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20年前の私へ

20年前、父を在宅で看取りました。
肺がん、脳転移。
脳転移のオペ後、右半身に麻痺が残り、不自由な生活となりました。
体が自由に利かなくなって一年ちょいで、父は亡くなりました。その時、父は54歳、私は26歳でした。

オペをすること、抗がん剤は使わないこと、在宅にすること、麻薬を使うこと、麻薬を増やすこと、その都度いろんな選択を迫られました。
いや、これって治療してる皆さんは誰でも選択しなくちゃいけないことで、これ自体は特別な事ではないんですが。

医療関係者は、知識や経験で「それをするとどうなるか」っていうことをわかりながら選択するんです。
皆さんよりもちょっと具体的で、しっかり想像つくんです。

それはちょっと悲しくて、寂しくて、辛いことなんですが、身内にあたる自分、例えば私の場合は娘という立場になりますが、娘の立場よりも看護師という立場を選択しがちで。
周りにも、「看護師」であることを求められるし、頼られるし。いろんなことをひっくるめて飲み込む、引き受けるんです。

先日、私の友達のお父さんが亡くなりました。
彼女はお父さんの呼吸が荒く、まるで水のないところで溺れているような苦しそうな姿を見て、睡眠薬を使って鎮静をする、眠らせるという処置を選択しました。
それは、お父さん本人が眠ってしまう、苦しいことがわからないようにする処置です。
そうなると、苦しむ姿は見ないことになりますが、呼吸も抑えられるので死期が早まることもあります。(もちろん、うまく維持できるときもあります)
でも、眠らせて、うつらうつらさせてしまうので話せなくなったりします。

自然とそうなるのではなくて、そうなることをわかった上で「選択」するんです。

20年前、いろんな選択をして本当にこれで良かったのか、私の判断は正しかったのか、考えた時期がありました。それを誰にも言えず、自分の気持ちを奮い立たせていました。

なので、昨日、私は彼女のもとへ行き、「あなたの判断は間違ってない。最善なタイミングで最善の選択をした。大丈夫!合ってるよ!」と伝えてきました。

彼女の気持ちを抱きしめつつ、20年前の私も抱きしめられました。


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