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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 101

失われた時を求めて

11巻、170ページまで。モレルがところどころシャルリと呼ばれていてややこしい。海外の古典文学ではときどきあることで、ドストエフスキーの作品なんかでも一人の人物が何通りもの名前で呼ばれていた。日本の小説ではまずそういうことはやらないだろう。肩書で呼んだりあだ名で呼ぶことはあるかもしれない。だったら同じか。いや、肩書やあだ名なら文脈で判断できる。海外小説も、ネイティブの人なら文脈で判断できるのかな。

シャルリュス氏主催、ヴェルデュラン邸にて、モレルやその他楽団による演奏が始まる。曲目はヴァントゥイユ作曲。主人公はヴァントゥイユのソナタの音楽評を始める。正直あまりよくわからないんだけど、なんかすごい比喩表現を使って曲を評価している。曲を表現する文章としてあまり見たことのないもので、独特で古い感じもしない。ただめちゃくちゃ長いから引用ははばかられる。

演奏は始まったが、私はなんの曲が演奏されているのかわからず、見知らぬ土地にやってきたような気分だった。どこに連れてこられたのだろう?どの作曲家の作品のただなかにいるのだろう?それを知りたかったが、あいにくそばに訊ねる人はなく、私はたえず読み返していた『千夜一夜物語』の人物になりたくなった。この物語では、どうしたらいいか思案に暮れる主人公の前に、他人には見えないが、妖精やうっとりするほど美しい少女が不意にあらわれ、知りたいと願っていたことをそっくり教えてくれるのだ。まさにそのとき私は、ほかでもないそうした魔法の出現に助けられた。知らない場所だと想いこんでいる土地で、実際まずは見知らぬ方向へ歩きだし、ある道を曲がって不意にべつの道へはいると、そこは隅々まで知りつくした道で、それまではこの方向からやって来る習慣がなかっただけだと気づいて、実際こう思う、「これは友人の***家の庭の小さな門へ出る小径だ、もうすぐその家に着くぞ。」実際、その家の娘がやって来て、通りがかりにこちらに挨拶するではないか。それと同じで、私は聴いたことのないこの音楽のなかで突然、自分がヴァントゥイユのソナタのただなかにいるのに気づいた。

11巻 P135-136

こういうのが延々と続く。サロンのシーンと同様、終わらない。

ヴァントゥイユ氏はすでに亡くなっており、今回演奏では生前未発表だった曲も披露される。未発表曲は、ヴァントゥイユ氏の娘であるヴァントゥイユ嬢の同性の恋人の手によって発掘、解読され世に出た。このあたりは非常に屈折しており、ややこしくて読み取りが難しい。ヴァントゥイユ嬢は確か同性愛者ということで、ご近所から後ろ指を指されていた。その相手がヴァントゥイユの未発表曲をまとめている。経緯としては、死期を早めたことによる後ろめたさからと推測されているが、よくわからない。

この手の読み解きはどこかで解説されているのだろうか。「謎解き 失われた時を求めて」はそんなに分厚い本ではないから、どこまで網羅しているだろう。もしかすると文庫の解説のほうが詳しいかもしれない。いつかちゃんと読もう。

「失われた時を求めて」の感想について、僕は物語のあらすじを書いているような形になり、あまりまともな感想を書けていない。だからこの本を読んだ人がどういう感想をいだいているのか気になる。読み終えたら「収容所のプルースト」を読もう。

プルーストを読む生活

538ページまで。引用祭りなので割愛。

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