川遊びのすすめ
昔むかしあるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川に洗濯にいきました。。。
日本人の生活にとって山と川は切ってもきれない濃密な関係がありました。
でも今は❓❓❓
川は危険です‼️
んな、あほな⁉️
生活から切っても切れない位置にあった川がどうやら不良の象徴になっている。
最近、近所のため池で釣りをしていた男の子たちが補導された。そんな話を聞きました。
そんなにダメなことなのか?
川遊びは許されないことなのか?
親は怒ったのか?叱ったのか?
はたしてどんな風に?
心配させるな!とか?
人様に迷惑をかけるな!とか?
警察に怒られたから、怒ったのか?
何が正義で、何が悪なのかわからない世の中において、川はわかりやすく「悪」であった時期がある。
高度経済成長の時代、下水や汚水、排水を垂れ流し川の汚濁は進んだ。
水俣病やイタイイタイ病など川から広がった疾患もある。
でも、それは一部の川であって、全てではない。ヒトの生活が、河川環境に及ぼした影響は計り知れない。例えば、道を作るために谷を埋めた土砂は数十年の時を経て今、河川に流出している。
ヒトの生活の果てが川を通り越して、海で顕在化している。川はおざなりにされている感もあるのではないかと、言いたいです。
森里海連環学という学問があり、それを少し学びかじっている。そこで声高に叫んでいるのは「通路としての川の分断」
川に生活を寄せている人や生き物にとって、川は常に変化し、下流に流れていくから瞬間的な変化や悪化は目にうつらない。気が付かない。
だから、手を加えやすかったのではないのかなと思う。
また水害が生活に及ぼすリスクを排除する動きはわかりやすく、河川土木に対しての予算がとりやすい、そして通りやすい。
インフラ整備の名目、ヒトの生活を守るために投じられる予算は兆円単位で動く。
そりゃー、ツケを後回しにして目先の儲けとリスク排除とに進むわな。わかります。
でも、限界が来ていることに目をつむれない事態が現状だと思う。大金をかけて作ったダムをぶっ壊す。
大変だと思う。
作る努力は前向きに見えるが、あるモノの破壊はネガティブな行動だと印象付ける。
今まであった自然を壊してまで作ったものであっても、その何かを潰して戻すというのは進めるよりも大変なようだ。
作らない努力。
今、北陸新幹線の線路が人の住まない山間部に掘られようとしている。誰が乗るのかわからない電車に自然が殺されかけている。まさに死刑宣告だ。
自然にインパクトは与えません。
人の生活に影響はありません。むしろ、こんなにもいいことがあります。マイナス1時間でこんなにも遠いところに行けるようになります。
高速鉄道によって、日本は良くなるのです。可能性が広がるのです。
嘘つき‼️
そこにある結果は、すでに目に見えているものなのではないのかい?
わかっているものではないのかい?
目をつむってもいいのかい?
綺麗な川を取り戻そう。そんな動きをことごとくつぶすものではないのかい?
多数決では弱い田舎の声が都会の利便性のためにつぶされる。
ジョンミューアー、森の聖者という本がある。
アメリカのナチュラリスト、自然公園の父と言われた国立公園の制度を作った人の伝記だ。
アメリカの大統領をキャンプに連れ出し、サシでロングトレイルを歩いて「現場主義」を突きつけた偉人です。
今、日本に必要なのは「足を運ぶこと」
オンラインとオフラインの言葉遊びをする前に山を歩きたい。利己主義な歩き方ではなく、自然が主語になっている歩き方をしたい。
季節が春めいてくれば川に足をつけてください。
ダイレクトに自然の声が聞こえます。
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