忘れる問題(2023/11)
今回は「忘れる問題」について、考えていきたいと思います。「忘れる問題」とは、普段から物事をよく忘れる、物忘れがひどい、とかそういう日常的な話です。
例えば、僕は今、夜に日記をつけています。今日あったことをノートに書いているのですが、朝から順に思い出そうとしても、全然思い出せません。今日あったこと、今日一日を振り返っても、普段やっていること数行で終わってしまうことがほとんどです。
記憶力の低下を示す事例として、よく、昨日の夕飯も覚えていない、などと言いますが、僕はその日に食べたものもパッと出てこない。これは記憶力の低下なのか、もともと食べ物に関心がなく、覚えていないだけなのか。そもそも食べた物について、日記に書かないことの方が多かった。
日記をノートに書いていると言いましたが、トラベラーズノート、という商品を5年ぐらい使っています。紙のノートにボールペンでメモ書きし、それを後でwebサービスのnoteに書き写します。ややこしいですね。ボールペンはパーカーだけど、インクはジェットストリームを使っています。ジェットストリームのパーカータイプという替芯が、2018年に登場してから、ずっとそれを使ってます。パーカーのボールペン自体は、いつか忘れたけど誰かにもらったものをずっと使っています。
忘れる問題に戻ります。普段からあまり記憶力に頼らない生活をしているおかげで、衰えているのかもしれません。筋力のように、記憶力も鍛えられるのではないか。記憶の運動不足が続くと、もしかしたら記憶力が衰えるのではないか。
でも僕にとっては「覚える」という作業が苦手であり、苦痛です。覚えることへのストレスというか、忘れることへのプレッシャーから逃れるために、覚えなくていい仕組み、リマインダーなど、に頼る生活をしています。そんなことをしているから、忘れる問題が膨らんでいるのでしょうか。
最近では、見た映画やドラマ、アニメ、読んだ漫画、本の内容まですっかり忘れてしまっています。それらを楽しむこと自体が娯楽なのだから、覚えている必要はないっちゃないのですが、せっかく時間もお金も費やして、終わったら何も覚えていないとなると、素通りしているようで、何かもったいない気がします。何も覚えていないのに、本当に自分はそれを見たと言えるのか。
人が映画や本の話をしているのを聞く度に、よくそんなに内容覚えているなーと思ってしまいます。話の大筋や印象的なシーン、好きなシーンだけを大まかに覚えているだけでも、感心してしまう。これは、僕はよっぽどなんだろう。タイトルや監督、役者の名前が出てこないことも多々あります。本だと作者や登場人物の名前だったり、地名だったり。これは老化なのかな。何でもかんでも老化と一言で片付けてしまっていいのだろうか。
最近読み終えた本に「謎とき 失われた時を求めて」という本があります。これはマルセル・プルーストというフランスの作家が書いた「失われた時を求めて」という小説の、構成や比喩表現について解説している本です。僕は去年に「失われた時を求めて」を読み終えたのですが、読むのに1年以上かかりました。さらに読み終えてから10ヶ月経ってしまっており、今いくら「謎とき」をされても、本編の細かい内容を忘れてしまっています。これは、本編も読み返せということか。それはめんどくさすぎる。こういうときに、忘れる問題を痛感します。せっかく時間をかけて読んだ本なのに、内容を忘れてしまっている。もちろん覚えている部分はありますが、日に日に記憶は薄れていく。
では、この忘れる問題ついて、僕はどのように向き合っていけばいいのだろう。老化による記憶力の衰えなのか、記憶の鍛錬を怠っていることによる脳神経細胞の衰えなのか、もしくは似たような刺激に慣れすぎて、新鮮味に欠けるため覚えていないのか。単に記憶の容量が限られていて、キャパオーバーなのか。
いずれにせよ、忘れてしまうことはもどかしい。けれど、覚える努力をしたいとは思わない。そんな都合のいい話はないか。今のところ、この忘れる問題にどう向き合うかは検討がついていません。とりあえず日記については、できるだけ思いついたときにメモするようにしました。でもこれって書き出すと結局忘れてしまう気がして、解決になってるのかな。外部記憶として残ればいいのか、そもそも自分の記憶に残しておきたいのか。自分はどっちなんだ。
この僕の、忘れる問題について、同じ悩みがあったり、自分なりの回答がある人は教えてください。
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