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『好き』を仕事にすると、なぜ苦しくなるのか

SNSで発信していると、だいたい月に2,3件相談が来る。
「好きな占いを仕事にしたいのですが..」
「そのために発信したいのですが…」
「占い師としてフォロワーを伸ばしたいのですが..」

好きな『占い』で発信をする。
とても理想だし、僕もこのように文章を書いて、誰かが見てくださる状況は本当にありがたい。

「好きを仕事に」
「好きなことは継続できる」
「好きなことなら負けない」

こういった言葉は、ある意味で正しい。

相談に来る方はみな占いへの情熱を持っている。占星術が好きで、ホロスコープの勉強が苦にならない。そんな人たちだ。

しかしいざ発信となると、なかなか思うようには続かない。他分野も含めかれこそ10年近く発信をしてきた僕自身にも心当たりがある。

あれほど「好き」と思っていたことでも、やめてしまう瞬間が来る。
特に危ういのが『評価』が入ってきた瞬間。誰かの目が入り、「いいね」や「フォロワー数」という形で評価が見えるようになると、そこから歯車が狂い出す。今回はそんな話を。

「好きなことで生きていく」と言われて久しい昨今だけど、理想的な生き方だと思っている人は少なくないはず。過去の僕の反省が、誰かのお役に立つなら嬉しい。


最大の罠「ニンジン病」

ニンジン病とは、目の前に報酬がぶら下がっていないと動けなくなってしまう状態のこと。

占い発信で言えば、最初は純粋に「星を読むのが好き、だから誰かに共有したい」だった。それが途中から「フォロワーが増えないと続ける意味があるのかな...」「この解釈は人気が出るかな...」みたいな思考が気づかないうちに入り込んでくる。

好きだったはずのことが重く、「やらなきゃいけないもの」に変わる。「楽しさ」が「義務感」にすり替わっていく。

評価を求めることが悪いわけじゃない。評価があるから頑張れることも多い。僕だってこのnoteを「誰かに届くといいな」と思って書いている。

問題なのは評価がないと何もできなくなること。それがニンジン病の怖さ。

現代におけるニンジン病の原因 

『好き』なことなのに、なぜ続かないのか。その原因を3つ紹介する。

SNSの即時フィードバック依存

1つ目は、SNSという完璧なニンジン製造機の存在。

「いいね」「コメント」「リツイート」「フォロワー数」。これらは全部、脳に心地いい報酬を与えてくれる。投稿したらすぐに反応が返ってきて、反応がとれたときなんかは本当に嬉しい。この世の天国みたいな気持ちになる。反対に伸びなければガッカリする。

気づいたら「ウケる投稿」を考えるようになる。「これは伸びそうだな」「これじゃ反応悪いかも」って。本当に書きたかったことよりも「反応」を基準に考えるようになっていく。

「好きで発信してたはずなのに、最近ちょっと大変かも…汗」
ニンジン病の初期症状のサインである。

成果主義の影響

2つ目は、成果主義の浸透。

子どもの頃から「テストの点数」「成績」「評価」で育てられ、大人になれば「売上」「数字」「成果」を求められる。そういう世界で生きていると、「評価されること=価値がある」「評価されないこと=意味がない」という価値観が染みついてしまう。

「好きだからやる」「楽しいから続ける」という感覚より、「評価があるならやる」「成果が出るなら続ける」というフォームが僕らの身体には染みついている。幼少期から真面目・優等生と呼ばれる人ほどこの傾向は強い。

「好き」だったはずの占いも、「反応がない=意味の薄いこと」という悲しいフレームが発動する。

承認欲求の強化

「人は承認を求める生き物」と言われる。占いを学び始めた頃は、ただ星を読むのが楽しかった。でも発信を続けるうちに、「フォロワーが増えない...」「いいねが少ない...」と、数字が気になり始める。知らず知らずのうちに「承認を得ること」が目的になり、「好き」だったことが「頑張ってやること」に変わっていく。

このプロセスは子育てでも似たことが起きる。好きで絵を描いている子どもに「上手だね!」と声をかけたり、夢中で積み木を組み立てているのを「すごいね!」って褒めたり。良かれと思ってやっていることが、子どもの「好き」に外部評価を混ぜ込んでしまう。

純粋に楽しんでいた活動に、「評価」という要素が加わっていく。そのあたりは今度機会があれば少し深掘りしてみたい。


ニンジン病の進行プロセス

病気を治すには、まず病気のことを知らないといけない。
ニンジン病がどうやって進行していくのか、順番に見ていこう。

①純粋な「好きだからやる」

ニンジン病が発症してない段階。最初は「純粋な好き」から始まる。占いで言えば、「星を読むのが楽しくて仕方ない!」「ホロスコープ見るの面白すぎる!」「自分の研究ノート作るの楽しい!」みたいな感覚。

この段階では誰かの反応とか、それが役に立つかとか、そんなことは全然考えてない。ただそれをやることが楽しい。没頭できる。気づいたら何時間も経ってる。

占星術的に見ると、この『好き』は3つの天体の純粋なエネルギーによるものだ。太陽的な自己実現、月的な心の満足、金星的な純粋な楽しさ。この状態は『評価』という外部の要素が入っていないから、どの天体も素直にエネルギーを発揮できる。

② 初めて評価される(外部報酬の介入)

そしてある日、「好き」が初めて評価される瞬間が訪れる。SNSでの占いの発信。「すごく詳しいですね!」と言われたり、思った以上に反応があったり。そのとき脳内ではドーパミンが放出される。

「評価されるって、こんなに気持ちいいんだ!」

それまでの「ただ楽しい」という感覚に、「評価されるともっと楽しい!」という刺激が混ざってくる。この段階では、まだ「好き」は残っているが、別の「好き´」が入り込んでくる。

占星術的に見ると、この段階で金星的な「楽しい!」という感覚に、MC的な「これは社会的な価値になるかも」という思考や、土星的な「きちんと形にしないと..!」という責任感、場合によっては火星的な「○○さんに勝ちたい!」という気持ちが入ってくる。

③ 違和感の発生(認知的不協和のはじまり)

ある日の投稿の「いいね数」が、いつもより少なかった。すると、どこかでモヤっとする。

「あれ?何か違ったのかな」
「前回の投稿は伸びたのに...」
「もしかして、この解釈、浅かった?」

今まで考えたこともなかったのに。ただ純粋に星を読むのが好きだったはずなのに。

ここで起きているのは、脳の中の矛盾。
「私は好きだからやってるはず」
「でも、評価がないと不安...」

この2つの声が頭の中でぶつかり合い、どちらかを正当化しようとする。でも、どちらを選んでもすんなりとはいかない。

占星術的に見ると、この段階で強まってくるのは2つの天体のエネルギー。

MC的な欲求:「みんなの役に立ってない...?」
「この解釈、誰の心にも響いてないのかな」
反応が少ないと、自分の立ち位置を疑い始める。

土星的な責任感:「ちゃんとした水準で続けないと」
発信するからには、きちんとした形にしなければという重圧が湧いてくる。

この時点では、まだ完全に「評価のため」には変わっていない。でも「好きだからやる」という自由な気持ちと、「きちんとやらなければ」という重圧が、心の中で綱引きを始めている。

④ 認知的不協和の解消(動機の書き換え)

違和感は心の奥で鳴り続けている。言葉にはならない。ただなんとなくモヤモヤが残る。脳はこの居心地の悪さを自然に解消しようとする。そして気づかないうちに、動機がこっそり書き換えられていく。

「この前の投稿、けっこう反応よかったな。じゃあ次も似たような切り口で」
「このテーマ、みんな興味ありそう。もっとこの方向性で掘り下げていこうかな」
「これ書きたいけど...あんまり需要なさそうだしな...」

本人はまだ「好きだから占いをしてる」と思っている。でも、気づけば「反応がよさそうな解釈」しか書かなくなっている。占星術的に見ると、"好き"を担う天体がすり替わっていく状態だ。

金星:純粋な楽しさが、「いいね」をもらう快感に変わる。
MC:自分の見た星の世界よりも、「需要のある解釈」が優先される。
土星:「反応が少ない投稿=結果が出ておらず、意味のない投稿」という価値基準が染みつく。

「私は好きだから発信している」という動機は、この辺りから消え始め、「私は伸びるからSNSをやっている」という自己認識に書き換わっていく。


⑤ 完全な「ニンジン病」状態

この段階では、もう「好きだからやる」という感覚は消えている。判断基準は「反応があるかないか」だけになる。

「フォロワー増えないなら、もういいや」
「この解釈、伸びなさそうだしやめとこう」
「このテーマなら需要ありそう!」
「この切り口は流行ってるから、きっと反応いいはず」

気づけば、こんな変化が起きている:

「星を読むのが好きだった」が
→「反応が取れる解釈じゃないと意味がない」に

「ホロスコープを研究するのが楽しかった」が
→「SNSに載せられないなら時間の無駄」に

占星術的に見ると、この段階では二つの天体が強く影を落とす。

MC:「ここまでやってきたんだから」と、肩書きや数字にしがみつく。
土星:「結果を出さないと」という重圧に押しつぶされそうになる。

こうして『ニンジンをもらえないのなら、やらない。』という状態になる。

既に本来の自分(太陽)と心の満足(月)が完全に後回しになっている。星を読むのが純粋に好きだった気持ち(太陽)も、ホロスコープと向き合うだけで満たされていた感覚(月)も、すべて「評価」というフィルターを通さないと意味を感じられなくなる。

太陽や月のエネルギーを社会的な評価(MC)や責任(土星)に変換することはできない。それらはそれらだ。同じ"好き"で括るからおかしなことになってしまう。そして「もう占いやりたくない」「私には向いてないのかも」と思うようになる。本当は「占いが好きじゃなくなった」わけじゃない。ただ「好き」の形が、いつの間にか評価のためのものに変わってしまっただけなのに。


どうすれば「好き」を取り戻せるのか。

でも大丈夫。このニンジン病は治療できる。 その第一歩は「無評価ゾーン」を作ること。

①無評価ゾーン「聖なる時間」

まずは、占いをする時間の中に「評価されることが前提ではない場」を意図的に作る。

例えば、「完全にプライベートな場所」を作る。SNSなら、いいねゼロ大歓迎のアカウントを作る。むしろ積極的にいいねゼロを狙いに行く。それすら気になるなら、紙の日記に書く。

これはどんな「好き」にも使える方法だ。絵、音楽、クラフト、料理、ダンス、写真撮影、編み物、ガーデニング、読書 etc…。評価を気にしない場所で、大胆に自分を表現する。精一杯『好き』をぶつける。そうすると「私が本当にやりたかったこと」が自然と見えてくる。

占星術的に見ると、これは月のエネルギーを取り戻す作業。「評価を気にせず、ただそこにいることが心地いい」という感覚を思い出すこと。

 

②「ゆっくり育つ価値」を取り戻す

今の時代、何をやってもすぐに反応が返ってくる。SNSの「いいね」、動画の再生数、コメント、フォロワー数。でも本当に価値のあることは、すぐには形にならない。

だから「1年後に変化が見えればいい」くらいの気持ちでいる。何なら5年後でも、来世でもいい。プロセスそのものを楽しむ練習をする。

占いなら、「この読み方おもしろいなー」と感じる。
絵を描くなら、「この一筆を引く瞬間が好きだな」と味わう。
楽器を演奏するなら、「この音色を出せる時間が心地いいな」と感じる。

占星術的に見ると、これは3つの天体のエネルギーを呼び覚ます作業。

月的な好き:ただそこにいることが心地いい
太陽的な好き:自分の道を進んでいる実感
金星的な好き:理屈抜きの純粋な好奇心

③「何のためにやるのか?」を再定義する

最後に、「何のためにやるのか」を問い直すこと。

「評価ゼロでもやるか?」という問いと向き合ってみる。

「フォロワーが増えなくても、私は占星術を学び続けたい?」
「収益にならなくても、星を読みたい?」
「誰も見てくれなくても、この解釈を書き留めたい?」

最初の気持ちを思い出してみる。占星術に出会って「面白い!」と感じた瞬間を。占いに限った話じゃない。絵を描くなら「自分の中のイメージを形にすることに喜びを感じる?」音楽をやるなら「この音を奏でること自体に意味を見出せる?」

占星術的に見ると、これは太陽の領域。「これをやることで、自分が自分になれる」という感覚を取り戻す作業。この感覚を取り戻せたとき、「評価のため」という呪縛から解放される。


「評価のない世界」を楽しめる自分へ

現代は「評価があって当たり前」世界になってしまった。SNSを開けば「いいね」や「フォロワー数」が目に飛び込んでくる。何をするにしても数字や実績で評価される。

その結果、「評価なしでは動けない=ニンジン病」に陥りやすい。何をするにも「反応があるかな」「評価されるかな」が気になってしまう。

「好き」って本来はそんなもんじゃないはず。評価がなくても、すぐに結果が出なくても「それでもやりたい」と思えるものが本当の「好き」だったはず。

誰の評価にも侵害されない『聖なる時間』を持つこと。「ゆっくり育つ価値」を認識すること。「何のためにやるのか」を問い直すこと。

「好き」にはいろんな種類がある。
「結果が出るからやる」「評価があるから続ける」という好きも、決して悪いことじゃない。問題は、これらが「好き」という言葉で全て一緒くたにされてしまうこと。

今の時代は仕事と好きの境界線が曖昧になっている。「好きな占いを仕事に」と思ったのに、気づけば「結果を出すためにやらなきゃ」になってしまう。

あなたの好きはそうじゃなかったはず。

評価がなくても、
バズらなくても、
成果が出なくても、
「それでもやりたい」と思えるものが絶対にある。その感覚を大切にしていこう。

あなたの「好き」は、誰の評価にも侵されない黄金の領域なのだから。



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