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ラーメンの半分は幻想(2024/5)
雑踏一人回です。今日のテーマは「ラーメンの半分は幻想」にしました。
まず、前回の一人回に頂いた、ひろしのコメントを読み上げます。前回は「ビール離れ」という回です。
尿酸値が高いので、ビールは飲みたくても飲めていません。ちなみにハイボールはウイスキーですか?バーボンですか?ブランデーですか?
ということでした。僕も尿酸値は高いけどビールを飲んでいます。ハイボールの中身については、本編で言っているので、よかったら聞いて下さい。
今日のテーマは「ラーメンの半分は幻想」でした。
昨日もラーメンを食べてきたばかりで、この回を話そうと思ったのは、人参くんの声日記「ラーメンがあまり食べられなくなった話」を聞いてなんですけど、人参くんは27歳ぐらいからラーメンが年一ぐらいでしか食べられなくなったそうです。
人参くんというのは、別に僕は全然面識なくて、そういう名前の人です。
僕は40になってもラーメンときどき食べるし、昨日行ったラーメン屋でも年配の人がけっこういたから年取っても食べる人はいると思うんですけど、確かに若いときの方がけっこうな頻度で食べていたような気がします。
なんででしょうね。僕自身の経験としては、考えるのがめんどくさいからとりあえずラーメンか、カレーを食べていました。休日とかは特に。同じ店に通うということでは、天一とか、一蘭とか、三田製麺所を特に食べていました。チェーン店が多いですね。あと新福菜館とか。カレーだとインディアンカレー。あまり店に詳しいとか、いろいろ食べ比べたいとかではなかったので、行きやすいところに行ってました。
こう言うと、好きな人に怒られるかもしれないけど、ラーメンもカレーも、期待値ほどおいしくはないですよね。おいしいけど、「おいしい」という記憶の方がおいしいというか。実際の味が「ラーメンおいしい」という幻想を上回っていないというか。
ラーメンの夢、ラーメン幻想みたいなものが、ラーメンの味には上乗せされているような気がします。「ラーメン食べたい」という欲求にも、その上乗せされたイメージが結びついていて、実際食べてみると「夢ほどではなかったな」という感想になります。僕は。
だから僕にとっては、ラーメン自体は好きだし、確かにおいしいんだけど、幻想のラーメンのほうがうまいです。ラーメンがまた食べたくなる気持ちには、半分ぐらい幻想が乗っかっています。
これって何か似たようなものがあったなと思って、思い返してみたんですけど、タバコですね。
喫煙者の人はよく「タバコうまいタバコうまい」って言うんですけど、僕はそんなにそこまでうまいと思ってませんでした。
僕は今禁煙中で、5年続いているんですけど、喫煙していたときにも「タバコうまい」っていう気持ちはそんなになくて、ときどきはあるんですけど、普段からはそんなになくて、僕を喫煙に向かわせる動機の半分ぐらいは「タバコうまい気がする」という幻想から成り立っていた気がします。
実際吸ってみるとたいしたことない。そんなに味があるわけでもないし、5分もすれば吸い終わってしまう。吸ってみれば、何をこんなものに、そんなに期待していたんだ、と思うこともよくありました。
ただラーメンにしてもタバコにしてもそうですけど、ときどきめっちゃ染みることがあって、その奇跡というか、体調とかタイミングとか気候とかがそろったマグレの一回の記憶が強くて、毎回は得られないのに、毎回その奇跡のひと味を求めてしまっているのかもしれないです。ギャンブル性、こわいですね。パチンコや競馬に通じるものもあるのかない。射幸性っていうんでしたっけ。不確実な幸運の方が依存性が高いって、何かの本で読みました。
「快感回路 なぜ気持ちいいのか、なぜやめられないのか」か、もしくは「僕らはそれに抵抗できない 依存症ビジネスのつくられかた」という本か、どっちかです。
ラーメンもタバコもギャンブル性はそんなにないけど、求める気持ちには影響しているのかもしれないです。
この流れでついでに、お酒の話をします。お酒はどちらかというと、僕にとっては効果が大きい。打率が高いので、習慣になっています。ラーメンやタバコほど、幻想が上乗せされていないと思っています。
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