BL素人が感じた映画『窮鼠はチーズの夢を見る』への違和感
9月11日(金)から映画『窮鼠はチーズの夢を見る』が公開された。関ジャニ∞の大倉忠義と成田凌が主演を務め、『劇場』や『リバーズ・エッジ』を手掛けた行定勲がメガホンを取った作品だ。
原作は、水城せとなによるコミック。
原作は、人を好きになることの喜びや痛みをどこまでも純粋に描き、圧倒的な共感を呼ぶ心理描写で、多くの女性から支持を得た水城せとなの傑作コミック「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」 (引用:チネチッタ)
だそうで、その人気は蚊帳の外から感じていた。そんな本作を、映画ならなんでも見たい自分の性分と、仕事柄ブームやファンダムが形成されているものはチェックしておきたいというやや事務的な好奇心から見ることにした。
映画館は女性でいっぱい。どうか沼に沈ませてくれという想いで挑んだものの結果的には“違和感”が残るのみだった。
①性の入り口への違和感
二人の出会いは、大伴恭一(大倉)の浮気調査を今ヶ瀬渉(成田)が担当したことから。この二人、かつては大学の先輩・後輩同士だった。恭一は今ヶ瀬に、7年前から好きだったことを打ち明けられ、調査の口止めとして、キスと口淫を要求される。妻を傷つけたくない恭一は、これを受け入れた。
この時点で、眉間にシワを寄せてしまった。明らかにパワーバランスが異なる状況で、さらに相手の“断らない性格”を知りながら、性的関係を要求する。これは、同性だろうが異性の恋愛だろうが、受け入れがたい。後々、恭一の心情に変化はあるものの、この恋のはじまりに美しさは感じられなかった。
②恭一の違和感
130分間ずっと違和感を感じていたのが恭一。“流され侍”のあだ名がつくほど、受動的な性格で、簡単に言うとクズだ。本作の会見でも、
僕も(恭一役を)やっててクズだなと思います。でもきっとこういう人が好きという人もいるわけで。 (引用:映画ナタリー)
と大倉自身が語っている。
どういう点がクズかというと、浮気をするとかという生易しいものではない。基本的に人の扱いがとても雑で、特に吉田志織演じる恭一の部下・岡村たまきへの態度は最低極まりなかった。あまり書くとネタバレになってしまうが、まず上司として業務外の要求が多すぎる。気まぐれで仕事中にカフェに誘い、休日に資料の受け渡しも頼んでくる。彼女が断らない“気配り人間”だという優しさに、甘えるというか利用する形で仕事を要求する。
後々二人は交際関係に発展するが、その際も、料理の手伝いはしないし、彼女が“なにか”を察して「今夜は泊まらない」と告げると、嬉々と今ヶ瀬を部屋に誘い込む。人の優しさにつけこむ彼の自己中っぷりに終始苛立ちを隠さずにはいられなかった。いつ痛い目にあうのかワクワクしていたが、どうやら、そういう話ではないらしい。
映画すべてにおいて、素敵な性格の人が物語るべきとは微塵も思っていないが、この恭一の愛せなさは、原作か映画的演出の不足かわからないけれど、本作の枷となっていた。初めは女性の扱いだけが酷いのかと思ったけど、今ヶ瀬への態度も相当ひどく(彼も彼で悪いけど)、彼の幸せを願うことはできなかった。
③編集的違和感
ここからはネタバレあり。恭一と今ヶ瀬は一度関係が破綻する。今ヶ瀬が失うことの怖さから、恭一の携帯を勝手に見るなどして、不必要な不安を募らせることから、二人は離れ離れになる。
そこで物語の中盤、二人で海を眺め、最後の思い出を作り、その次に恭一はたまきと婚約する。その後も、今ヶ瀬は探偵という職業で培った知識を活かし(?)、恭一にストーカー的行為を繰り返す。
「体の関係なんていらないから、半年に1度でいいから会ってくれ」、という今ヶ瀬に、「お前はもういらない」と恭一が告げる。人を傷つけることを恐れる恭一のこの言葉は、再婚を見据えた自分の生活を守り、さらに、今ヶ瀬を苦悩から遠ざける精一杯の強がりに見えた。
しかし、ここからたまきとの生活が始まるのだが、勘のいいたまきは、恭一の部屋のあるものを見て、“元恋人”が恭一の下に戻ってきたことを察する。そこで前途した「今夜は泊まらない」のシーンに繋がり、先程「お前はもういらない」とまるで永遠の別れを告げた二人が、あっけなく元サヤに戻り、コソコソと部屋に戻ってセックスをする。
「間、どうしたんだよ!」と思わずツッコミを入れたくなる展開で、自分が知らぬところで寝てしまったのか疑ってしまうほど。原作ではどうなっているんだろう。
wikiには
恭一は今ヶ瀬への恋情をくすぶらせながらも、彼との日々は「同性愛者のまねごと」をしていただけと思い、たまきとの生活に安らぎを感じていた。しかし、知人男性からのストーキングに悩まされていたたまきが今ヶ瀬に調査依頼をしたことで、恭一と今ヶ瀬は再会し、恭一の心は揺らいでしまう。
とあったけど、たまきが調査を依頼する描写は、多分なかったはずだ。2chやTwitterの情報を見ると、梅田の舞台挨拶で行定勲が、あの後1分半くらいあったけど観客が安心してしまうからカットした、と言っていたらしい(真偽不明)
そういう意図があったとしても、大どんでん返し的サプライズは感じられず、観客を驚かせたいあまりに空回りしてしまった印象を受けた。
多分自分の中でボーイズラブ原作の映画は、今回が初めて。日頃からLGBT映画と呼ばれる作品はよく見ていて、wokeなものもそうでないものも、幅広く好きなつもりでいたが、本作はシンプルに肌に合わなかったようだ。
そもそも同性愛だろうが異性愛だろうが、個人的には、あまりにも生々しい性描写が苦手で『娼年』とかも得意ではない。AV好きとして矛盾しているが、この感覚は、やりすぎスプラッター映画のお腹いっぱい感に似ている。映画は基本的に偽物の世界だが、そこに“本物”を演出するのが制作側の仕事の1つと思っていて、あまりにエロを押し出した作品の場合、逆にハリボテ感が増す。
恋愛にはセックスがつきもので、世の中には美しいラブシーンが溢れている。でも、もしボーイズラブ映画に過激な性描写が避けられないのだとしたら、先が思いやられる。。直接的に描くことのみが、セックスシーンの意義ではない。今大注目のBL原作映画。少しアンダーグラウンド的なファンダムが、日の目を見ることになったのは喜ばしい。今後作品が増える中で、どんなバリエーションを見せてくれるのだろうか。未来に期待したい。
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