
あの子は貴族-化石になる前にしなきゃいけないことにきづいた話-
「あの子は貴族」がいいらしい。
リバイバル上映があるから見に行かないかと誘われたものの、時間が合わず断念した映画である。
門脇麦と水原希子という異色の組み合わせ。
内容を深く知らないけれど、ちらっと見たポスターの記憶を辿った。都会育ちと上京してきた女。水原さんが上京してきたほうなのかー、へー。と確かにちょっと気になっていた。映画はまた後で見るとして、話題の一つとして原作を読んでみようと思って手に取った。
軽い動機で手に取ったものほど、刺さる率が高い今日この頃。何なんだ、最近。
こういう何となしの気持ちで手に取ったもの。それによってこの小説の登場人物である華子も最終的に自分を確立して、生き生きとしていくのだけれども。それまでの話がもう、梅雨。梅雨の時期のあの気だるげな、湿度のまとわりつく夏の前のような話だった。でも文字を追う苦痛はなく、作者の文章力のすごさを感じる。なかなか、読むスピードを遅くしないのに、思い空気感、閉塞感、気だるさを感じる。そんな離れ業が成し得るんだなという感想。それゆえに最終章が梅雨明けの青空のように清々しい。
読み終わって、結婚もとい共同体として暮らすということについて考えさせられる。
なんなら5年前の自分に渡したい。
となりのトトロでカンタがサツキにおはぎを渡すように「ん!」とだけいって、無理やり渡して読ませたい。あの頃の自分は、華子と同様、恥ずかしいくらい、結婚がしたかった。もとい、結婚という形によって、相手からの愛情を形として認識したかったのだと思う。つまるところ安心したかったのだ。相手から愛されているのか不安になって、周りの結婚を見るたびにいいなぁと羨望して、親類・友人からせっつかれ、もう色々と重なりに重なって、盲目になっていた時期。6年も同棲していたし、結婚したり家族が増えていく友達を見て、これからのことに目が向いた結果でもある。時を経て、今その状況を考えると結婚できなかった理由は私にある。相手の気持ちも考えずに。共同体として暮らす相手の不満も受け止めずに。自分のやりたいことはやりたいし、相手がそれを嫌だと伝えてくれても、折れないことが多々あった。相手は相手。自分は自分。今思えばそれで結婚したいなどとよく言えたものだと思うし、何ならその状態でも6年付き合ってくれた彼氏は本当に寛容だったなと思う。結局、7年目にしてその人とは別れた。最後の一年は地獄だった。愛されている実感もなく、会話もなく。相手の愛情を得るために何をしたらいいのかわからず、消耗するだけの日々だった。心が動かなくなっていって、このまま自分は化石になっていくんじゃないかとさえ思った。別れようと言われたときには、ああやっとかと笑ってしまったほどである。それでも別れてからも嫌いになれないという体たらくだからどうしようもない。もう今更恋愛としての好きは流石に残っていないが、人としてすごいなと思う部分はあるので(面と向かっては絶対言わないが)嫌いにはなれない人である。一緒に過ごした時間が長すぎたのもあると思う。
結婚において、もとい共同体として暮らすにあったって必要だったなと切に思うのは、作中に出てくる「ケア」である。男性が付き合うまでにする女性への扱いと付き合った後の女性への扱いが違うことに対する華子の不安だ。海外の男性と比べると日本の男性は付き合った後のケアに力を入れない度合いが多いらしい。それが本当かはわからないけれど、何となくそんな気はする。歴史的背景を考えれば、男尊女卑が長かった日本においてケアする必要がなかったというのもあるかもしれない。そして、それゆえに妻たるもの夫の一歩後ろを歩くべし的な美徳があったのであり、家長の決定は絶対的な部分があったのだろう。結婚は忍耐であるという言葉があるくらいだ。耐え忍ぶことも必要なのだろう。ただ、その忍耐が片方に比重がかたむき、一方が耐え忍ぶだけではきっとぽきりと折れる。男性から女性への問題だけではなく、女性から男性だったとしても同じだと自分は反省する。だからこそ、両者折れ合える関係、心を開いていくこと、そして相手によって心が動かされることが必要なのではないかと思った。相手の言い分をきき、のめるところはのみつつ妥協点を探していける、そして相手の言動に心動かされる時が存在する、そんな関係。既婚の友達と飲むときには大抵旦那の愚痴から始まるが、最終的に煮詰めて聞いていくと相手への好きが結局のところ多い。そんな奥さんを見ているとニマニマしてしまう。だから、喧嘩した!愚痴聞いて!!のお誘いは結構好物だったりする。相手への怒りは好きの裏返しであることも多い。怒りや何の感情も起こらなくなってきたら、自分が化石になって干からびていくだけだ。化石になる前に色々試行錯誤して何なら相手と喧嘩したほうがいい。化石になるのではと感じたら一刻も早くその人から離れたほうがいい。そのほうがお互いのためだ。
化石になる前にやらなければいけないこと、それを「あの子は貴族」で私は感じた。
でも、できることならば、ポスターを見る前に原作読みたかったわ。映画も見ねば。
読んだ本『あの子は貴族』山内マリコ著