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花散る雨、里に恋しなりゆく(3)(完)【短編】

創作短編『花散る雨、里に恋しなりゆく』の完結回。
フィクションです。実在する名称、土地、出来事とは関係ありません。

概要

終.はなちるさとで

永久に


「……また、話しても、ええの?」

 ――……いや、もう声はかけられない。そもそも、今回は本当に特例だ

「……そ、か」

 こうなるかもしれないと、どこかで覚悟はしていたが、どうしようもない名残惜しさ、寂しさがわき上がり、ちりちり、と胸の奥を痛ませる。

 ――そんな顔をするな。姿は見えないだろうが、私はいつもこの辺りに居る

「……桜の事はもう願わへんけど……話しかけてもええかな? 返事はいらんから……」

 ――なら、聞いた証として、帰る時に軽く霧雨を降らす。花に影響の無い程度にするから安心しろ

 また思いがけない彼の配慮に、楓は歓喜した。

「あ、ありがとう……ほんまに、ありがとう…… サク……水神様……!!」

 ――サクヤでいい

 まだ短い春の夜は、いつの間にか更けていた。黄昏たそがれが、少しずつ宵闇に染まっていくにつれ、ひやり、とした物悲しく、切ない雰囲気が忍び寄り、辺りに漂い始める。

 ――もう遅い。早く帰れ。女一人の夜道は危ない

「……はい」

 以前と同じ、帰宅を促す彼の言葉。けれど、その口調は違っていた。柔らかな優しさが滲み出ている。それは嬉しい反面、切ない変化でもある事を、楓は予感していた。
 もう二度と得られないのに、どうしようもなく恋しい、残酷なぬくもり……

 ――……じゃあ、な。がんばれ……


 その言葉を最後に、彼のは本当に聞こえなくなった。しん、と静かないつもの宵の空と、見慣れた風景だけが残る。春の夜のほんの僅かな、朧気で不思議な一時ひととき……
 彼と二度と話す事は出来ない。時が経つにつれ、祖母の時と同じように、あの心地よく響くもいつか朧気になり、自分の記憶から薄れてしまうのだろう。――いや、地上の生物でない彼の『声』は、録音する事も映像にも遺しておく事すら、出来ない。
 だけど、このだけは、一生、忘れない…… 春の雨が降る度に、きっと思い出す…… その記憶だけは、消えない……
 そんな確信めいた想いをいだきながら、何度もほこらを振り返り、気を奮い起たせてから、楓は帰路についた。


 ――…………

(行ったのか。あの娘は)

 ――はい

 楓の姿が見えなくなってから暫く経ち、ぼんやりとしているサクヤに、天上の者……水神族のおさが声をかけた。

(あのような人間が、現代にもいるとは驚いたな。先祖や前世は何か知らぬが……)

 ――ですね。私も驚きました

(……全く。少しの霧雨とはいえ、勝手に雨を降らす契約なぞしおって。厳罰は免れんぞ)

 ――存じています。覚悟の上です。どうぞ罰して下さい

(お主、まさか、始めからそのつもりで……)

 ――水神界の規約を破った者は厳罰……格下か、人間に堕ちるのでしょう? どうぞ人間に堕として下さい

(…………!! 永久の生と、神という名誉をて、わざわざ、人間に?)

 ――はい。お願いします

(百年の寿命もない、ちっぽけで哀れな生物だぞ。相も変わらず欲に狂い、自ら厄を生み出し争い、滑稽さに気づかず、恐れる。天災に怯える反面、自然に敬意は払わない者は、いつになっても存在する)

 辛辣だが、紛れもない事実に言い返せず、サクヤは黙った。

(しかも、この地球ほしは、これからも荒れるぞ。地も空も海も、怒り狂っている。そんな場所に何故、わざわざ飛び込む? 何が、お前をそこまでさせる?)

 何度も考え、打ち消しても甦るのは、あの人一倍優しく、寂しげな少女の姿……

 ――そうですね。私も自分でもよくわかりません。ただ……その荒れた地に、娘がこれからも生きていくのなら、なるべく苦しまないよう、彼女の傍にいて助けたい。彼女が笑っていられるようにしてやりたい……それだけです

 呆気にとられたおさの気配がしたが、構わずサクヤは続けた。楓という人間と、この数日話していて思ったのだ。『生きてる』というのは、どんなものなのだろうと。

 ――何百年も存在して、色んなものを見てきました。何も考えず、何も感じず、何の変化もないまま、ただ己の役目を惰性的に繰り返し、それに何の疑問も持たなかった……
 ――むしろ、それで良かったんです。地上の人間を見ていて、尚更思いました。心なんて持ったらろくな目に遭わない。自らも愚かになる。改善している部分もありますが、性懲りなく同じような歴史を繰り返し、振り回される人間達の事も、どうでも良かった

(ならば、何故……)

 ――同時に、知らずにいたのです。自分が守ってきた地に生きる命……草木や土の匂い、感触、陽の暖かさ、花の香り、そして水の尊さ

 全て、楓が嬉しそうに語り、教えてくれた事だ。絶句したのか、お上の返事はなかった。さあっ、と心地よい夜風が、辺りを舞う。

(……そんな『心』を完全に持ってしまったなら、もう、お前は天上の者ではない。相応しい場所にくがよい)

 ――……これが『心』ですか。人間の『感情』など愚かでしかないと考えてましたが…… こんなに気持ちの良いものもあるなら、そんなに悪くないですね

守神もりがみは代わりを派遣するが…… あの寂れた祠を司りたがる者など、いるかわからんぞ)

 ――人間にして頂いたあかつきには、せめてもの詫びとして…… 私があの祠を維持し、まもります。そんな生業なりわいを希望致します

(……お主は、愚かなのかさといのかわからんな。昔から変わった奴だったが……)

 苦笑混じりの返答だが、サクヤは覚悟と誇りに満ちた想いでいた。謎の万能感、とでも言うのだろうか。何の根拠も保証も無い、理屈抜きの無鉄砲な。客観的に見れば、至極愚かな行為だ。何て馬鹿な奴なんだと、わらわれても仕方ないのだと思う。
 だが、彼女の傍にいられるなら、少しでも助けになれるのならば……怖くはなかった。そんな今なら、何でもできる気がする。多種多様な生き方をする人間を、長い年月をかけて自分は見てきた。なら、そんな命の在り方もあって良いだろうと思うのだ。
 もしかしたら、ある日突然、どうしようもなく辛い別れが来るかもしれない。そうでなくとも『最期』は、地上に生きる命には、いつか必ず訪れる。だが、その時、彼女と共に思い切り泣いて、ほんの少しだけ微笑わらえるなら、自分は『生きた』のだと、その時初めて思える気がした。
 そんなエンディングを迎える為、これから地上に闘いに行くのかもしれない……と、サクヤは思った。

此れから


 月日が経ち、あの不思議な春の夜の出逢いと別れから、一ヶ月以上が過ぎた。季節は皐月さつきを迎えたが、今日は五月晴れを通り越した、初夏並みの気温だ。
 楓の耳にそろそろ聞こえてくるのは、大抵が薔薇や菖蒲あやめだが、去年の薔薇のが、まるで火あぶりにされている乙女の悲鳴のようで、自分まで気が滅入ってしまった事を思い出す。今年もそんな感じかな……と、今から憂鬱になっている。

 サクヤのは聞こえなくなってしまったが、ほこらに通う習慣は変わらないでいた。頻度は減ったが、気持ちが辛くなった時に訪れ、話しかけるように、一人呟いていた。
 返事はなくとも、こんな時、彼ならどんな風に答えるだろうか……と考えながら、独り言のように口にすると、次第に気持ちが落ち着き、慰められていく。
 そして何より、帰る時。彼女を見送るように、空から細かい霧雨が降り注ぐ瞬間が、たまらなく嬉しかった。すぐ近くに彼が事を、確かに感じられるからだ。


 そんな、とある休日の暮れ時。学校の同じグループの子と、人気だというカフェに行った帰りだった楓は、あのほこらに向かっていた。最近は友達との交流も意識し、少しだけでも自分のことを話すようにしている。しかし、やはり緊張したからか気疲れしてしまい、サクヤに会いに行く事にしたのだ。

 ――そうや、雨やない日って、どうしてはるんやろ……

 今日もだったが、最近は暑いぐらいの晴れが続いている。そんな時は何をしているのか聞いていなかった事に、ふと寂しさを感じた。
 おしゃれな流行りのカフェに行くのならと、張り切って履いて来た慣れないサンダルが、疲れた足にダメージを与え出していたが、気にならない。
 頭上からそよいで来る涼しい風が、少し汗ばんだ身体に心地よかった。石段の最後の段を上がり、夕闇に染まりかけた目印のソメイヨシノに向かう。
 今はすっかり新緑にあふれた大木に、あの薄紅の可憐な花の面影は無い。四月上旬にやって来た長雨で、元々、葉桜に変わった彼らは完全に散りゆき、薄紅の花弁が土にまみれ、痛々しかった。
 そんな光景を思い出し、少し切なくなった楓は、振り切るようにやしろのある方に顔を向ける。――息が、止まった。

 ほこらの近くに人影が見える。艶やかな黒髪の――青年。宵に溶け込み、全身に藍がかかっているように見える出で立ちは、ごく普通のシャツにロング丈パンツ、というラフな服装だったが、無性に惹き付けられた。
 それより、何よりも楓を揺さぶったのは、彼が纏う空気だ。ぴん、と張り詰め、背が引き締まるように凛とした、覚えのある……
 忘れてない。忘れる訳がない。ひどく懐かしくて、切ないぐらいに安心する、誰よりも大好きな……

「あ、の…… こんばんは……」

 考えるより先に、口にしていた。いつもの人見知りの自分なら、あり得ない行動だ。
 遠慮がちな楓の挨拶に、その青年はゆっくりと振り向いた。色白で涼やかな目をした……知らない顔。だが……

「こんばんは。参拝ありがとうございます。最近、この町の管理部に就職しました。まだ新人ですが……」

 ずっと、ずっと、忘れられなかった。もう一度だけでも聞きたかった。深夜のように静かだが、どこか優しさを含んだ、あの淡々とした響きの、……

「あの…… 前に、うた事……ありますよ、ね……?」

 期待と確信が入り交じり、歓喜で上ずった声で問いかける。全身がふるふる、と微かに震えているのがわかった。膝に力が入らない。
 そんな楓を柔らかな眼差しで見ていた彼は、少し照れ臭そうに微笑を浮かべた。ぎこちない仕草で、ゆるり、と右手を差し伸べ、結ばれた口を開く。

「――咲夜サクヤだ。、これからよろしく……

 確かなで紡がれた言葉が、はっきりと鮮明に見えた。渇いた喉が、熱く詰まった言葉を押し出し、応える。

「こちらこそ…… 今度、水辺に行きましょうか……? 菖蒲あやめも咲いてるとこ、ありますよ…… サクヤさん……」

 差し出された大きな手を、躊躇ためらいいなく握り返し、握手する。すべやかで生温かい、人間の皮膚の感触。だが、あの雨の夜のように、彼の掌は少し湿り気を帯び、ひんやりとしていた。
 目頭が熱くなり、いつかの夜と同じように、楓の両のが揺らいだ。いくつもの水滴が溢れ、頬に伝う。何故、ここにこうしてるのか。そんな事は、今はどうでも良かった。
 そんな彼女に少し戸惑い、咲夜はもう片方の手で、そのしずくを拭い取る。

「……水、というのは、こんなにぬるいものなのか?」

 ふは、と思わず笑みがこぼれ、泣き笑いみたいな顔になった楓は、握手した方の手に力を込める。ふっ、ふっ、と拙くくすぶるような笑いが止まらない。
 少し困った表情かおで、そんな事を言う彼が可笑しくて、いとおしかった。水の感触や温度の事なんて、おそらく、もうとっくに知っているだろうに……
 そんな様子を見て、ほっ、と安堵した後、咲夜はそのままその手で、そっ、と楓の頭を包み抱いた。気恥ずかしそうに顔を反らし、自分の胸元に涙顔の彼女を押し付ける。
 彼のシャツに涙が染みた瞬間、二つの心臓が早鐘のように打ち、鳴り出した。身体の温度が急に上がり、汗ばんで、熱い――

「……人間というのは、色々、騒がしいな」

「……です、ね」


 知っていくのだ。この人と一緒に、こんな風に少しずつ。自分を、人間を、この世という、摩訶まか不思議なもの達を。

 これが、花と雨が導いた、不思議な出逢いの物語。これからは、彼と彼女――二人の冒険譚になってゆく。


【完】

#創作大賞2023

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