わたしは言い訳ばかりの存在【キャリコンへの道#9】
わたしはもう、会社に勤めることができない気がしている。
ふとした瞬間に、前職の上司たちの顔を思い出してゾッとする。
それとともに怒りが湧いて、許せないと思う。
そんな感情に取り憑かれていたら、先には進めないし、
囚われていると動けなくなる。
分かってはいる、分かってはいるけれど、
まだわたしの中には大きな怒りがあって、
トラウマのように脳裏に焼きついてしまっている。
これはただの内省。キャリコンで学んだことを活かした内容ではない。
だけど、わたしはキャリコンに話すように、自分の中に潜るために言葉を紡ぐ。
このツイートを見て、勤務3日目からこの言葉を何度も浴びせられたことを思い出す。社会とはそういうものなんだと落とし込んだ、吐きそうになりながら毒だとしても飲み込むしかなかった。
だけど、このリプライや引用を見ていると
それは正常な状態ではないと分かった。
あの苦痛はわたしが全て悪いのだと思っていた。
しかし、違うはず。
内定後の説明でもやらないと言われていたテレアポを入社後すぐに命ぜられた。
それはいい。それは仕方がないから、前向きにやるつもりはあった。
オフィスは部屋の真ん中に島があって、
壁際に壁に向かってテレアポ業務の席があった。
わたしたち社員は真ん中の島で、壁際はテレアポのバイトの方がいる。
目の前には先輩Aがいて、横には2個ほど先輩のBがいる。
Aが教育担当だったはずだ。
だけど、AはテレアポのことをBに指導するように言った。
Bはデータの位置だけを教えてくれただけだった。
初日にテレアポの原稿をもらい、2、3日目は別のところで新卒研修を受けた。
テレアポの様子を見せてもらったことのはほとんどないい。
どこかの誰かがやっている音源だけを聞くだけだ。
1日目に渡されたテレアポの本には、
「原稿を読むだけのテレアポは意味がない」
「事前に会社の情報を知って、そこについて触れながら、その後にこちらの事業の説明をする」
「手当たり次第のテレアポなんて悪評しか立たない」
「だからこそ、向こうの会社にメールを打ってから返事があったところにだけ電話をかける」
などと書いてあった。
それはわたしの実感ともあっており、正しいと感じた。
先輩Aはわざわざこの本を渡すわけだから、こういうマインドでやってほしいということだろう、そう思うのもやむを得ないではないか?
翌日、初めてテレアポをかけることになった。
本に書いてあったことを胸にしながら、向こうのことを調べながら、
セリフではないように言葉を出す。
緊張した、怖いと思った。
そもそも、わたしは電話が苦手だった。
家にかかってくる電話ですら恐怖を感じるし、電話をかけなければいけない時は、頭の中で考えて、親などがいないところから電話をする。
上手く喋れないから怖かった。
それでも、業務であるからもちろんやる。
怖いし、声は震えるけれど、やる。
そして、わたしは滑舌がいい方ではない。
日常生活でもよく噛んでしまうし、言葉が出てくるのは遅い方だ。
小学生の頃から音読の時間がとても苦痛で仕方がなかった。
順番を数えて、自分が当たるところを何度も何度も読んでから音読をする。
震えて、何度も読んでいるはずなのに上手く読めなくて、当てられた後心臓がバクバクと音を立てて喉がカラカラになる。
これは、識字障害の要素からきていたのだろう。
苦手で仕方がなかった。
それでも、頑張ろうとしていたつもりだ。
だけれど、先輩は
「そんなことやれっていった? 原稿通り読んで。アドリブとかいらない」
そういった。
「え、あ、すみません。 先輩に教えてもらった本に書いてあったことをやったのですが」
「言い訳。 原稿だけ読んで」
あ、はい、すみませんでした。
わたしはそう言って、原稿だけを読むようにした。
「ここって、どういうふうに言ってます?」
「こういう時ってどういう対応してます?」
Bに聞く。
「どうだろ、そのままでいいよ」
Aに聞く。
「いいから、かけるだけかけて。練習よりも実践の方が大事、時間あるなら全部かける時間に使いな。1時間で30件、少ない」
Aは「あっちで、テレアポの人のところでやってきな。そっちの方が集中できるだろうし」と言う。
テレアポ業務のバイトの方は、ずっとテレアポをやってきた方で、
とてもうまいという。
この人をCさんとしよう。
「いろいろ教えてください。上手くできないので、何回か聞かせてもらっても良いですか?」
Cさんの横で、テレアポをする。
すると
「数回でそれだけ言えるようになったなら、すごいよ。ゆっくり、もっとゆっくり言っても良いと思う」
やっと、テレアポの技術を教えてくれる人が現れた。
誰も何も教えてくれなかった中で、言葉をくれたことが本当に嬉しかった。
優しく、「ここで区切ると良いかも」と教えてくれる。
そのもらった言葉をたくさんたくさん書き込んだ。
それに則って、1日60件ほどかけるようになる。
テレアポをするときは、テレアポの席でやることにして、
少しでも緊張をなくしてゆっくり話せるように。
本来の席では、見られている気がして怖かったし緊張が解けなかったから、
少しずつ上手く話せるようになって嬉しかった。
テレアポ3日目には、メールでの資料送付を獲得した。
1週間で3件送付することができた。
そりゃ、案件にまでは繋がらないけれど、一つ一つも大事なものだと信じてやっていく。
ある日、副社長が
「ねえ、なんでそこでやるの? 自分の席でやりな、Aが指導もしにくいでしょ」
と言い始めた。
「すみません、じゃあそうします。元々Aさんが集中できるならそっちでって話だったので、ずっとそれでやってました」
「言い訳。あなたはすぐ言い訳する。それを言って何になるの? だから何?」
「え、いや、すみません。」
「言い訳ばっかり」
これも言い訳なのか、わたしはいつも言い訳を言ってるのか。
何も言い返してはいけない、理由なんかいらない。
それが社会で、会社に所属するということ。
ああ、もう何も考えられない。
心が怯えていく実感がある。
仕事を教えてもくれない、やり方も教えてくれない。
ただ、ダメ出しだけをする。批判だけをする。
褒めろとは言わない、ただもう少し教えてくれたら。
まだ1週間しか経ってない新卒が闇雲にテレアポをかけても印象が悪いだろうに。
1日でかける量を増やしていく、とにかくかけるかけるかける。
会社を辞める2日前。
社長との面談で「すべてのレベルが低い、何もかもできてない最終ラインにも達していない」と言われた後。
わたしのテレアポ業務を聞いた社長はまたこういった。
「1ヶ月でこれって全然やな、ホンマに。Bなんて3ヶ月ずっと練習しててな、1人で1時間部屋にこもって発声練習とか偉かったわ。3ヶ月でやっと資料送付できて、めっちゃ頑張ってたのに、あんたは全然やわ」
Aは言った。
「家で読み込んだりしてきてなかったでしょ。だから教えるの無駄だって思って、教えなかった。最近はちょっと上手くなってきたしな、教えてあげるよ」
ああ、わたしが悪いんだ。
わたしだけが悪いんだ。
でも、なんかおかしくないか?
おかしいよね、練習の時間なんてとらせてもらえなかったし、
資料送付は3日でとった。
それは認められず、この1ヶ月は意味がなかったのだろうか。
わたしの努力は意味がなかったのだろうか、価値がなかったのか。
家で持ち帰って原稿を覚えることは絶対にすべきことだったのだろうか。
わたしはしたくなかった。
だって、あまりにも疲れてしまうから。
帰ったらご飯を食べて風呂に入って、9時には眠りにつく。
土日は動けない。
どこまでするべきだったのか。
自己研鑽は1ヶ月の間にどれほど必要なものなんだろう。
わたしには、わからない。
わからなかった。
ところで、この会社は人材育成の講座をやっている会社だ。
新卒研修や中間管理職研修、OFFーJTを担う会社である。
なんなら、パワハラ研修なども行っている。
わたしは早期退職をした。超早期退職だ。
若者の課題点は基本的に、
「リアリティショック」
要は、イメージしていた職務内容や職場環境と現実のギャップを感じることだ。
自己理解や自己効力感のなさから評価を気にしたり、自分の答えを見つけるスキルがなくて、悩みを相談できないことが若者全体の傾向としてある。
コミュニケーションがうまく取れないことも多い。
だからこそ、定着させるためには
職場が自らの居場所である感覚を持たせたり、楽観性や自己効力感を身につける、愚痴が言える環境があることが大事であるとの意見がある。
わたしにはそれら全てがなかった。
同期はいないし、毎朝のミーティングで不安や愚痴を言うと怒られる。
わたしだけが部外者だった。
社長と副社長、社員とバイトは仲間で、
わたしだけが異物。そして、敵だったのだろう。
仕事理解が足りなかった、自己理解が足りなかった。
わたしはダメだったのだろう。
どうしたらよかったのだろう。
この会社に入ると決めたのがいけなかった。
もっと考えればよかった。
10月だと言うことで焦って、決めてしまった。
楽になりたかったから。
いい会社だと思った。
だけど違った。
あまりにも違った。
あそこで決めていなければ、すぐに大学の副手に応募したことだろう。
あそこで決めていなければ、大学院に進むこともできただろう。
あそこで決めていなければ、別の会社で今も勤務を続けておけたかもしれない。
後悔ばかりが頭を支配する。
もう働けないと思う。
就活ができない。
あまりにも苦痛が、長く、わたしに残る。
キャリコンの勉強をしていて、たまに目の前が真っ黒になる瞬間がある。
自分が全部ダメで、辞めたことも間違いだったと思ってしまうから。
辞めてしまったわたしはもう人生やり直せないのではないかって。
職業人生設計が建てられない。
立てる権利すらわたしにはないのではないかと思う。
でも、そんなわけない。
社会にはいろんな制度がある。
その制度のおかげでキャリコンを学ぶことができている。
だけど、もう「怖い」に取り憑かれてしまった。
息ができないほどの恐怖がわたしの中にはあり続けている。