気がついたら仲間に守られていたのは自分だった。
昼休みが終わって、ほっと一息つこうとしていたその時、不意に「クライアントと打ち合わせ出られる?」と告げられた。今日が納期の仕事が山積みで、不安がじわりと広がる。とても時間が取れないと伝えたが、出席しないわけにはいかない事情もわかる。
そんな私を見て、隣の席の同僚が「一緒に出ますよ」と静かに微笑んでくれた。ささやかだけれど、その気遣いがなんだか心に染みた。その優しさが小さな灯火のように胸を照らしてくれる。
会議の間、クライアントから私に質問が集中。クライアントは私を懇意にしてくれているからだ。
緊張で心臓が跳ねるのを抑えながら、必死に自分にことばをかけた。「だいじょうぶだいじょうぶ。責められているわけじゃない。ただ知りたがっているだけ」と。
ひとつひとつ答える。声は大きく、堂々と見えるように。
隠せない不安が現れ、必死な表情をしていただろう。
もしこの時の自分を後ろから見つめることができたなら、涙ぐんでいたかもしれない。
その日の夜、無事に納品を終えた時、心の中にふわりと温かさが広がった。
完璧な仕上がりではなかったけれど、限られた時間の中で自分なりにやれるだけのことをしたと感じられた。何より、そんな自分を見守ってくれる仲間がいて、私は一人で戦っているわけじゃないんだと改めて思うと、感謝の気持ちで満たされた。
周りを見ると、職場にいつもの笑顔や何気ない雑談が漂っていて、その和やかさに支えらる。まるで、冬の寒い朝にコーヒーを一口すするときのような、じんと体の奥に届く温もりだ。
周りの仲間の心理的安全性に少しでも貢献できればと思って仕事をしてきた。
気がついたら仲間に守られていたのは自分だった。
そして翌、土曜日の朝。
玄関を開けると、空は透き通るような水色に染まっていた。冷たい風が頬をかすめ、そのひんやりとした感触に「なんだか今日は良い日になりそうだ」と、ふとそんな予感がよぎる。
普段は少しうるさく感じる車の音も、なぜか心に響くリズムのように聞こえて、どこか心地よい。
こうして小さな出来事の中に、何か大切なものが潜んでいるのかもしれない。
柔らかな風と青空に包まれた朝は、そんなことをそっと教えてくれる。