2022年1月17日
ビートルズの赤盤が売れて、郵便局に持っていった。ビートルズの赤盤といっても Let it be の赤盤(レッドヴァイナル)であり、いわゆる赤盤(1962-1966)ではない。ややこしい。今は Help! のUK盤をオークションに出品している。落ちるかどうか。もう一つ「カバトットのサンバ」は早くも入札があった。土曜日に終了予定です。
InstagramでサッポロClassicがセブンイレブンで買えるという投稿を見かけ、昨日行ってみたら近くのセブンイレブンにはなかった。少し前に、知人宅の冷蔵庫にサッポロClassicが大量にあり、どこで買ったのか訊ねたところ、ふるさと納税だと言われた。今日もう一軒近くのセブンイレブンに行ってみる。セブンイレブンの北海道フェアなんて本当に存在するのか。
あった。
売ってた。
帰りに手袋を落としてしまって、来た道をもう一度戻った。
あった。
サッポロClassicを知ったのは先月札幌に行ったからで、ことあるごとにサッポロClassicを飲んでいた。本当に美味いのかどうかはわからない。ただなんとなく、ご当地気分で。
今日は一日中 picnic をかけていた。
「失われた時を求めて」の読書日記を書いていると、他のことが何も書けない。いやそれどころか、他のことは何もできない。人生に重くのしかかっている。それほどではない。今こうやってただの日記を書いている。「失われた時を求めて」の8巻はおもしろいです。でも8巻だけ読んでも確実におもしろくないです。誰かの名言で、「いい映画は途中から見てもおもしろい」という言葉があったけれど、「失われた時を求めて」の8巻にも当てはまるだろうか。
同時並行で書いている「プルーストを読む生活」の読書日記。柿内さんを揶揄するのをやめたい。つい思ったことを書いてしまう。でも柿内さんだって「失われた時を求めて」の主人公の不甲斐なさを揶揄している。小説の主人公は架空の人物だけど、柿内正午だってヴァーチャルな存在だから同等の扱いが許されるはずだ。でもなるべく揶揄はやめたい。そんな心意気が今日の読書日記には現れている。
昨日、文フリ京都で買った本を見て、全部カバーがないことに気づいた。市販の本はカバーがかかっているのが当たり前、自主制作の本にはカバーがないのが当たり前。カバーのコストとはそれほど大きなものなのだろうか。とにかく現場で物を選ぶのが苦手で、あとでツイッターのハッシュタグを巡回して、あれもこれも買っておけばよかったと思うのです。本番に弱い。
ここ一週間ぐらいはサリンジャー周りを読んでいた。「謎ときサリンジャー」の新説が頭の中に入ってしまい、なかなか離れられない。そこから抜け出すには、もしくは一旦脇に置くには、少し時間がかかりそうだ。双子のライオン堂の文芸誌(しししし)のサリンジャー特集号が今手元にある。今これを読んでも、ことあるごとに「謎ときサリンジャー」の新説がちらつくことだろう。
次に読む本は「百年の孤独」と決まった。これまで一度も読んだことがない。まだ読み出さない。その前にとりあえず村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」をさらっと読んでしまおうかと思っている。マラソンに挑戦してみたくなるかもしれない。100キロマラソンの大会に出ている知人が、「フルマラソンぐらいなら誰でも完走できますよ」と言っていた。その言葉は信じていない。
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