【名選手】バスケ界の開拓者:田臥勇太選手
こんにちは。
スポーツオタクのカウボーイです。
今回は37歳になった今でも現役で活躍され、日本バスケ界を牽引している、田臥勇太選手をご紹介します。これまで数々の伝説がある田臥選手なので、今回はごく一部の紹介です。
【前人未到の高校9冠】
田臥選手の伝説は高校時代から始まります。田臥選手がいた高校は秋田県の能代工業高校で、スラムダンクの山王高校のモデルとなるほどのバスケ有名校です。
田臥選手が在学していた3年間、能代工業高校は高校総体、国体、全国高校選抜で全て優勝し、前代未聞の9冠を達成しました。3年間で負けた公式戦はたった1試合だけというほど、圧倒的な成績を残しました。
田臥選手は1年生の頃からレギュラーとして試合に出場していました。
その後、日本の社会人リーグに所属し、活躍し続けました。
【世界への挑戦】
田臥選手は23歳の頃、ついに世界へ挑戦します。2003年、日本のチームを退団し、アメリカNBAのデンバー・ナゲッツと契約します。ただ、プレシーズンマッチに何試合か出ただけで、シーズンが開幕する時には解雇されてしまいます。
2004年、再度チャレンジし、NBAフェリックス・サンズと契約しました。そして、日本人選手初、NBAの公式戦でプレーしました。その後は、リーグやチームを変えながら、6年間NBAでチャレンジし続けました。
現在、Bリーグの宇都宮ブレックスに所属してプレーをしています。Bリーグが設立された初年度の2016-2017シーズンでは、チームを初代王者に導きました。
【先人が通った後には道ができる】
今年2019年、NBAに3人もの日本人選手がチャレンジしています。今では、日本人選手が試合に出るのが珍しいことではなくなりました。最初に田臥選手がNBAで認められたからこそ、日本人選手の活躍の道が開かれたのです。
特に今年のNBAドラフトで一巡指名された八村塁選手は、レギュラーとして試合に出場しています。先人が切り拓いた道を通りながら、次に通る人の使命は先人を追い越して行くことだと考えています。
仕事でも、過去の実績を超えてやるんだという意識で取り組むことで、会社だけでなく自分自身の能力も向上させていきましょう。