【二次創作】シュヴァルとキタサン――誕生日の帰り道
「お姉ちゃ〜ん、プレゼント決まった〜?」
「うーん、まだね。シュヴァルが好きそうなもの、なかなか見つからないわね」
「だよね〜。シュヴァちに合う香水って難しいよね。『フローラル系』でもないし、『オリエンタル系』も違う。『マリン系』はあからさまだしな〜……。あっ、見て見て! この香水、お姉ちゃんの雰囲気にぴったりかも〜♪」
「もう、今はシュヴァルのプレゼントを決めてるのよ。私の香水はいいの」
「えへへ、お姉ちゃんのイメージはすぐに湧くんだけどな〜。優しい抱擁力と魅力的な香りのするホワイトムスク! まさに、お姉ちゃんみたいな人にピッタリ! ついでに言うと〜、私は甘くて強烈な香りを放つブラックチェリー♪ この匂いに、男の子も女の子もきっとメロメロだよ〜」
「はいはい、わかったからシュヴァルに合う香水を見つけてちょうだい」
姉と妹の仲睦まじいやり取りを、僕は離れた場所からひとり淋しく見つめていた。
自分の誕生日プレゼントを決めて貰っているにも関わらず、蚊帳の外に置かれた僕は楽しげにしてる姉妹を横目に帰りたいオーラをぷんぷんと醸し出していた。
もちろん、このコスメショップに来るのも最初は乗り気ではなかった。香水なんて興味なかったし、新しい釣り竿や海釣り用のルアーが欲しいと言っても、ヴィブロスが頰をぷくーと膨らませて首を横にぶんぶんと振る始末。交渉は平行線を辿り、業を煮やしたヴィブロスは岩のように頑として動かない僕のことをロープでぐるぐる巻きにしてこのコスメショップまでずるずると引っ張り、今に至る――というわけだ……。
「二人とも……無理に決めなくても良いよ。別に誕生日だからって、そこまで祝ってもらいたい訳でもないし……」
「も〜スネないでよ〜、シュヴァち。そうやってすぐイジけるんだから。私とお姉ちゃんでシュヴァちにぴったりな香水見つけてあげるからさ〜、機嫌直してよ♪」
「そうやって茶化さないの。コスメが嫌だったら他の場所でも良いのよ? ここで無理にプレゼントを買う必要もないわ。どうする、シュヴァル?」
「いや、別にいいよ……。ここで大丈夫だから……」
――また、いつものパターンだ……。
悪意はないとは思うけど、ヴィブロスの背中に小さな黒い羽が生えたような小悪魔的な煽りや言動に気分を害した僕が不機嫌になると、姉さんが白いローブに身を包んだ聖母さまのように慈悲深い微笑を浮かべながら優しく諭してくれる。
この一連のやり取りを、生まれてから何度繰り返してきたことか。もはや数え切れないほどだった。
去年の誕生日だってそうだ。巷で美味しいと評判の中華料理店で好物の肉まんを気の向くままに食べてお腹をぱんぱんに膨らませていたら、あろうことか、携帯を持ったヴィブロスが顔をニヤニヤさせながら近付いてきて僕のお腹をぱしゃりと激写した。
手で口元を覆いながらにんまりと笑うヴィブロスは、「シュヴァちのお腹かわいい〜♪ ウマスタにあーげよっと」なんて言う始末。僕は顔を紅潮させながら、「ちょ、ちょっと止めてよ! は、恥ずかしいから消してよ……」と泣きそうになっていると、はしゃいでるヴィブロスの手から携帯を瞬時に奪った姉さんが、「こーら、いい加減にしなさい。シュヴァルが嫌がってるでしょう」と学園モノのヒロインのように助け舟を出してくれた。
姉さんの助けを借りずとも、妹のヴィブロスに威厳ある態度を示せればこんな情けないことにはならなかったのに……。
煩悶を繰り返す頭から、焼け焦げた匂いがただよってくる。二人に聞こえないように、僕は静かにため息をついた。
品定めを続けるヴィブロスは棚から香水をピックアップしていた。慣れた手付きでノズルをプッシュしてじっくりと匂いを吟味している。
「あっ、この独特でフルーティーな香り……ピンときたかも。お姉ちゃん、『イランイラン』ならシュヴァちに合うかも〜!」
差し出されたヴィブロスの左手首の匂いを嗅いだ姉さんは、頭を小刻みに揺らしながら、うんうんと頷いている。
「へぇ、悪くないんじゃないの。シュヴァル、どうかしら?」
どうと聞かれても、正直言って分からなかった。それよりも、特徴的な香水の名前のほうに頭が引っ張られてしまった。
(要らん要らん……? え、どういう意味だ……?)
そんなことを考えていると、姉さんがたおやかな笑みを戸惑う僕に向けていた。
「もう、頭のうえにクエスチョンマークが見えてるわよ、シュヴァル」
「ふぇっ? な、何でわかったの!?」
「口には出さずとも、貴方の思ってることは分かるわ。『イランイラン』という香水は、濃厚でフルーティーな香りが特徴なの。ほら、手を貸して」
そう言うと、姉さんは僕の手首を掴んで香水のノズルをプッシュした。おそるおそる顔を近付けていくと、鼻腔から脳内にかけて心地良い風がふわりと吹き抜けた。
「あっ、いい匂い……」
僕がぼそりと呟くと、ヴィブロスは猫口をにんまりとさせながら、ぐいぐいと言い寄ってきた。
「でしょでしょー! これならシュヴァちに合うと思ったんだ〜。さっすが私〜♪」
ぴんと胸を張りながら得意気な表情をむけるヴィブロス。
小馬鹿にされることも多々あるが、この純粋無垢な態度に触れると、過去に受けてきた嫌な仕打ちも許してしまいそうになる。なんだかかんだ言って、僕はヴィブロスのことを可愛い妹だと思っていると再確認させられた。
姉さんがその場を取り仕切る進行役のように、ぴしゃりと手を打って話をまとめる。
「さて、それじゃあプレゼントはこの香水に決まりでいいかしら?」
「う、うん。いい匂いだと思うし、二人が精一杯考えてくれたプレゼントだから……。その、う、嬉しいよ」///
言ってたら急に恥ずかしくなってしまった……。ふいに出た感謝の言葉に自分でも驚いてしまったが、自然と湧き上がってきた正直な気持ちでもあった。
「ふふふ。シュヴァルに喜んでもらえて、私も嬉しいわ♪」
そう言うと、姉さんは颯爽とレジへと向かった。あんなに気分良さそうな姉さん、久しぶりに見たかも。
店を出ると、冷たく乾いた風が肌を突いた――。三月に吹く春の風は、誕生日を迎える僕の心に小さな隙間風を起こした。
折角、姉妹に誕生日プレゼントを貰って喜んでいた矢先、心がささくれ立つ感覚に襲われるとは……ツイてないな……。
そんな吹き荒む風に負けそうな胸のうちを、柔らかな新風が吹き抜けた。艶やかな黒髪の少女が、眼前を駆け抜けたのだ。
その少女はしなやかな体躯をくるりと翻ひるがし、すらっと伸びた身体をこちらに向けた。そして、太陽のように明るい笑顔を振りまきながら、動揺する僕の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「あっ、シュヴァルちゃん! 奇遇だねー!」
キタさんだ……。レースで何度もしのぎを削った僕のクラスメイトであり、胸に秘めた淡く切ない感情を抱えるウマ娘……。彼女の輝く姿を見るたび、僕の心のなかで、その切ない感情が夏の日の入道雲のように大きく肥大化していく……。
そんなことを考えてると、気付けばキタさんは僕の目と鼻の先に居た。ここ一番で飛び出すスピードはトレセン学園の同期のなかでもピカイチだ。
「わっ!?/// や、やぁ、キタさん。き、奇遇だね……」
「うん! もしかして、三人でお出掛けの最中だった?」
キタさんの視線の先には、店内で会計中の姉さんとヴィブロスが居た。
「あ、あぁ……えっと、うん。そうなんだ。僕の誕生日プレゼントを一緒に見てたんだ」
そう言うと、キタさんは手をぱしんと打ち、更に距離を詰めてきた。キタさんの瞳のなかで赤面してる僕が視認できるほどの超至近距離に、心臓の鼓動が爆音で鳴っていた。
「そっかぁ!! 今日はシュヴァルちゃんの誕生日だったよね! おめでとう〜!」
まさか……キタさんに誕生日を覚えてもらっていたなんて……嬉しい……。僕のことを気にかけてくれていたなんて。なんだか、勘違いしてしまいそうになる。キタさんが僕を、す、好きなんじゃないかって……///
でも今は、至近距離に居るキタさんが発する熱に、身体が沸騰しそうなほど熱くなっていた……。
「キ、キタさん……。ちょっと、近いかも……」///
「あっ、ごめんね! つい勢いで近付いちゃった。改めて、お誕生日おめでとうシュヴァルちゃん!」
キタさんは後方に下がると、背筋をぴんと張って礼儀正しく一礼をした。
燦々と輝く太陽のような表情で祝福の言葉をもらった僕は、あまりの嬉しさに涙がこぼれそうになっていた。
「ありがとう……。君に覚えてもらえるなんて。う、嬉しいよ」
熟したトマトのような頰と赤く充血した目を悟られないように、帽子で顔を伏せながら感謝の言葉を紡いだ。
小さく手を振り、謙遜するキタさんの態度が視界に入る。可愛くて、強くて、思慮深くて、優しい。こんなにも全てを兼ね備えた彼女に、僕は愛しさと切なさを抱えている……。いつかは、その想いを発露できる日が来るはず、そう思わずには居られなかった。
「それじゃあシュヴァルちゃん、姉妹の時間を邪魔したら悪いから、私は行くねー!」
踵を返したキタさんはすぐさま走り去ろうとしていた。
しなやかなフォームと後ろ姿。その姿を見ながら、僕は何かを惜しむような表情を浮かべていた。
すると会計を済ませて店から出てきた姉さんがキタさんを呼び止めた。
「ねぇキタサン、ちょっと待ってもらえるかしら?」
「ん? なんですか、ヴィルシーナさん?」
「実は、私とヴィブロスはまだ用事が残ってるの。それまでシュヴァルと一緒にいてくれないかしら? ね、ヴィブロス?」
そう言うと姉さんは横に居たヴィブロスに、わざとらしそうに話を振った。
「あっ、そういうことか〜。ふふ〜そうだね♪ 私とお姉ちゃんは用事が残ってるから、シュヴァちのことヨロシクね〜♪」
姉さんとヴィブロスの間で交わされた謎の間の正体も気になるが、今この状況でキタさんと二人っきりにされるのは、少し気まずい……。いや、顔がニヤけるほど嬉しくもあるが、そんな状況になれば僕の情緒がおかしくなるに決まってる……。
「ちょっ、ちょっと二人とも……そんな話、聞いてないよ。それにキタさんはトレーニング中だよ? 私服の僕が一緒に居たら邪魔になるよ……」
僕は咄嗟に異を唱えた。すると、間も置かずにキタさんの声が轟いた。
「私は全然大丈夫ですよ! トレーニングは後でも出来ますし、シュヴァルちゃんと二人きりで居られる機会なんて滅多にないですから!」
――そうだ、彼女はこういう子なんだ。僕の惑いや葛藤などお構いなしに、ぐいぐいと距離を詰めてくる。その態度に困惑しつつも、心のどこかで喜んでる自分もいた。
己のさもしい性根を叩き直したくなったが、今はキタさんの楽しそうな姿を、ただ見ていたかった。
るんるんとしているキタさんの背後で、姉さんとヴィブロスが親指をぴんと立ててる。まるで、ナイスアシストをしたと言わんばかりに、これでもかとドヤ顔を振りまいていた。ヴィブロスならわかるけど、姉さんまでそんな表情するとは思わなかった……。
ここまでお膳立てのような行動を取られるということは、つまり――
(僕がキタさんを好きなこと、二人にバレてるな……)
……まぁ、薄々勘付いてはいたけど、キタさんへの好意を隠すことの出来ない無様な自分に恥ずかしくなる……。
「それじゃあ行こっか、シュヴァルちゃん!」
「う、うん……」
帽子を深く被り、頭を下げながら歩く僕の横では、足取り軽やかなキタさんが歩いている。
地面を向く猫背な僕と、向日葵ひまわりのように天を衝くようなキタさん。不釣り合いなのはわかってる。でもやっぱり、彼女の発する眩い光に否応なく惹かれてしまう。たとえ、この身を焼かれてしまうとしても、降りそそぐ灼熱の太陽に照らされていたかった。
今はただ、この幸せな時間に浸っていたかった――。
――時刻は夕方に差しかかっていた。
僕とキタさんは肩を並べて数キロほど歩いた。
キタさんが途切れることなく話を続けて、僕が聞き役に徹する。ところどころ、ぎこちない会話だったけど、内気な僕にしてみれば精一杯のコミュニケーション能力を発揮したつもりだ。というより、彼女が醸し出す陽性のオーラが、陰気な僕の内面に差し込んだおかげで会話が続いたとも言っても過言ではなかった。切っても切れない引力で引かれ合う太陽と月、そんな風に夢見がちな妄想に浸った。
気が付くとトレセン学園近くの見慣れた河原沿いまで来ていた。よくトレーニングで走りに来る慣れ親しんだ場所だ。
西日にむかって真っ直ぐに伸びる木々。ふいに足を止めたキタさんは、大きな桜の木に実った蕾をじっと見つめていた。
「この小さな蕾も、花を咲かせようと必死に頑張ってるんだよね……」
そう呟くキタさんの横顔は、少し物憂げな表情を帯びていた。
あまり見たことのないその表情に、僕はちょっとだけ不安になった。
「あ、あのさ、何かあったの、キタさん?」
思い詰めた様子のキタさんは、僕を一瞥すると、ゆっくりと空を見上げた。
「実は、気になる子が居るんだ。その子とは何度も同じレースを走ってるんだけど、一生懸命ひたむきに走る姿を見てると、胸の奥がキュッとなるんだ……」
その刹那、桜の香りを纏った風が僕の身体を貫いた。身体がふわっと浮くような不思議な感覚。僕は戸惑いつつ、想いを吐露した彼女の横顔を凝視していた。
ひょっとすると、ひょっとするかもしれない……。その子の正体は――僕かもしれない……。勘違いも甚だしいのは重々承知のうえだ。でも、もしかすると……。
早まる鼓動を抑えながら、彼女の真意を知ろうと、僕は意を決して口を開いた。
「ね、ねぇキタさん、それって、もしかして、僕の、こと……?」
キタさんは瞬きすることなく、不安気な僕の目を真っ直ぐに見つめた。そして顎に手を置いて暫し思案した後、地上に舞い降りた天使のように笑った。
「ふふふ〜、今はまだ内緒! 次のレースで、私に勝てたら教えてあげるね!」
どきんと音が鳴る心臓。天真爛漫なキタさんの笑顔が、僕の網膜に刻まれる。彼女の可憐な相貌に、さもしい劣情が駆り立てられる。
その想いも乾かぬうち、キタさんが真剣な表情で僕の瞳を見つめて言い放った。
「でも、これだけは言わせてほしい。私にとってシュヴァルちゃんは、とっても大切な人。友達としても、ライバルとしても」
「キタさん……」
淡い薄紅のような唇から紡がれた言葉を、僕は頭のなかで反芻した。僕たちは、勝ち負けの争う間柄なんだ。好きとか嫌いとかの感情は、不必要なんだ。でもやっぱり、割り切ることなんて出来ない。だって――、
(キタさんのことが、大好きだから……)
未完成な蕾だけど、いつかきっと、咲き誇ってみせる。キタさんに、僕のほうを振り向かせる。振り向かせてみせる……!
「ありがとうキタさん。僕も、君のことを、大切に思ってるよ。友人としても、ライバルとしても……」
「シュヴァルちゃん……、ありがとう」
一番言いたいことは、そっと胸の奥に締まった。それでも、お互いを『大切な人』と呼び合えただけで、僕の乾いた心は喜びの水で満たされていた。
「それじゃあ帰ろっか、シュヴァルちゃん!」
「うん……!」
そよぐ春風に背中を押され、二人で肩を並べながら歩いた。降りそそぐ日差しが、まるで祝福しているかのように頭上を照らしていた。
茜色の夕焼けのなか、僕たちの影が、ひとつ揺れていた――。