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共有できない痛み
小雪|虹蔵不見
令和6年11月24日
小さいころから腹痛の痛みを共有できないことにもどかしさを感じていた。ぼくはこんなにもお腹が痛いというのに,世界はあまりに無関心で平和であった。一方で,昔から頭痛とは無縁であった私は,「頭が痛い」という友人に対してその痛みを全く理解できずに,この世界の平和を謳歌した。そうして痛みとは共有できないものということを知っていった。
究極の苦痛とは「死」だろう。死の痛みは誰にも共感できないものだ。そもそも「死」を感じるのかどうかさえわからない。死を感じるのは生きている側だ。結局,痛みにしても死にしても,個人的な問題として向き合わなければならない。
夜,子供の鼻息をたしかに聞きながら眠る。朝,子供の布団の方に手を伸ばし,まだ体温のあたたかいのを確かめて安心する。
-S.F.
虹蔵不見
ニジカクレテミエズ
小雪・初候
谷川俊太郎さんを偲んでの一冊の絵本。小さな頃は死がとてつもなく怖くて,心臓が止まる苦しみを想像すると呼吸が変になりそうだった。いまは死の覚悟というか,運命であって寿命なのかなと割り切れるほどになった。生前には死ぬのが楽しみと語っておられた谷川俊太郎さんの境地にはまだほど遠いか。
美しき韓国の文学。夫婦,母娘,コメディアン。人間の複雑な心理をこうも書けるのか感動した。レターに関連して文中にはこんな一節が登場するので紹介したい。母の介護をし,看取ったあとに死生観をこう振り返る。
「苦痛よりは死の方が理解しやすいようで、いざ母が息を引き取った後は、それまで病床に横たわっていた母との距離感はなくなった。共感できなかったという点で、苦痛は明らかに母と私の間を隔てていたが、死はそれほどではなかった」
参考文献
なし
カバー写真:
2024年10月4日 あたたかなて
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共有できない痛み
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