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窓が凍ったり、薪ストーブを買ってみたり

 今朝はとても寒かった。震えながら、まだ真っ暗なお部屋の中を歩いて窓から外の様子を伺った。吐く息は室内なのに白く、外の景色も同様に白かった。夜の間に雪がまた積もったのだろう。それにしても冷えるのだ。急いで台所に向かった。これから夫を起こして、朝ごはんを作ってもらうのだがこの寒さで炊事は堪えるだろうと思い、起きたついでにストーブを点けておこうと思ったからだ。

 台所は家の奥まった場所にあるので、少し暗くより寒かった。電気をつけて、ストーブのスイッチを入れる。大きな窓から見える外は真っ暗でまだ何も見えなかった。

 朝の日課になってるふきんの煮洗いをしようと、皿を拭くふきんや、私が手編みした綿のたわしなどを回収していく。とても冷たい。ホーローの鍋にぽんとそれらを入れて、少しの重曹とそれよりも少しの酵素漂白剤を入れる。そこにお水を入れようと、水の元栓を開いて、蛇口を捻った。水が流れてくる。凍てつくように冷たかった。

 台布巾を洗ってとりかえようと、お湯の方の蛇口を捻った。はずなのだがお湯が出てこない。凍ってしまったのだろう。困った。私は頭を抱えながら、ホーロー鍋を手に夫を起こしに居間へと戻るのだった。

 途中、洗面所の窓を見た。薄い氷の膜が張っていた。それほどまでに寒かったことを物語っている。

 こんなに寒いとなると今日は大変そうだなあ。

 そんな事を考えながら、時刻を見る。まだ六時台だった。

 夫を起こすにはまだ早い。

編みかけ

 前日から、一生懸命に取り組んでいた途中のルームシューズに手を付けた。夫を起こせそうな時間になるまでぼんやりと編んでいた。何も考えることは無いけれど、最近あった辛い事を最近はよく思い出すようになった。

 お友達に病気の事を打ち明けたけれど、治療に専念して欲しいからとグループから蹴られたり、混乱して何故そんな事をするのか連絡を送ろうとしたらブロックされたり等、私が病気を告白したのがいけなかったのだなあ。と悲しい気持ちで胸がいっぱいになって、息苦しくなり、頭の中と肺の中が重くなる。

 相変わらず全身に激痛が走る。編む度に手と指を動かすと激痛が走る。体も辛くて、心も辛い、支えてくれるのは夫だけ。

 現在の主治医は、セクハラやパワハ発言を行ったり、私の病気を~~疾患もあります。と、カルテに書かれていなかったからとして、主治医が10年ほど前に私と母の前で突然怒りだし「障がい者年金の書類は私は書きませんよ!うつ病程度でなんて書きません!統合失調症とかね、そういう方が申請するものなんですこれは、書いて欲しいなら他の病院へ行って下さい、私は書きません!!」と怒鳴り散らした。それがカルテに記載がないからと言って私の病気のせいでそんな記憶があると言って私に無い病気を勝手に作って、診断を下した。

 ちょっと頭がおかしすぎないかと、主治医への不信感が強まっていた。それなのに、私の友人たちはその頭おかしい主治医の「他者との交友を控えるように」と言った言葉をうのみにしており、それを盾にして、私をブロックしたり、グループから蹴ったりと、そういうことになっている。

 心が苦しくなってきた。痛くなって。私は編む手を止めていた。心が苦しい。痛い。どこへ行っても病気の話をすると私は孤独においやられた。誰も、親も、弟でさえも、隣には居てくれなかった。話さえ聞いてくれなった。

 夫が起きてきて、私をぎゅっと抱きしめた。頬にキスをする。

 夫は、絶対に私のそばを離れなかった。いつだって隣にいた。いつも私を心配していた。今回の事も「ゆきがただただ可哀そうで泣いてる」と抱きしめて離さなかった。

 夫は私が一番欲しいものを知っている。

 それは、無償の愛だ。

 私が幼いころに貰えなかった。一番欲しかったもの。安心できるもの。それを夫は私にくれる。だから、私は、こうして生きていれたのだろうと何度も思う。私は、夫に出会うまでこれまで、大変な中生き抜いてきたんだなと思う。

 他の誰もくれない、他の誰も理解してくれない、私の心の癒し方を一番知っているのは夫なのだ。かけがえのない夫ただ一人なのだ。

 他の誰もが私を孤独に追いやっても、私には夫がいる。それだけで、十分だと、もう、私は諦めることにした。友達とか、親友とか、いたらいいな。楽しそうだな。ってあこがれていた。辛い時助け合えて、そんな人が私にも出来たらいいな。

 そう思って病気の事を打ち明けた。勇気を出して、怖がりながら、拒絶されるんじゃないかと、思いながら。

 でももう、いいんだ。もう、余り考え無いことにした。

 諦めると、気楽になるものだ。

 出来ない事を、他人に求めても、他人を自分が変えられるわけではないので苦しいのだ。

 なので。私は、他人を変えようとするのではなく、自分が変わればいいか。自分が変われる努力をした方が、現実的だな。と思うことにした。

 でも。一つだけ、迷った時にこう判断する基準を決めた。

 私はその決断で、人生を後悔しないだろうか?

 夫との関係でそこの考え方に辿りついた。

 それで、今、こうして、幸せで安心できる生活をつかみ取った。ちゃんと守りたかった夫もいる。私は、後悔してないよ。それで、何か沢山失っても、いいんだ。こうしたくて私がしたのだから後悔しないよ。

 きっとこれからもこの事を思い出しながら、生きていくのだろうと思う。

 薪ストーブを買ったついでに、ベッドもフレームはないけど、買った。夫と二人で広々寝れるサイズのベッド。それを夫に話したら。

 「俺、自分のベッド今まで寝たことないから嬉しいな、ホテルでしかベッド使ったことない、いつも布団だった」

 そう言って、にっこり笑っていた。切なくて、嬉しくて、ぎゅーと夫を抱きしめた。いいんだよ、ベッド買っていいんだよ、寝ていいんだよ、これが普通の生活なんだよ。

 夫は、私よりも過酷な幼少期を過ごしてる。私よりも病状が酷い。こんな風に笑って、私を支えてくれていて、頼りがいがあるように見えるけど、一番、心がボロボロなのは夫なんだ。

 私が最高に幸せにしなければならないのは、夫なんだ。

 これからずっと一緒だよ。一緒に普通に幸せに過ごそうね。

 夫は穏やかに笑ってうんと言ってくれた。普通の幸せが私たちにはかけがえのない幸せなのだ。

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