南エチオピア
(24番) 2016年 11月
南エチオピアへ行ってきました。下唇にお皿をはめているムルシ族に会ってみたかったのです。
参加者は8名でした。その内、4名が相部屋希望者でした。この旅行会社は毎日同じ人と宿泊するのではなく、ホテルが変わる度に人を入れ替える方法をとっています。一人が認知症気味でちょっと大変でした。
エチオピアは1995年に行った事があるので、今回は2回目です。
観光資源が豊富で何度も行く必要があるのですが、私にとって秘境はだんだん億劫になってきました。3回目にエルタ・アレ火山というマグマが煮えたぎっている山へ行った時、「赤痢菌」をもらってきたからです。機会があれば、その時の様子も投稿しましょう。いまどき、「赤痢菌」なんて驚きました。
海外旅行をしているといろんな人に出会い、いろんな経験談を聞きます。例えば、マラリアにかかり、死にかけた。それも3度も。
ま、私自身も交通事故には3回あっているし、病気になって「すぐに手術しましょう」と言われたり、はたまた、旅行中にグループの一人が突然亡くなったりと思い起こせばいろんなことがありました。しみじみ・・・
さて、エチオピアには80以上の少数民族が暮らしています。民族ごとに衣装や慣習などの違いがあり、彼らは農耕や遊牧など、自然と共に暮らしています。
11月16日
20:10 発 成田 エチオピア航空
11月17日
01:30 発 香港 エチオピア航空 (香港から大窃盗団が乗り込んでくることを知っていたので、就寝中は貴重品に気を付けました)
07:05 着 アジス・アベバ
有名な「TOMOKA」というコーヒーショップへ
250gで300円ほどでした。
今、少々治安が悪くなっているとの事で、外へは出してもらえず。
13:55 発 アジス・アベバ
15:00 着 アルバミンチ(40の湖と言う意味)
四駆で今晩の宿泊先のロッジへ
道中にはアカシアの木に備え付けられた長丸の形をしたバスケット状の養蜂箱や、コウノトリがとまっている様子がたくさん見られました。
ハチミツの作り方はまず、女王蜂をそのバスケットに入れると働きバチ達が寄ってくるのだそうです。
11月18日
四駆にてトゥルミを目指します。
途中、ウェイト川にて写真ストップ。
エルボレ族の村
人口: 約6000人
生活様式: 遊牧民であり、歌や踊りが悪いエネルギーを追い払い部族の繁 栄につながると信じていて、多くの儀式的な歌やダンスを持ちます。
見た目: 女性は黒い布で頭部を覆い、カラフルなネックレスやイヤリングを身に着けています。未婚女性は頭が丸坊主です。
子供たちは、日焼け防止のためにひょうたんのヘルメットをかぶり、泥で
ペインティングをしています。
ハマル族の村
人口: 約4万人
生活様式: 遊牧と農業を営む。男性の成人式に「ブル・ジャンピング」があります。
牛を横に10頭並べて、その上を全裸の男性が走って渡り、これに成功すれば成人となり、結婚もできるのです。
牛から落ちるのは恥ずかしい事とされます。
女性は男性を紹介されるとダンスで愛情を表現し、その男性からは鞭で打たれます。それは終生の忠誠と結婚を表します。
ある女性の背中を見ると蚯蚓腫れのようになった線が何本もついていて、
最近打たれたのが分かりました。実際に見ると恐怖でしかありませんでした。
見た目: 赤土を体中に塗っています。
未婚女性は髪が短くてドレッド・ヘアでおかっぱの前髪パッツンです。
既婚女性は髪の毛は長い。ヤギの皮のスカートを穿いています。
11月19日
四駆にてムルレとトゥルミ経由でジンカへ向かいます。
カロ族の村
世界遺産のオモ川流域に暮らしています。
オモ川下流域の堆積鉱床は何万年もかけて堆積したもので、人類の進化の研究にとって貴重な類人猿の化石が多く出土しています。240万年前の類人猿や彼らが使った道具の化石がこの付近から発見されています。
この地域は文化的に非常に多様な人々が居住しているのです。
人口: 約1500人(絶滅の危機にある)
生活様式: 牧畜、農業、オモ川での漁
見た目: ボディ ペイントに特徴があり、祭りやダンスの前にはホロホロ鳥を真似た白い模様を体に描きます。頭にダチョウの羽やビーズの飾りをつけて、ビーズの首飾りもします。
午後はハマル族とベンナ族が集うマーケットへ。
タバコ、とうもろこし、モリンガ(今日本でも人気のスーパーフード)等が売られていました。
ジンカのロッジにはシャワーはあるが、壊れていて使えず、バケツで水を汲んできてもらう羽目に。二泊もこれで過ごしたので、翌日のホテルはありがたかったです。
11月20日
(待望の)ムルシ族の村(マゴ国立公園の中にある)
人口: 約1万人
生活様式: 牛やヤギの放牧とトウモロコシなどの農業
見た目: 女性は15歳くらいになると「デヴィニヤ」と呼ばれる土器で作られたお皿を下唇にはめます。最初は小さな穴から始めて少しずつ大きくしていくのです。お皿が大きいほど、女性は美しいと言われます。
耳にはめている人もいます。
これはファッションでもなんでもなくて、事の起こりは奴隷貿易の時代(15世紀から19世紀)にさかのぼります。
奴隷商人に攫われることのないように自分を見にくくして商品価値?をなくしたことが始まりなのです。何て悲しい歴史なのでしょうか。
現在はエチオピア政府がこの慣習を禁止しているので、今後は減っていくことでしょう。
しかし、我々のように観光客が来て写真を撮るとチップを渡すのでやめられないというのが本音でしょう。チップは1枚が5ブルで25円ほどです。
実際に、私はカメラをある時から止めたので、持っていないのですが、唖然として見ている私の前には「撮ってくれ」と言わんばかりに人々が並ぶので、困りました。それが何度も何度も繰り返されたのです。
「ごめんね。カメラを持ってないのよ」と申し訳なさそうにいう事しかできませんでした。
見ているとお皿を入れることを止めた人も結構いて、唇がくっついてきている人もいました。「ああ、良かった」と他人事ながら何故か安心したのでした。
余談ですが、タイのパドゥン族は首長族として有名です。女性だけが真鍮の首輪をつけていますが、これもファッションではなく、トラに首を嚙まれないようにしていたのだそうです。説明をしてくれた女性は「娘にはこういう格好をさせたくない。何故なら、とても辛いから」と悲しそうな顔で言いました。現在は観光客の相手をする時だけ見せてくれるようです。
アリ族の村
人口: 約20万人
生活様式: 農耕、牧畜、鍛冶、陶器作り
見た目: 女性はTシャツとスカートを男性はTシャツとズボンで我々と変わらず。
エチオピアの主食である「インジェラ」は通常イネ科であるテフから作られますが、南部ではあまり穫れないため、アリ族はトウモロコシの粉から作ります。彼らの特技です。
テフで作られたインジェラを何度か食べたことがありますが、慣れるまではちょっと・・・
発酵しているので、すっぱいのです。形としてはクレープに似ています。
陶器作りも見せてもらいました。手先が器用なので轆轤がないにも拘わらず、きれいな形に仕上げていきました。
11月21日
ツェマイ族の村
人口: 約7000人
生活様式: 農業と放牧。エチオピアの民族としては珍しくお見合い結婚をします。彼らも「ブル・ジャンピング」をします。
見た目: 男性も女性もヤギの皮にタカラ貝の装飾を施したものを纏っています。
昼食時にJICAの人達数名とバッタリ会い、ご一緒することに。
コンソ族の村
人口: 約30万人(42の村に住んでいる)
生活様式: 独自の部族社会を持ち、21代(400年)に渡り、過酷な乾燥した環境にあって段々畑を開拓して暮らしてきたことが評価されて世界文化遺産に登録されました。
集落の景観からは地域社会が保ち続ける共通の価値観や社会的な絆、土木の知恵などがうかがい知れます。
王様がいて王宮に住んでいます。「9」と言う数字をとても重要視しています。
見た目: 女性は2段になったフレアスカートを穿いています。
野外マーケットへ。
廃棄するタイヤから作ったサンダルや洋服(もちろん、古着)がたくさん売られていました。
こういう場所へ来るとひょっとしたら、自分が使っていた洋服があるかもなんて・・・あるわけないけど、時々、「古着でワクチン」という団体に寄付をしているもので。
11月22日
ドルゼ族の村
人口: 約5万人
生活様式: 綿花の栽培をしており、女性が綿花を紡ぎ、男性が機織りをします。農耕民族です。
家の構造は象の鼻を模した竹とエンセーテ(偽バナナの木)の葉で建てられた巨大な住宅で高い物は20mほどあります。
中に入って見学をしましたが、こぢんまりとしていて効率よさそうでした。
ただ、白アリに食われ易いのが難点だとか。
エンセーテの果実をすりおろしたパンのような「コチョ」というものを作ってくれました。美味しかったです。
シーシャ(水たばこ)を吸いますが、中近東などで見る物とはちょっと違っていました。仕組みは一緒です。
見た目: 我々と一緒。
昼食後、アルバミンチのマーケットへ
17:15 発 アルバミンチ エチオピア航空
22:25 発 アジス・アベバ
11月23日
14:05 発 香港
19:20 着 成田
今回はムルシ族が唇にお皿をはめるきっかけについて周りの人に話すと
100%が「知らなかった」と言うと共に驚くので、歴史を知ってもらう上で良かったかなと。
ついでに有名な「アメイジング・グレース」という曲は奴隷商人だったイギリス人が帰国後牧師になり、自分のしたことを悔やみ作った曲です。
私は音楽にはあまり詳しくはないのですが、この曲を最初に聞いた時は、心に「じ~ん」と来るものがあり、何かを感じ取るを得ませんでした。
エチオピアの少数民族が写真チップを得なくても暮らしていけるような生活が一日でも早く来ることを祈らずにはいられません。
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