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"一生けんめいすると、何でも面白いと思った"
2023年1月 広島県、とある寒い日の忘備録
先日私は、うまれてはじめて、広島平和記念資料館へ訪れた。
梅北トミ子さんの遺品となった日記の展示を前に、私はついに動けなくなった。
13歳の彼女は8月5日の日、妹をお風呂に入れたようで、母より私と一緒の方が喜んで入るようだとか、お汁に工夫してうどんを作ったらお父さんとお母さんがおいしいおいしいと言われた、とか、そういう内容だった。
日記には「反省」を書く欄があり、そこには
"一生けんめいすると、何でも面白いと思った"
と、書かれていた。
家族の喜ぶ様子をみて、自分が一生懸命にすることが、面白いと感じたなんて、すごく素敵な人だと思った。
翌日彼女は、原爆投下の熱線を背後にうけ、8日に亡くなったことが記されていた。
日記の次のページは、空白だった。
「私はこれから、いったいどんなものを目の当たりにするのだろうか…」と、資料館へ入るまでにこわくて仕方なかった。
資料館には、たくさんの人の生きてた証が並べられいて、その人があの日どこにいて、何をしていて、どんな最後を迎えたのか、そういことが記されていた。館内はあまりに静かで胸が痛かった。
13歳の遺品の提供者として、日記にも登場していた妹さんの名前が記されていた。どんな思いで、お姉さんの日記を持ち続けていたのだろうか。
それぞれの遺品や写真の小さなキャプションに書かれていたその人やその遺品について、語り残した人は、どれほど辛い光景を目にして、苛まれたのだろうか。どんな思いで、見知ったことを言葉にしたのだろうか。
その3ヶ月後、故郷が広島の友だちと久しぶりの再会をした。この前広島に行ったんだと、いろいろ話した。
彼女は、広島はヒロシマにとらわれすぎているように感じると言っていた。過去はもちろん大事だけど、重要なのは今何ができるか、何を選択するのかということだと、言っていた。
あまりに大き過ぎる傷をもった故郷の地に生まれ育った彼女は、私の想像以上に進歩的な意見を持っていることに驚いた。
今何ができるか、何を選択するのか。
平和への願いって、もっと具体的な意思を持たないといけないのだ、と思った。