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マーシャル諸島、ミクロネシア連邦とパラオ

(21番)   2013年  1月
①     マーシャル諸島、② ミクロネシア連邦と ③ パラオへ行ってきました。参加者は10名でした。ダイビングではありません・・・🤿

1月20日
11:10 成田 発 ユナイテッド航空
15:45 グアム 着
ホテルへ

1月21日
08:20 グアム 発 ユナイテッド航空
10:49 トラック島 発
13:46 ポンペイ島 発
15:30 コスラエ島 発
18:22 クエジェリン島 発
19:17 ① マーシャル諸島の首都であるマジュロ 着
一日中、アイランド・ホッッピング三昧となりました。
空港で出迎えてくれたマーシャル諸島観光局の日本人スタッフの方達は「久しぶりにこんな大勢の日本人を見た」と驚いていました。
「ヤコエ空港」は「こんにちは空港」という意味だそうです。
空港の建物を出た途端に海が広がっていて、気を付けないと落ちてしまいそうでした。
ホテルへ

マーシャル諸島はグアムとハワイの中間あたりに位置する29個の環礁(珊瑚礁でできたリング状の島)の国です。最初はスペインの植民地、ドイツの保護領、日本の委任統治、アメリカの信託統治の後、1986年に独立をしました。人口は約5万3千人で住民はミクロネシア系です。主な産業は農業と水産業です。

アメリカは広島と長崎に原爆を投下した後も13年間に渡り、ビキニとエニウェトクの二つの環礁で66回の核実験を行いました。ビキニ環礁はマジュロの北西の位置にあります。
自分の国でこんな実験が何度も行われたなんて、考えただけでも恐ろしく、マーシャル諸島の人達の心情を察するといたたまれなくなります。

1月22日
終日、マジュロの観光
カヌー工房 →ココナッツ石鹸の工場(ココナッツ石鹸は汚れがよく落ちる割に肌は痛まないとか)
→マジュロ橋(この国で一番標高が高い6mの地点にあり、別名日本橋。
中曽根さんという人が寄贈した。一見、普通の橋だけど、専門家によるとこの橋を架けるには非常に高い技術を要するらしい)
→ローラビーチ(真っ白な砂浜)→平和記念公園 
→観光局(我々の写真を撮ってもらい、後日Facebookにアップされるので見てくださいとの事)

1月23日
午前は伝統のハンディ・クラフト体験でヤシの葉っぱを使ってお皿を編み上げました。こういう手芸のような事を日本統治時代の名残で「アミモノ」というそうです。
同じくその名残で日本名を名字にした人も多く、「モモタロウ」もその一つだとか。
その一家が経営をする「モモタロウ ストア」へも行きました。商品はやはり、輸入品がほとんどでした。もちろん、日本製品(カップラーメン、ワサビなど)もたくさんありました。
その後、東の最先端の岬へ移動。途中の道路は両側が海という珍しい光景が広がっていました。これが自然な国土の幅であり、人工的に整備した道路ではないのですから。

午後は自由行動で皆さんはカヌーに乗ったり、シュノーケリングをしたり楽しんでおられました。

1月24日
09:54 マジュロ 発 ユナイテッド航空
11:32 クエジェリン島 発
12:17 ② ミクロネシア連邦のポンペイ島(首都パリキール)着

ミクロネシア連邦は太平洋の赤道の北半球側に沿って、ヤップ、チューク、ポンペイとコスラエの4州と607の小さな島々からなる国。最初はスペインの植民地、ドイツ領、日本の委任統治、アメリカの信託統治の後、1986年に独立しました。人口は約11万人で住民はミクロネシア系が多いです。主な産業は水産業と観光業です。

昼食後、ポンペイ島北部の観光へ。
ガイドさんは胡椒農園を経営されている日系の方でした。
バナナの種類が豊富で16種類あり「カラチ」という身がとても太い物は栄養豊富で子供の離乳食にもなるとか。その中でもビタミンCが特に多く、大人でも食べるとお小水が黄色くなるほどだそうです。

ドイツ鐘楼(ドイツ統治時代の教会にあった鐘楼だけが残っている)
→スペイン広場
パルキールに戻り →カトリック教会 →国会議事堂 →裁判所
車での移動中はどこへ行っても野生の鶏が頻繁に道路を横切り、ハラハラしました。

1月25日
胡椒農園にて胡椒畑やシナモン、マンゴー、スターフルーツ、カカオ、カニステール等を見学。カニステールは桃のような形をしており、オレンジ色になって熟すと自然と落ちるので、それを食べる。味は一言で言い表すとケーキそのもので、美味でした。人数分なかったので、奪い合い?になるほどの人気でした。

昼食は「ケプロイの滝」にてランチ。
高さは20mで幅は30mのゴツゴツした岩がむき出しの水量の多い滝です。マイナスイオンがたっぷりでした。滝つぼにいた大きなウナギも大迫力でした。

午後は謎の海上都市遺跡である「ナンマドール」の観光
ポンペイ島の南東部の浅瀬には玄武岩と珊瑚岩で築かれた92個の人工島による巨大遺跡が残っています。このマングローブの森に囲まれた遺跡は6世紀から栄えたサウテロール王朝が建造したと言われていますが、真相は未だに謎に包まれています。
島と島の間は水路で繋がれており、太平洋のベニスともいわれています。
島の上に築かれた建造物群には王や祭司者の住居、儀式の場、工房などが残っています。

夕食はガイドさんが経営をするレストランで「マングローブ カニ」を食しました。
ココナッツミルクで茹でて、そのままスープにしてあってコクがあり美味しかったです。もちろん、胡椒もふってありました。
因みにマングローブ カニは海の中にいます。ヤシガニは陸にいてココナッツを自分で割って食べるそうです。

1月26日
午前はソケース村へ。
300mの高さの山があり、ピケラップ人、モキール人、モドロック人が住んでいます。
展望台まで登ると空港や街並みが見えました。
第二次世界大戦時に使用された大砲の残骸や無名戦士の碑もありました。
ナンマドール遺跡にある玄武岩はここで切り出されたと言われている石切り場もありました。柱状節理なので、全部六角形です。
カビンガマランギ村のハンディ・クラフトの工房にも立ち寄りました。
ゾウゲヤシの樹脂を固めて作った「マンタのペンダント」が珍しくて思わず購入。

13:26 ポンペイ島 発 ユナイテッド航空
14:21 トラック島 発
15:55 グアム 着
深夜のフライトまで時間があるので、恋人岬へ。
6:25 日没 こちらは空気が乾燥していて素晴らしい落日とひょっこり満月の両方を堪能しました。
22:40 グアム 発 ユナイテッド航空

1月27日
01:00 ヤップ島 発
01:04 ③ パラオ(コロール島)着 (時差マイナス一時間)

日本から3200キロほどの南に、フィリピンの東に位置する250以上の島々からなる多島国家です。スペイン、ドイツの植民地を経て、日本の委任統治、アメリカの信託統治の後、1994年に独立をしました。首都はバベルダオブ島のマルキョク。人口は約2万人で民族はミクロネシア系です。
主な産業は観光業、漁業と農業です。

国旗は日本と形がよく似ていますが、ちゃんと意味があるのです。後で述べます。

終日、パラオ最大の島であるバベルダオブ島の観光へ。
ガイドさん、アシスタントさん、ドライバーの3名は全員日本人でした。
流石、日本人がダイビングでよく訪問する国です。

まずはマルキョクの丘の上へ。
大統領府(第5代の大統領はナカムラ クニオ氏) →国会議事堂
→最高裁判所 →州庁舎 →市場
付近には南洋桜やプルメリアが綺麗に咲いていました。

次はパラオの最北端にあるオーレイ波止場へ。
浅瀬なので小魚がたくさん泳いているのが見えました。

次はストーン モノリスに向かおうとしたら、車がパンクをしてしまい30分ほど休憩し、再度出発。
ここには謎の人面石「ストーンフェイス」と呼ばれる顔が彫られている巨岩があちこちに転がっている場所です。この岩に関しては詳しい事は分かっていないそうです。

展望台にてお弁当。

午後は日本軍の機関砲の残骸などを見て「アバイ」の見学。
これはパラオの伝統家屋で屋根が二等辺三角形で藁ぶき、壁は板の上に動物や花などが描かれていて魔除けの意味があるとか。高床式です。

1月29日
終日、ペリリュー島の歴史探索ツアーへ
コロール島から南へ船で一時間半のところにあります。
第二次世界大戦において、72日間という太平洋で最も長く激しい戦闘が繰り広げられていた島です。
日本は戦力的には圧倒的にアメリカよりも劣っていたために洞窟に立てこもり、決してひるまずに持久戦に持ち込みました。しかし、12,000人以上が亡くなり、34名が生き残りました。

千人洞窟(懐中電灯を持って中に入ると中は広くて部屋もいくつかありました。入り口には焼け焦げた跡があってアメリカが火炎放射器で攻撃をした跡)
→戦没者慰霊碑(ガイドさんはちゃんとお線香を用意してくれていた)
→戦争博物館 →海軍総司令部跡 
→戦車やゼロ戦の残骸がたくさん(ここで案内をしてくれた現地のガイドさんは熱がこもりすぎて目が血走っていたので、日本人のガイドさんが途中で落ち着くように諭した)
→オレンジ ビーチ(米軍最初の上陸地点。今は青い海と真っ白な砂浜ですが、当時は両方とも人間の血で真っ赤に染まっていた。想像するだけでも恐ろしい)
→サウスドック →中山(水陸両用戦車)
→大山(ペリリュー神社と中川大佐自決の場所)

ペリリュー島の住民は当初、日本軍と共に戦いたいと申し出たそうですが、司令官は普段は温厚な人だったのに一喝してそれを断ったそうです。島民はドイツの支配に苦しんでいた過去があるのです。
断られた理由が分からなかった島民はなぜ島を離れなければならないのか怒っていたそうです。
他の島へ疎開した後で、司令官が島民を戦火に巻き込まないように配慮をしたことに気が付き、涙したそうです。
結果、島民の誰一人としてこの戦争で亡くなることはありませんでした。
ドイツの植民地時代には搾取されて人間的にもひどい扱いを受けていたのに、日本の統治時代には学校や病院を建てたり、インフラを整備したりしてこの国のためになるような援助をしたそうです。それで、今でも日本に対して感謝の念を忘れないのだとか。
前述の国旗は「月章旗」といって日本が太陽の出る国だから、我々は月の出る国にしようという案で決まったのだそうです。丸も真ん中では烏滸がましいので少しずらして左側に位置するようにしたとか。

ある日、ガイドさんがホテルの庭でお茶をしている男性に会った際、「パラオは何回目ですか」と聞くと「2回目」と。「1回目はいつ頃ですか」と聞くと「68年前」と返事が来た。
その時に「なんて重い一言なんだろう」と思ったそうです。男性は88歳だったとか。

又、ガイドさんは別の人の話もしてくれました。
34名の生き残りのうちの一人の人92歳がパラオを訪れてこう話したそうです。
「自分は戦争が終わったと思って、仲間に置手紙をして、米軍に投降した。拷問されたが、飛行機に乗せられ、空の上から見て初めて戦争が終わった事がわかった。米軍の指示で戦争が終わった事を仲間に知らせるために空から呼びかけたが反応はなかった。
家族の手紙(多分、戦争が終わった事が書いてあった)を読んで、その手紙を日本軍が潜んでいる場所へ置いた所、全員が投降してきた。
ずっと隠れていた兵士たちは夜中に米軍の基地へコンビーフなどを盗みに入っていた。それで、2年半も隠れていた割には皆、太っていた・・・」

戦争で得るものは何もないです。世の中から一刻も早く戦争がなくなる日が来ますように願わずにはいられません。

1月29日
午前中はパラオの松島と呼ばれる「ロック・アイランド(世界遺産)」の観光へ。
「ロック・アイランド」とはコロール島とペリリュー島の間にある島々の総称で古代の珊瑚礁が隆起してできた石灰の島です。周辺には多くの海水湖(ジェリーフィッシュ・レイク)があり、毒性の低いタコクラゲが生息していて一緒に泳ぐこともできます。
また、海底には第二次世界大戦で敵機に沈められた給油艦「石廊と佐多」が眠っています。
ゼロ戦が沈んでいる場所までボートで近づくこともできました。
ちょっとリアルすぎて自分が今戦争の真っただ中にいるような錯覚さえ覚えました。

アルミズ水道 →あかつき部隊の桟橋 →バットケイブ(蝙蝠が住んでいる青の洞窟) →製塩場 →ストーンマネー(今から2000年ほど前の巨大な石貨で直径2m70cm) →リーマンビーチ

午後はパラオの経済の中心であるコロール島の観光へ。
パラオ水族館(珍しい魚たちがたくさん。特に気になったのはクロモンガラという忙しそうに泳いでいた魚) →エピソン ミュージアム
→国立博物館(ミクロネシア最古で1955年に開設された。100年ほど前の陶器、土製のランプ、ジュゴンの骨の腕輪、鼈甲の皿、戦争用のカヌーなどが展示されていた)

1月30日
02:50 パラオ 発 ユナイテッド航空
07:00 グアム 発
9:45 成田 着

今回は南太平洋でのんびりとしてこようなんて思っていましたが、とんでもなかったです。第二次世界大戦の貴重な話を聞くことができて、とても有意義なツアーとなりました。
「The Pacific」というスピルバーグとトム・ハンクスがタッグを組んだTVシリーズがあるので、興味のある方はどうぞ。

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