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話すのが苦手問題(2023/11)

今回は、「話すのが苦手問題」について、考えていきたいと思います。以前に「一人喋りについて」という回で、一人喋りについて考えましたが、それと被る部分もあると思います。一人喋りの回は、特にラジオやポッドキャストの一人喋りについて考えています。興味があったら聞いてみてください。今回は一応、話すこと全般について苦手、という話です。

僕は話すのが苦手だという自覚があります。日常会話においても言葉が出てこず、言葉に詰まり、言葉が足らず、言葉を濁してしまいます。今、この一人語りも、あらかじめ文章を書いて台本のように読んでいます。それぐらい話すのが苦手。

もちろん経験不足からくる苦手意識、というのもあると思う。あまり人と話してこなかったし、話すことに消極的だった。人前に出るようなこともしてこなかった。人と話す機会があっても、準備してこないと何も話せない。何を話していいか思い浮かばない。だから、前もって話す内容を用意しておく。これは何も、スピーチなどに限った話ではなく、日常会話においても同じでした。

人と話す場面、もしくは人前で話す場面をイメージして、シミュレーションして、質問を考える。どういう会話になるか予測を立てる。こう来たらこう、というように会話のパターンまで頭の中で想定しておく。その想定から外れてしまうと、何も対応できない。手慣れた人ならその場で思いつくんだろうけど、そういう器用なことができない。あらかじめ計算して組み立てた話しかできない。

事前準備を怠ろうものなら、まったく何も出てこないポンコツとして、黙ってその場に立ち尽くしてしまう。急に振られようものなら、アタフタしてその場を乱してしまう。これは苦手意識なんかではおさまらない、言わずもがな「苦手」の分類に入ると思います。苦手だからこそ、緊張するし焦る。前向きにもなれない。なるべく話す場面は避けるようにしてきた。どちらかというと、聞くほうが楽。聞いたことについて考え、答える方がやりやすい。それも即興ではできず、時間がかかるけど。

意思疎通全般が苦手だと言える。中でもとりわけ話すことが苦手。じっくりと時間をとって、弁解の余地があるなら、やっと気軽に話せるようになる。だからどうしても、話せる相手が限られてくる。時間をかけて根気強く僕の話を聞いてくれる人としか、会話にならない。そんな人が世の中にどれだけいるかというと、まあいない。職業的な人は除いて。

僕はきっと、「あまり話さない人」とか「急に突拍子もないことを言うだけの人」とか「親身に耳を傾けてくれる人」とか、そういうイメージを持たれることが多いんじゃないか。「好き勝手よく話す人」と思っている人は、僕がけっこう心を開いている人だと思う。

かと言って、人の話を聞くのが好きとか得意というわけでもない。興味のない話は頭に入ってこないし、言われている言葉が理解できないことも多い。特に、僕は人に共感することがあまりないから、「言わなくてもわかるだろ」と言われるたぐいの物事はたいていわからない。筋道を立てて説明してもらわないとわからない。反対に、僕に共感してわかったつもりでかけられた言葉は、たいてい僕の心情からズレている。共感が得意な人は、だいたい僕には共感していない。共感のコミュニケーションって、おそらく共感性が高い人同士でしか成り立たないもんだと思う。

話はそれるけど、聞き上手とは一体なんなんだろう。傾聴とかよく言われるようになったけど、世間でよく言われる聞き上手とは、口を挟まずに話を聞いているフリをするのが上手いだけの人のように思える。汲み取るのが上手いとか、聞き上手は技術なのだろうか?僕にはちょっとわかりません。聞き上手ってなんなん?

書くのが得意というわけでもない。話すよりも書くほうが上手くできているように感じるのは、かけられる時間が違うから。書く行為は推敲できるから、即興で話すよりも形が整う。それで書いたほうが上手いように見える。書く行為は文字が見返せるし、書き直すことも簡単にできる。話す行為は事前に準備ができたとしても、本番は一発勝負ですね。話しなおす機会が与えられることって、そうそうない。演技とかならやり直しが効くかもしれないけど、ほとんどの人は演技ではない日常をぶっつけ本番で生きている。だから、書くよりも話す方がハードルが高いと思う。

ただし、それは上手く書く、上手く話す場合の話で、それ以前に書くことそのものに訓練が必要だから、書くことのほうが苦手という人もいるだろう。文字の読み書きは基礎教育が必要だし、文章を組み立てる必要もある。学生の頃に読書感想文が苦手、作文が苦手という人は多かったはずだ。話す、という行為自体は、書くという行為よりも自然に備わっている。話し言葉には感情も載せやすい。大人になってからも、レポートよりスピーチの方が得意、という人がいてもおかしくない。

日本人は特に、話下手だという説もありますが、これはほんまなんでしょうか。外国人、西洋人はディベートとかスピーチの訓練をする習慣があるから、みたいなことが根拠に上げられるけど、みんながみんなそうなんだろうか。どうなんでしょう。

でも内向的な人は話すのが苦手、みたいなのはあるかもしれない。僕みたいに陰気だから書くほうが得意、というのはイメージ通りな気がします。話すのが苦手問題は、単純に性格に依拠しているのかもしれません。明るくなれば、話すのも好きで得意げになるかな?

最後に、そんな話し下手な自分が、なぜこんなポッドキャストという話す一本槍のフィールドで配信しているのか。話が上手い人、得意な人、おもしろい人はいくらでもいる。それこそ、ポッドキャストを生業にしている人や、タレントのラジオが配信されていたりもするから、おもしろい、ためになる、上手い、楽しいポッドキャストが聞きたければ、たくさんの中から選べる。

僕がやっていることは、そういうのから外れた、片隅の日記というか、個人の生活史に近い。僕が目指しているのは、決してそれに秀でたわけではない人間の、この時代の大多数の中の一人の、当たり前の、ありきたりな点を残すこと。フィールドレコーディングにも近い。環境音としての誰かの声を、自分の声で吹き込んでいる。

だから、話すのが苦手でもポッドキャストを配信している、という答えになります。今回は、そんな、雑な締め方で終わりたいと思います。


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