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氷河期VS若者 にならないように【キャリコンへの道#23】

講座の中で「氷河期世代についてどう思う?」と問われて、

「うまく関われないと思う。わたしみたいな若者嫌いだろうし、むかつくだろうから」そう答えた。

40代前半から50代前半の世代のことを氷河期世代という。
彼らのうち、男性は一割程度、女性は5アリ程度が非正規雇用労働者である。
その中の4割は「正規職員の仕事がないから」不本意だけど非正規で働いている。

日本の雇用制度や職場の教育制度の大半は、正社員のために行われる。
そのため、新卒入社のタイミングで正規職員のなれなかった人は、教育を受ける機会すら受けることがなかった。能力開発の機会も、そもそも自分の能力にあった職に就くこともできなかったその世代は、「自己責任」という呪いを社会からかけられてしまっている。

努力が実らなかった世界である。

有効求人倍率は、今は1.5である。1人にあたり1.5個の仕事がある状態である。
バブル期は1.46であった。あの時代の方が簡単に就職できたイメージだけれど、倍率としては今の方が職があると言える。まあ、何より若者が減ったからではあるだろうけれど。

一方、氷河期世代は、0.45。
3人に1人が就職できない世界であった。
どれだけ受けても、選ばれた存在しか仕事につくことができない。

賃金や格差意識、幸福感などが世代間の中で「断絶」がある。

新卒時に職に就けた人と就けなかった人。
地方と都心、男性と女性。
それぞれの属性によって、人生は大きく変わって、感じる幸福感すらも違っている。

そう考えた時に、きっとわたしみたいな人間のことを氷河期世代の人は信用しないだろうと思ってしまう。
今の有効求人倍率の中で、すぐに辞めてしまい仕事をしていないわたしなんて、生きることに苦労していないように見えることだろう。

だって、チャンスすらなかった時代だったんだから。
チャンスを持て余して、スルーしてる若者の言葉なんて、煩わしいことだろう。

キャリアコンサルタントになった時、わたしはどうすればいいのだろう。

個人でやるのなら、断ることもできるし、対象を決めることもできる。
だけれど、キャリコンとして仕事をしていく上において、避けては通れない問題だ。むしろ、避けてはいけない。

「社会的引きこもり」について話題になった時、若い子が
「いや、引きこもりなんて自分で選んでるわけじゃん、引きこもらざるを得ないなんてないじゃん。努力が足りないだけだよな」なんて言っていて、
喉の奥が硬くなる実感があった。

ああ、きっとこういうふうに「自己責任」で追い詰められてきたのだろう。
そして、これからもずっと、ずっと、無理解に晒されて、自分の窮地を訴えても無効化されて、嘲笑われていくのだろう。
そう考えた時、絶望するほかないと思った。
その世代で生まれてしまっただけで、全部自分のせいにされてしまうなんて、どれほどの苦痛だろう。

現状として、派遣は3年までしか勤務することができず、他部署にいくことも業務が違いすぎてできない。大企業は、転職者の場合2、3回までの転職経験しか許されない。中小企業は見合った給料が出せない、などといい、求人に応募することすら許されない。

その中で、モチベーションを保ち、生きようと、就活という戦場に戦いに出ることはどれほどの人ができるだろう?

わたしなら、と考える。
きっと無理だろう。

こんなぬるま湯のような新卒の就活ですら、わたしは心が折れて、恐怖を感じてしまった。たった一年の経験、プラス一年程度だけれど、それでも気力は保つことはできなかった。

それが、20歳の頃から50歳の今まで、
約30年もの間、その恐怖の中にいた人が能動的に強く闘うことができるとは、正直思えない。戦えなくたって仕方がない。
だけど、それでもみんなが戦っている。
だってそうじゃないと死んでしまうから。

だって、そうじゃないと自分を肯定することもできない人生で終わってしまうのではないかと不安だから。

実際、一応、国家公務員の募集は氷河期世代支援として行われている。
毎年150人程度の募集がある。

事務や技術、刑務官など各県でも働くことができる。

しかし、多くの人が「自分では無理だ」と応募できなかったりする。
それは、自分のスキルに自信が持てないから。
自分の人生に自信が持てない。
自分がしてきたことに価値がどれほどあるのかわからない。
大量の負の烙印を押されてしまっているから。

だからこそ、キャリコンとして接するならば、
肯定的資質を話の中で見つけ出し、共有していく。
とにかく丁寧に話を聞く。

きっとわたしの中にも、自己責任の種がある。
「でもそれって」「とはいえ」「無理」なんて思いがある。
きっと偏見がまだあるし、警戒心もあってしまう。
だからこそ、そう思ってしまう心すらも受け入れて、その人のことを考えていかなければならないのだろう。

不安定な中にいることはとても心を乱す。
それはとても理解できる。

理解できるって暴力的だ。
だって、「理解する」立場、「理解してあげる」上の立場でいることになるから。
「全力で説明して理解させてくれたのなら、あなたの存在を認めてあげますよ」というような側面を孕むことがある。
その怖さを理解した上で、氷河期世代の方と関わっていきたい。
他の世代の人ともそうだけど。

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