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「わたしは正しく在らないといけない」が間違ってることもわかってる【キャリコンへの道#13】
こうあるべきだ。
就活はちゃんとするべきだ。
大学は四年でちゃんと卒業するべきだ。
ちゃんとルールは守るべきだ。
人に貢献するべきだ。
社会人にすぐになって、ちゃんとするべきだ。
わたしはわたしにお金をかけてはいけない。
なんて、たくさんのあるべき姿を固定して、それに沿って生きようとしてきた。
わたしは人よりもそれが強いのかもしれない。
会社を辞めた時、すぐに次の仕事を見つけないといけない、
社会人になれてないなんてダメだ、
無職でいるなんて恥ずかしい、
そんなことを思っていた。
だからずっと苦しくて、怖くて仕方がなかった。
だけど、その思いとは反対に何も手につかなくて、仕事がしたくなさすぎて、怖くて嫌になっていた。
空白期間は作ってはいけない。
そんなのがあったら、もう再就職はできないかもしれない。
派遣はダメだ、新卒で派遣に行っちゃうともう正社員になれないかも。
フリーターなんてなっちゃいけない。
そうである人たちを馬鹿にしているわけではない。
でも、自分がなるのはいけないと思っていた。
しかし、本当は馬鹿にしていたのかもしれない。
あるべき姿じゃないと思っていたのかもしれない。
きっと、他人を下に見ることで自分を肯定しようと必死だったんだ。
「自分はちゃんとやっている、だから大丈夫」
「自分は〇〇だから大丈夫、あの人よりはマシだ」
そうやって、自分を守ろうとしていたのだろう。
こういうのを心理学的には、『認知の歪み』『イラショナルビリーフ』という。
そういう思考は、確実にその人を蝕んでいく。
自分の思い込みと現実が食い違って、身動きが取れなくなって苦しくなる。
わたしはいつから、こんな歪みだらけになってしまったのだろう。
正しくありたかった。
泣くのは弱さだと思っていた。
保育園の頃、先生に怒られるとあくびをした。
怒られて泣いてると思われたくなかったから。
何度もあくびをして、より怒られた。
怒られることが苦痛で仕方がなかったのだろう、園庭の真ん中から見た薄い青の空を覚えている。心をどこかにやって、気持ちをどこかにやって、怒られているのは自分じゃないと思うことにしていた。
完璧でいないといけない、そう思っていたのは小学生の頃のせいだ。
何度も書いているけれど、そうでなければ嫌がらせを受けても相手がちゃんと叱られることはなかったから。
女子からずっと悪口を言われている時も、
上靴が隠された時も、
非があったんじゃないかと言われる。
「あいつが悪いんだ」と言われる。
そういう彼ら、彼女らの言い訳を一つずつ丁寧に受け取ってしまっていた。
わたしは正しくなければいけない。
少しの非があってはいけない。
だけど、それと同時にできないこともたくさんあって、
それを笑われることが怖くて仕方がなかった。
認知症の祖母からは毎日「女のくせに生意気だ」「女のくせに」と罵倒をされ続けていた。全ての行動を監視され、罵られる。
「こんな悪いことをしていた」「女のくせに」
幼少期の記憶はそればかりだ。
そして、その時かけられた呪い。
「あなたもあの人みたいになる」
人と表面的には仲良くするけど、本質的に仲良くならない、1人でいるのが好きだった祖母と、同じわたし。
ああ、そうか。わたしはいつか人を罵り、傷つけ、嫌われる人間になるのか。
それはとても恐ろしい言葉だった。
中学生になって、生徒会に入ってしまった。
任されたとも思っていなかった仕事、
生徒総会の初期の仕事が自分の担当だと知り、
パソコンで全部打ち込んですぐ翌日に提出した。
「よくやった」と褒められたけれど、その時の先輩たちの目線が冷たくて苦しかった。
生徒会の慣習に刃向かって一年で入ったと思われていたわたしは、
すべての言動を先輩や同期から見張られているように感じた。
遠くからヤジが飛ぶ生活だった。
ずっと悪口を言われている。
これもわたしの思い込みだろうか。
本当はそれほど大したことじゃなかったのだろうか。
受け取りすぎていただけなんだろうか。
その結果、起立性調節障害になった。
しかもとても重いやつ。
当時はまだ一般的じゃなくて、ギリギリ怠け病と言われていた頃に、
母に専門医に連れて行ってもらえたことで理解をしてもらえた。
それだけで済んだのは幸いだった。
鬱などの精神疾患にならずにいられたのは、不幸中の幸いだった。
どうしてならなかったのだろう。
わたしは人に迷惑をかけて生きている。
そういう認知になった。
高校受験に失敗して、私立に行くことになった時、
「わたしは家族にお金をかけさせてしまった」
そう思った。
兄は、公立に行った。
でも、わたしは私立。
お金がたくさんかかってしまう。
わたしなんかにお金を使わせてはいけない。
お金を使ってもらう権利なんかない。
ただただ馬鹿で勉強ができなくて、判断をミスして、私立に入ってしまった。
制服もとても高くて、高くて、通学に使うもの全てが高かった。
カバンも靴も、靴下も。
本当に高くて、わたしにはそんなお金使ってもらう権利なんてない。
買ってもらった靴は、ちゃんと見てもらったはずなのに小さくて、
まるで纒足のようだった。
泣きそうなほど痛くて、でも自分の判断で買ってしまったわけだからわたしは我慢をして毎日生きていかなければならない。
それが罰だ。
すべての判断をミスした自分への罰だと思った。
わたしは贅沢をしてはいけない。
何もかもできないわたしだから。
登校から1週間ほど経った頃だったか、
足が痛くて痛くて、走れなくなり電車に乗れなかった。
パニックになって、どうしようって不安だった。
わたしはスマホも携帯も持ってなくて、電車を調べることができなかった。
表を見ようにも何も理解ができなくて、
近くにいたお婆さんに電話を借りて、泣きそうになりながら家に電話をかけた。
父かでた。その日は母がいなかったんだ。
「ごめん、足が痛くて電車乗れなくて、タブレットを持ってきて欲しい。ほんまにごめん」そういった。
また迷惑をかけてしまった。
電車の時刻表も見ることができない。
どの電車に乗ればどうなるのかもわかってない。
遅刻なんてしたらどうなることか。怖くて仕方がなかった。
父がすぐに来てくれて、タブレットを渡してくれた。
「新しい靴、買いなよ」
え、わたし靴買っていいの?
不安と安堵で涙が出た。
いつもとても早い電車に乗っていたから、その日もちゃんと間に合うことはできた。それでもとても罪悪感で仕方がなかった。自分にお金を使ってはいけない。
ずっとそう思ってた。
電車に乗ることはずっと恐怖だった。
遅刻することも赤点を取ることも、メイクをすることも、バイトをすることも、
ルールに従えないことはすべてよくないことだと思ってた。
ルールに反する人たちがすることをすべて軽蔑して、そんなことはしないと決めていた。
だから、わたしはいまだにメイクなどに対して嫌悪感がある。
やりたくないことだ。
メイクをしろ、眉毛を整えろ、髪をアイロンかけろ、そういうのが全部苦しい。
だって、もともとダメなことだったじゃん。
今更、やれなんて言われても無理だ。
嫌悪感が止まらないし、自分がそっち側になるのが苦痛だった。
わたしは、贅沢をしてはいけない。
大した予定もないのにリンスなんか使っちゃダメだと思ってる。
電車賃をかけるぐらいなら歩いたほうがいい。
いいご飯なんて食べちゃだめ。
500円以上の服は買わない。
いまだにずっとそう思ってる。
お金はない。でも、働けもしない。
別に貧困家庭というわけではない。
考えてみれば、世の中の人は、
塾代などでとてもお金がかかってると聞くし、
浪人したり、私立大学でももっとお金がかかるところに行ってる。
父はそれなりにいい会社に勤めてるからそれなりにお金はあるはずだけど、
わたしはどうしてもどうしても、その箍が外れない。
なら、働けよって感じなんだけど、わたしはそれもできない。
必死になって働けばいいのに、
結局父の稼ぎに依存してる。
それでも生きていけるって本当はわかってるから甘えている。
空白期間を作ることが怖いと言いながら、
就活ができないでいる。
キャリコン講座の特典としてついているキャリアコンサルタントに相談をしたことがあった。
そこで「空白期間あると就活マイナスだよ」「このままじゃ難しい」「キャリコンは仕事ない」「キャリコンなんてみんな非正規だよ」とたくさん言われた。
ああ、そうなのか。
ああ、もうわたしは取り戻せない時間を過ごしているんじゃないか。
怖いと思うのに動けない。
正社員にならないといけないと思ってる。
非正規じゃやっていけないと思ってる。
フリーターで過ごすなんてダメだと思ってる。
もう24歳になるのに、無職でいるなんて。
そう思うけれど、兄は大学院にいたし、
周りにもフリーターがたくさんいる。
結構な人がフリーターだ。
なのに、わたしはわたしを許せない。
正しくない状態だから。
正社員で仕事して楽しんでいる様がないと、わたしは許せない。
でも、きっとそうはならない。
ずっと、そうだった。
こうありたいにはなれない。
言霊は届くという。新月のお願いは叶うという。具体的に願えば叶うという。
中学生の時から母にそう言われて、紙に書いたことがあった。
「無事、生徒会として仕事がちゃんとできる」
新月だったか、一粒万倍日だったかにそんなことを願った。
その1ヶ月後にはそれは叶うことのない夢になってしまった。
たった、それだけの願いすらわたしは叶わない。
わたしの望みはいつも叶わない。
なんなら一番最悪な形で、終わってしまう。
「副手になりたい」も叶わなかった。
小さい祈りも大きい祈りも叶わない。
それでも生きてる。
歪んでいるんだろう。
そもそも、願いも、思いも。
ああ、どこから直せばわたしは救われるのだろう。
認知の歪みは認知行動療法などで改善をする。
考え方を理解して、それが本当にそうかを考えて、反論して、あ、違うなって正していく。
わかる。
全部間違いだってわかってる。
だけど、わたしは正していけない。
ああ、わたしはちゃんと精神科やカウンセリングに行ったほうがいいんだろうな。
もう戻れないところまで来てしまった。