興味は好意に先立つか

「好意と興味は別」という話を以前にしていたら、それについてまとめてほしいと言われた。自分にとって、好意と興味は違う。興味がある=好意があるというわけではない。たとえば、興味本位なんていう言葉は、興味はあるけれど好意はないときに使う、どちらかと言えばネガティブな言葉だ。

今自分がもっぱら興味あるのはApple Watchの使い方だけど、好意があるかというと、ない。物が対象だと好意があるっていうのはおかしいか。

人が対象だとどうだろう。好意と興味は独立するか、連動するか。僕の場合、ある人に好意を持っていても、興味がないことは多々あった。ほとんどの人がそうだ。特に興味はないけれど、薄っすらとした好意は抱いている。友達なんてみんなそうだと思う。興味はないが、好意はあるという関係はかなり多いんじゃないか。

逆はどうか。好意はないが、興味はある。好きじゃない相手だけど、動向が気になる人はいる。ゴシップの対象になるような人は、好かれていないけれど興味を持たれている。とてもじゃないが愛されているとは言えない。だからこの場合も、好意と興味はそれぞれ独立して成り立つと言える。

バンジージャンプなんかは興味はあるけれど好きとは言えないっていう状況があるんじゃないか。好意を持つというのは、対象のことをある程度知っているからこそ成り立つ。興味があるという段階は、対象についてまだ知らないからこそ、成り立つかもしれない。

だから、興味があった対象のことを知ると、興味が失われる。また新たに興味を持つ項目が出てくるかもしれないが、少なくとも以前あった興味が解消されてしまえば、いったん興味は失われる。しかし、そこで興味が解消されることによって好意へと変容するかもしれない。知ることにより、新たな興味か、もしくは好意が生まれる。

知りもせずに好意があれば、それは何かがおかしい。少なくとも知ってる範囲での好意、もしくは想像ということになる。

わかりやすく簡単な例を挙げてみよう。僕は性欲の対象となる人と、付き合う対象となる人、結婚の対象となる人が全部違う。多くの人は僕と同じように、それぞれ別だと思う。性欲の対象となる人が一番広く、ハードルが低い。誰彼構わずといった感じだ。そんなことはない。少なからず対象に興味がないと、対象にならない。でも好意がなくても対象にはなる。

次、付き合う対象となる人は、何もなければ「いない」。すなわち対象に好意を抱いていないと、付き合う対象とはならない。好意を持つ相手がいなければ、その時点で付き合う対象はゼロだ。フラットな状態となる。

好意を抱くには、まず相手のことを知る必要がある。相手のことを知るには、興味がなければ知ろうとしないから、段階を経る必要がある。付き合う対象は、誰彼構わず、ということにはならない。結婚となると尚更で、興味、好意を越えたその先の相手となり、また一段ハードルが上がる。

僕の場合は一人でいることが標準で、とりあえず付き合ってみるなんてことをやらない。人との距離は置きたい方だからこうなる。初対面だと年下でも敬称をつけて丁寧語で話す。あだ名が苦手。パーソナルスペース広め。

僕みたいな感じじゃない人だって、いくらでもいるだろう。来る者拒まずという人なんかは、好意どころか興味がない相手とも、付き合ったりするかもしれない。懐が深い。甲斐性がある。寛容なんだろう。僕はそうじゃない。興味→好意→と段階を経て、対象との距離が縮まる。だから僕の場合は、興味が好意に先立つことになる。

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