夢を見てた
どうも。
長いツイートです。
お酒で失敗しました。
僕は自覚があるんですがHDMI(隠語)気質で、というか診断されるのが怖くて宙ぶらりんにしているのですが多分そうです。いやほんとうに怖いのは診断されることじゃなくて、もし診断されてしまった時に処方されるという薬が怖くて、診断されてもいないのにそれを怖がってなにも調べていません。治療の薬は噂によると性格まで変わるらしいので、僕は自分の性格が変わるのがこわい。自分の忘れ物がひどいところとか、注意が散漫なところとかに自分なりに向き合ってきたつもりで自分としては必死に今の人格を作り上げてきたのにそれを薬なんてもので簡単に捻じ曲げられてしまったらそれまでの苦痛とか経験とか試行錯誤はなんだったんだと、自分の人生自体を否定された気になってしまう。それにこの性格で作り上げてきた今の人間関係が変わってしまうのではないかと考えてしまう。きっと性格が変わったことも自覚できないんだろうけど、それでも。
そうしてまた、慣れない幹事を行い、うまくいくか不安で食事が喉を通らず、空いた腹に酒を入れて全て吹き飛びました。なんだったんだマジで。
休日にやらなきゃいけない仕事振られて断れなくて(ここから全て始まっている)乗り気でない20人分のスケジュールを調整しながら会場押さえて案内作って金払って、吐いて倒れて最後は全員に謝って翌日自分のせいで会場退出の不備に対して金を払う。結局もっと僕の準備がよかったら、当日しっかりしていればぜーーんぶ回避できた上に周りがしっかりしていたおかげでその被害が最小限になっているというキャリーっぷり。自己嫌悪が止まらない。くせに自分の心を守るためにヘラヘラ道化ぶっているのが常で、結局さらに自分の首を絞めていく。いつもこれ。多分全く同じシチュエーションになればもっと上手くできるんだろうけど、きっとこれからも失敗してそのたびに自己嫌悪に陥るんだろうなーーーーーーーーと気が重い。1の失敗から1学んで、また不注意とうっかりというやつで終わるんだろうなと思う。
もう正直自己嫌悪には慣れてしまいました。きついし3歩進んで2歩さがってばかりで苦しいけど必死にしがみつく気だけはあるのでこれからも1から1学んでいこうかと考えています。あーあ。軽く吐き出したらすっきりしてしまいました。もっと恨みつらみ吐き出しまくってやろうと思ったのに。でもそれだから側から見て落ち込むことも悟られにくいんだろうし、また死ぬほど嫌な気分にもなるんだろうけど鬱にもならずにだらだら文句言って生きていけるんだろうなとも、思う。
過去のトラウマが刺激されたのでせっかくだから消化しておこうと思います。
幼少期、主に小学生の頃。振り返ると僕はあまりにも典型的な「本物」でした。
僕が通っていた小学校のクラスには「毎日ハンカチを持ってこよう!」という教育がありまして、毎日朝のホームルームにて机の上にハンカチを出してチェックする、というものがありました。当然僕は死ぬほど忘れていきます。はじめは普通に忘れていき、母にそれを報告すると毎朝ハンカチ持ったか声をかけてくれるようになりました。それでも「トイレ行ったら持つ!」などと言い忘れていきました。最終的には玄関に母がハンカチを置いてくれました。優しすぎる。しかし僕はそれを見て「ありがとう!」と言い、靴を履いたら忘れて学校に行きました。何度も先生に怒られました。(その時母が僕を怒ることをしなかったのはすごいと思います)
これだけでも良くなかったんですが、本当に最悪だったのは叱られた時の僕の反応でした。僕は忘れてしまったことを叱られまくったのですが、「また忘れたの!」と言われると反射的に説明しなきゃ!と考えてしまっていました。(これ結構典型的な"アレ"の思考らしいことを大人になってから知りました)この時に先生が求めていたのはおそらく謝罪です。しかし僕はそんなこと分かりません。そして忘れやすいくせに変に記憶力もいいです。自分の身になにが起きたか説明しようとします。
「お母さんから言われた時には覚えてて、持つ前にトイレ行こうとしたら忘れちゃって…」
「言い訳しない!!」
結構でかい声でさらに叱られます。当時の僕はなんで説明しようとすると言い訳と言われるのか分かりませんでした。僕は理不尽だ、と思いました。母はなにが起きたか聞いてくれ、その対策を考えてくれました。僕はそういうものだと思っていたし、なんで話を聞いてくれないんだろう、なんでこんなに怒られるんだろうと泣きそうでした。その先生は小学1〜3年の間担任だったのですが、流石の僕も3年も貰えれば少しだけ変な学習をして、怒られたらまず「ごめんなさい」と言えば解放されることを学びます。大人になった今でもなぜあの先生はひたすら叱るばかりだったんだろうと思いますが、はじめは知らないけど最後はまあ普通に呆れてたんだろうと思います。僕は忘れ物も多かったけど、クラスで育てていた朝顔を雑草と勘違いして全員分抜いたりもしていたから。そうして「言い訳」という言葉が呪いになったころ、具体的に言うと小学6年生の卒業ごろ。卒業文集みたいなものの思い出欄?みたいなフリースペースに「わたなべくん(仮名)が言い訳ばかりしていたのが印象に残ってます」の記載。
多分そこで僕はこわれました。僕は言い訳と言い続けられて叱られるのが本当にこわくて、説明をしてどうにかしたかったのにできなくて、という気持ちに折り合いをつけれるほど大人な訳はなくてヘラヘラすることで心を守りました。それで人間性が固まりました。
て、書いてたらなんかどうでもよくなってきた。なんかまあ普通に注意散漫な多動が勝手に落ち込んで弱音吐いてるだけに見えてきた。まあいいかーー。別に死ぬわけじゃないし。
長すぎるツイートに付き合っていただきありがとうございました。それでは。よい明日を。
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