹介をさせてください。
私はいわゆる田舎育ち、
最寄りの電車の駅まで自転車で30分、
近所のコミニティバスは1日に2本。
移動には車が必須という場所で生まれ育ちました。
小学生の頃、好きだった男の子が中学受験をすると聞いてなんとも安易な気持ちで追いかけるように私も中学受験し私だけが合格し地元から離れた中高一貫校へと進学しました。
ひと通りのいじめを経験し、少しずつ壊れていった私は見事にグレてしまい高校にそのまま上がるも2年の初めに中退。
ところが中退後、アルバイトをしながら生活するうちに考え方も変わり
高校中退から半年後、通信制の高校へ受験し編入。
同じように働きながら高校を無事に卒業したのが20歳。
当時は仲の良い友達の結婚、出産が続き自分も意識するように。
合コンや、婚活パーティーがまだ盛んでした。
都合が合う時は血眼になって参加しました。
で、結局結婚した相手は知人の紹介で出会った同い年の彼。22歳でした。
同時に夫婦共々不妊であることが発覚し、不妊治療を始めました。
当時通ったクリニックも家から車で1時間かかる場所にあり
田舎が故、選べるほどクリニックもありませんでした。
当時は不妊治療は自費負担とされ、夫婦2人のお給料のほとんどが治療費へ。
もはや不妊治療の為に仕事をしているような状況。
丸1年、クリニックに通って授かった息子は、複数の病気を抱えて誕生しました。
息子のことだけが理由ではありませんが、
夫とは息子が生まれてから別居と同居を繰り返し、最後は弁護士を入れて調停離婚しました。
離婚届が出された時の息子は当時1歳半でした。
とはいえ、入退院を繰り返していたことと別居の期間は父親と触れていないので、特に父親に懐くような様子もありませんでした。
シングルマザーでの生活は楽ではありませんが
息子も4歳になり、命に関わる病気の手術は終えました。
まだ手術は2つありますが、心機能、肺機能がもうすこし発達するのを見守っています。
昨今、さまざまな環境や生活に対して自由に発信する事ができるようになりました。
育児、障害、離婚、母子家庭もさまざまな意見がありますね。
私は冒頭に紹介したように平々凡々と健康な暮らしをしてきました。
きっと息子は私とは違う苦労と、幸せを経験します。
何が言いたいのか、というと
息子は健常児と共に生活できるレベルのグレー児です。
障害と聞くと、ドラマで見るような家族の絆や本人の頑張り、辛い治療、などフォーカスすることもあるかと思いますが
息子を育てていると、グレーはグレーなりの大変さや葛藤もあることに気づきました。
極端な表現になりますが、攻撃してくる人は居ます。
それでも、温かく優しい人も居ます。
息子は、いろんな人に支えられています。
微力ながら
少しでも誰かの気持ちを楽にすることが出来たら。