手放すことで浮かび上がる
夏至|乃東枯
令和6年6月28日
来月の引っ越しを控えた我が家に、大量のダンボールが届いた。次の家はずいぶん狭くなることもあって、ついに断捨離をしようと、持っていた本を8割方処分した。何年も開いていなかった本をペラペラとめくると、手に入れた当時の記憶が鮮やかに思い出される。本は物性にこそ価値がある、と前のコヨムに書いた。逆説的だが、処分すると決めた本の方が記憶に残る。手放すことで記憶に刻まれるのは、本屋でふと立ち読みしただけの本をやけに覚えているのと似ている。
引っ越すと決めてから、わざわざ小田原まで行って紫陽花を見た。成就院と長谷寺、小田原城、そして家の近所のマンションの脇で咲く紫陽花。どうせ名残は尽きないけれど、こっちに住んでいるうちに行っておきたいところには、できるだけ足を運んでおきたいと思った。引っ越した後も来ようと思えば来れる距離なのだが、たぶん、来ないと思う。行きたいところは星の数だけあって、しかし、そのほとんどは理由がないと行かないところばかりなのだ。
近所にまたパチンコ屋ができるらしい。去年から工事しているパチンコ予定地に加えて、またもう一つパチンコ予定地が生まれた。駅前にすでに2つもあるんだから、そんなにいっぱい作らなくてもいいじゃないと思うのだが、打たない自分にはわからない魅力があるのだろう。そして、もうすぐ引っ越す自分にとっては、もはやどうでもいいはずのことなのだが。
-T.N.
菖蒲華
アヤメハナサク
夏至・次候
最近よく花札をやっているので、アヤメと聞くと、5月の「アヤメに八ツ橋」を連想する。
しょうぶ・あやめ・かきつばた問題は、前にもコヨムに書いた気がする。自分の人生については、コヨムの方がおそらく詳しい。
参考文献
なし
カバー写真:
2024年6月23日 カエルも紫陽花を見て「綺麗だ」と思うのだろうか
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手放すことで浮かび上がる
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