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つけ麺屋『つじ田』・営業マン・よさこい祭りに共通して漂う「なんちゃって感」について

 冷たい麺が好きなので、ラーメンとつけ麺を比べるとつけ麺が好きだ。時々有名なつけ麺屋『つじ田』に行く。

https://tsukemen-tsujita.com/menu/


 ここのつけ麺は麺にすだちが乗っており、食べている途中で麺に絞ると味にアクセントが出て良いですよ、というようなことが掲示されているほか、麺が提供される時にもそういうようなことを言われる。

 んだが、この「そういうようなことを言われる時」の圧がすごい。店員がつけ麺をカウンターに出すやいなや、「すだちはァ!途中でェ!麺に絞ってェ!お召し上がりくださいィ!」という感じで、周りの店員もこれに「セイヤァ!」と追従する。声もデカく、これがつけ麺が出るたびに店に響く。「すだちはそのままァ!」「セイヤァ!」「麺に絞ってェ!」「セイヤァ!」※1

 これが響き渡る店内と、それを半ば無視して黙々と飯を食う客の構図に毎回笑う。こうなってくると店内に流れるロック調の三味線インストゥルメンタル音楽・明るい店内と綺麗な木のテーブル・卓上調味料の横にある長ったらしい説明……全部が面白い。「この店はなんでこんなことになってしまったんだ?」という疑問が頭から離れない。「セイヤァ!」も全然わかんねえし。誰用?

 で、誰用でなんでこうなったのか一応考えたんですけど、多分アトラクションなんだと思うんですよ。フォローすると「つじ田」というのは支店もいくつかある店で、つけ麺の一番安いメニューでも1000円超えのわりかし高級店。味は結構スタンダードで、声のデカさはともかく「いらっしゃいませ」から「ありがとうございま(ァ)す」まで接客のオペレーションも良い。もし外国人の友人に「今度日本に行くんだけど『つけ麺』って言うのを食べてみたいんだ」と言われたら『つじ田』を薦めるのはかなり良いと思う。そしてお客さんを楽しませる、という点ではこのデカ声パフォーマンスも納得できる。「鉄板焼き屋がフランベを見せる」みたいなことに近いのかなと。あとは店員の声が絶えず聞こえることに「長居しづらい」みたいな機能もあるのかもしれない。

 ただ、にしたってその、「なんちゃって過ぎ」じゃないかとも思うわけですよ。日本のトラディショナルな高級店でこんなパフォーマンスをする店はまずないでしょう。浅草今半のお姉さんは「焦げ付く前に割下ァ!」「割下ァ!」とか絶対言わないし。つじ田の「セイヤァ!」には、「お手本がなんなのかわからない」「だけど全力」「なので傍目からはどこに向かって走っているのかがわからない」ということが起きている。この3つを満たす状況に漂う空気を「なんちゃって感」と呼んでみたい。

 「なんちゃって感」の漂う事例をもう一つ挙げると「ツーブロの入ったヤル気の営業マン」というのがあり、私は過去にそういう人間から「正直ベースでわりとアグリー目ではあるのですが……」と真顔で言われたことがある。こんな言葉、敬語じゃないことは口に出す前からわかるし、こんな言葉が通じると思っている方がどうかしている。で、真顔でこういうことを言ってるってことは、つまりどうかしているのだ。ここでもまた、「お手本がなんなのかわからない」「だけど全力」「なので傍目からはどこに向かって走っているのかがわからない」ということが起きており、『つじ田』に漂うのと同じ「なんちゃって感」が出ている。

 起きていることはまるで違うのだが、さらに思い出すのは「よさこい祭り」である。よさこいとは高知県が阿波踊りに対抗して産んだ「よさこい鳴子踊り」という踊りで、「曲のどこかによさこい鳴子踊りの楽曲フレーズが入っていること」「鳴子を使うこと」の2つのみをルールとし他はアレンジ自由とした結果、ルーツの薄まった謎の踊りが日本を超えて世界中に伝播してしまった不思議な踊りである。高知でよさこいの放送を見ているととにかく「セイヤァ!」「ソイヤァ!」の嵐。旗・龍・鳴子・ビラビラした着物・セイヤァ!。民族舞踊のように決まり事が伝承されているわけではないのでモチーフにいわれがなく、しかし全力で、よさこいを見るたびに「どこに向かって走っているんだ」と思ってしまう。

 上に挙げた3つはどれも「なんちゃって感」を持っており、さらに言えば「ヤンキー(不良)的」だとも感じる。『ヤンキー進化論~不良文化はなぜ強い~』著者の難波功士氏は本書の前段としてヤンキーの定義を(暫定的なものだとしたうえで)下記のように記している。

「要するに、それが「ヤンキー(的)である」という同定に際しては、「階層的には下(と見なされがち)」「旧来型の男女性役割(男の側は女性に対して、性的でありかつ家庭的であることを求める。概して早熟・早婚)」「ドメスティック(自国的)やネイバーフッド(地元)を志向」といったファクターを帯びていることがカギとなる、との仮説をここでは提示したいのである。」

『ヤンキー進化論~不良文化はなぜ強い~ (光文社新書)』難波 功士著

 営業マンとヤンキーをイコールで結ぶのは乱暴だが、ヤンキーの持つ「旧来的な男性性の誇示」といったアイコンを継承している印象はある。印象論で恐縮だがさっきからまあそういう話をずっとしている。3つの例はどれも「気合が入っている」「イケイケ」「キマってる」みたいな言葉と相性がいいし、こうして並べてみるとなんか全部一世風靡セピアっぽくないですか?

 つじ田からずいぶん遠くに来てしまった。「『つじ田』に行ったことも今後行くつもりもないけど、すだちの掛け声だけ気になる」「行きたいけど東京近郊にしかないじゃないか」という人のために、私が『つじ田』の店内を再現した「すだちはァ!」のボイスを録ろうかと思ったんですが、面倒だったのでやめました。聴きたいという人は直接言ってください。がんばります。それでは。

※1 後日、店員の少ない日に行ったら「どうぞ〜」と被せている店員さんがおり、たぶんこれが定常の掛け声なんだと思う。祝日に行くと「セイヤァ」が聞けると思います。

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