数えよ、主の恵み。
このnoteをお読みのみなさま、こんにちは。
つまづきパイセンです。
タイトルにあるこの曲が、私のTwitterやnoteのIDの由来だったりします。控えめにいって、愛唱歌です。
けっこう有名な聖歌らしいのですが、実は私はつい先日まで知りませんでした。
ちなみに正式なタイトルは、「望みも消え行くまでに」というもので、「新生賛美歌」でしたら103番に収録されています。今日はこの曲について、書いてみたいと思います。
どんな曲?
Spotifyで試しにタイトル入れてみたら、一発でこれが出てきてさすがに仰天しました。礼拝で歌うのとはまた違ったアレンジが素敵でいいですね。車の中で聴くことも多いです。
曲の持つ意味自体については、こちらの記事がとてもわかりやすいので、ぜひご覧になってみてください。
どうしてこの曲が愛唱歌なのか?
前回の記事で、クリスチャン女性のお友達にひどいことを言われて、もう結婚なんて出来ないのではないかと気落ちした話を書いたのですが、それが起きた週の日曜日のこと、この曲が礼拝で登場したのです。
初めて聞き、そして歌う曲でしたが、歌っているうちに、なぜか胸の中にこみ上げるものを感じ、涙が止まらなくなってきました。礼拝の賛美でこんなことは初めてでした。そして、その後牧師先生の語るメッセージがとても印象的でした。
戦前、旧満州の熱河省に宣教に出られていた、とある宣教師の先生のお話だったのですが、ご主人は八路軍に連れ去られ、彼女は白内障、お子さんは早世という、かなり過酷な状況に置かれていました。そんな時に思い浮かび、心に響いたのがこの曲だそうです。
「目は見えなくても、歩けるではないか。」
と、このような辛い状況にあっても喜ばなくてはいけないのだろうか?と自問自答しているうちに、彼女は神の恵みを感じることができ、そしてすべてを主に委ねた時に心に平安が訪れたというのです。
正直、彼女の状況は、今の自分よりも遥かに過酷な状況で、比べるのもはばかられるほどです。それなのに、まさにあの曲のように、神様の恵みを感じ、そして主に委ねているという事実。それなら、私が結婚できないなんてことに比べれば取るに足りないような苦しみなのだし、しかもこうやって毎週教会にだって行けていて、その教会では、毎週温かく迎え入れていただいているではないか。
そう思ったとき、心がすっと楽になっていったのを感じ、そして涙があふれてきました。神の恵みというのは、まさにこういうことなのかと。
(でも、その先生と比べればずいぶんスケールの小さい話ですが、しょうがない。神の恵みは、一人ひとりに与えられているものですからね)
まとめ
新生賛美歌は、すべての曲が聖書箇所にきちんと準拠した内容になっていますので、この曲についても引用された聖書箇所がきちんと書いてあります。「望みも消え行くまでに」の場合は、以下の箇所になります。
わたしの神、主よ、あなたは多くの不思議な業を成し遂げられます。あなたに並ぶものはありません。わたしたちに対する数知れない御計らいを、わたしは語り伝えて行きます。
詩編 40:6 新共同訳
神様が本当に多くの恵みを与えてくださっていることに、今日も感謝です。この恵みを日々数えていきながら、今までスルーしていったであろう恵みにも改めて感謝していかないと、と思わされます。これが、もしかしたら少しづつ前に進む力になるのかもしれない。
そして、この喜びを、ふだんの生活にあっても、またこのnoteを通してでも、語り伝えていくことのできるようになっていく事が現在の私の目標です。