「きめつける」を考えてみる。
人は、よく「きめつけるな」と主張する。
自分が、否定され、阻害されたと考えるからであろうか?
きめつける言い方をする方も問題だが、「きめつけるな」と否定する人間からしても、「きめつけるな」という「きめつけ」をしているのではなかろうか?
理屈っぽいというより屁理屈のような気もするが、表もあれば裏もある。
光当たるところに影がある。
一方の言い分を聞けば聞くほど、もう一方の言い分も正しいと思えてならない。
言葉の使い方はむずかしいものだと、あらためて気を付けなければならないと考えてしまった。
私は、めんどくさい人間ではないと思いたいのであるが、めんどくさい人間なのかもしれない。