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熊野古道伊勢路完歩を目指して ⑱

今回記載する部分

今回は、八鬼山を書きます

前回までの振り返り

①〜⑦では田丸から滝原宮まで歩きました
⑦では、三瀬の渡しに乗りました
①では、熊野古道の説明が中心となりました

⑧〜⑪では、滝原宮から紀北町役場まで歩いたことを書きました
⑫〜⑮は、紀北町役場から紀北教育会館まで歩いたことを書きました

⑯は、第4回熊野古道伊勢路踏破ウォークを歩いた出発点のJR相賀駅から馬越峠までを書きました
⑰は、馬越峠から八鬼山入り口までを書きました

番外編として花の窟神社の例大祭も書きましたので、よろしければお読みください

八鬼山

世界遺産の石碑
100mごとにあるが63分の1に驚く

熊野古道伊勢路の中で一番の難所である八鬼山の登り口に到着しました
世界遺産の石碑がほかよりも年季が入ったように見えます

昔は、「西国一の難所」と呼ばれていました
6.3kmの距離で約600mの標高差を登り下ります

特に、この日は今年で一番冷え込み、ふだん雪が積もらない地域になのに、積もってました
石畳の凍結や雪解けも滑りやすそうで注意が必要そうです

町石地蔵
左上に「四七町」の文字

八鬼山には安土桃山時代に造立された町石地蔵が400年以上も旅人を導き続けてくれてます
町石地蔵については、麓からの距離を示していて、峠が麓から50丁の位置にあるとされてます
いつか町石地蔵を番外編で書いていきます

行き倒れ巡礼供養碑の看板

八鬼山には4基の行き倒れ巡礼供養碑が残ってる
これは茨城県の人の供養である

籠立場の看板

江戸時代に紀伊藩主などが乗っている籠を止めて休息した場所が籠立場だった

石畳
石段

八鬼山には馬越峠と同じく綺麗な石畳があります
また、石段もたくさんありました

難所の七曲りの看板と表示板である
西国一の難所の八鬼山のうち、さらに難所の七曲りの約280mの区間である

感想としては、かなり登り坂と石段のきつい難所でした
少し前から曲点の表示もあり、とっくに七曲りに入っていたと思った地点からが七曲りに入りました

八鬼山桜茶屋一里塚の看板

この辺りの一里塚には桜と松が植えられたそうです

烏帽子石と看板
左 烏帽子石
右 蓮華石

一際、大きな石を目にしました
一つは烏帽子石、もう一つは蓮華石で確かに特徴をとらえているなと思いました

九木峠の道標

七曲りを歩き終えてホッとしたとき、くきみちへの分岐点がありました

リタイヤするならここでという声掛けもありました
誰一人としてリタイヤする人はなく、登り続けることになりました

ちょうどそのとき、くきみちの方から登ってくる人がいました
熊野古道センター長でした
あまりにもちょうどのタイミングに驚きました

八鬼山 日輪寺
三宝大荒神
自然が描いた川の絵
柄杓が取れないほど凍る

八鬼山の三宝荒神堂に到着しました
雪が残り、とても寒かったです
柄杓が取れないくらいバケツの中の水がカチコチに凍っていました  

手先足先がジンジンしびれるくらいの寒さでした

あと少しで頂上です
でも、さらに勾配がキツくなる気がしました

やっと頂上に到着しました
ここからは景色を眺めることができないので、少し下ったさくらの森広場を楽しみたいです

九鬼を一望
頂山と九鬼町
富士山が見えることも

さくらの森広場では九鬼を一望できました
大きくすれば家もはっきり見えました

十五郎茶屋跡

十五郎茶屋跡がありました
いつできて、いつ辞めたのかはわからないけど、江戸時代は書物に残っていました

優しい木漏れ日を浴びて、寒さを感じなくなってきました

長柄町一里塚

ようやく長い八鬼山を下り、長柄町一里塚に着きました

かつては長柄町一里塚には、八鬼山に向かって左にクロマツ、右に山桜が植えられていたそうです

今回の振り返り

今回は、八鬼山を書きました
かつて西国一の難所と言われたとおり、現在もキツイところでした
しかも難所七曲りの手前から七曲りの300mほどが特にツラい登り坂でした

15日は第5回熊野古道伊勢路踏破ウォークで賀田から花の窟神社まで完歩しました
いよいよ22日は第6回熊野古道伊勢路踏破ウォークで熊野速玉大社へ向かいます

これからも応援よろしくお願いします

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