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大森靖子とリディア・ター

「大森靖子とリディア・ター」ここ最近はこのことばかり考えている。

「きゅるきゅる」が10年前で驚いた。私はあの時の戦士のような大森さんの姿に虜になり何度もライブに足を運んだ。

その当時見ていた大森さんと現在騒動の渦中にいる大森さんの変化を見ると、どうしても映画『TAR』を思い出す。

女性でレズビアンで労働階級。本来であれば茨の道を歩んできたターがオーケストラの世界で権威を手にしたら、自分が特例かのように錯覚し、過去の痛みを忘れ、権力を振り翳していく。そして教え子クリスタの自死をきっかけに、ターはキャンセルされていく。

私はこの一連の騒動にリディア・ターの影を見る。かつて強者に向けられた感情の原液は、その濃度を変えず高い位置から投げられており、そのものに大差はないものの想定の外にある力を得ている。

景色に気を取られたターは自分の場所を忘れ、そして下の世界が視界から外れる。

ターのクリスタへの態度に正当性があるかもしれない。そんな可能性を孕みながらも山はガラガラと崩れ落ち、オーケストラのごとく並んだセックスワーカーたちを見て、ようやくターは己に気付く。

芸術の頂に立っても神の領域には届かない。しかしARTの名を持つターは音楽を止めない。「音楽は魔法ではない。でも音楽は…」。そんな言葉に続く、鋭い爪で引っ掻くようなあのギターの音色は今何を奏でているのだろうか。

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